スタッフ/室内俊夫

室内俊夫氏(むろうちとしお)

室内俊夫
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PLLの右側の(銀髪の)人って誰?
  • 室内俊夫氏です。スクエニ社員であり、同社サポート部門の偉い方です。第1回PLLから吉田Pの相手役として登場しています。
  • 詳細は下記を御覧ください。ちなみに髪は地毛だそうです。

概要

  • コミュニティ部門のトップ。コミュニティ&サービス部の部門長を兼ねていると2019年5月のインタビューで語っている。2018年9月の5周年14時間生放送でも、吉田氏などから「部長」と呼ばれており、さらに「今やインフォメーションセンターのお客様対応のトップですよ。スクエニのすべてのお問い合わせは室内に集まる。オンラインだけじゃないからね。」と言及していた。

    イベントの開催時期など特殊な場合を除けば、1日の仕事量のうち『FFXIV』の割合は30%から50%までいかないぐらいですね。じつは、グローバルコミュニティプロデューサーという肩書きで仕事しているのは『FFXIV』だけなんですよ。それ以外は、カスタマーサービスを担っているコミュニティ&サービス部の部門長をやっているので、仕事の種類がまったく違うんです。
    『FFXIV』ファンフェスはいかにして運営されるのか。”ファンフェス番長”室内俊夫氏インタビュー!【電撃PS】 - 電撃オンライン

    『コミュニティー&サービス部』という部門の部門長をしています。部門としてのメインの仕事は、日本のスクウェア・エニックスグループがリリースしているゲームやサービスなどのカスタマーサービスを提供することです。それと同時に、『FFXIV』ではグローバルコミュニティプロデューサーという肩書をいただいて、運営チームをまとめています。
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  • FF14に関しては、新生FF14以後、プロデューサーレターライブなど吉田Pがライブ形式でトークショーを行う際には、相手役(司会進行役)として登場することが非常に多い。その他コメンタリー動画など、吉田Pが説明を行う動画などでも相手役を務めることがある。なお第1回PLLで司会を務めることになった際には、「欠席裁判」で指名されたと語ってる。

    第1回PLLを放送する前に、「進行は誰がやるか」を決める会議がありました。私は、その会議に参加することができなかったのですが、その結果「室内がやればいい」という話になったらしく(笑)。

  • 公式フォーラムにも、時折Community Repチームの「Foxclon(ふぉっくすくろん)」として書き込みを行う。
  • 個人アカウントのTwitterで公私交えてつぶやいており、頻繁に行われる国内・海外出張の様子や、日々の食事、愛犬(ペット)および趣味の御朱印めぐりの様子を伺うことができる。
  • ゲーム情報サイト「4Gamer.net」の創業期を支えたメンバーでもある。「4Gamer.net」の前の(2代目)ロゴも室内氏が作ったものだという。
    • ※経緯などは後述

呼称

  • 「モルボル(もるぼる)」
    • フォーラムでのアバターアイコンにモンスター「モルボル」を利用していることによる。※このページ右上のFF14開発コアメンバーアイコンでもモルボル風の椅子に腰掛けている。
    • FFXIVプロデューサーレター LIVEなどでも「もるぼること」と自己紹介しており、またプロデューサーレターライブや各地でのFATE(リアルイベント)などにおいて吉田Pが呼びかけるときも、だいたい「モルボルは~」となっている。

      本日進行を務めさせていただきますのは、フォーラムではモルボルでおなじみです。コミュニティチームの室内です。
      「第一回プロデューサーレター LIVE」冒頭挨拶

  • 「ブッコロさん」「ブッコさん」
    • Twitterのアカウント名がBuccoRoth(ぶっこ=ろす →ぶっ殺す)とやや物騒な名前となっており、自らの子供の話をするときも「子ブッコ」と呼ぶことがある。
    • FF11(旧UOのGM時代含む)時代から知っているプレイヤーの間では主にこちらで呼ばれているようである。
    • ※下記インタビュー記事の引用では、社内でもブッコ呼びされていることがわかる。

人物

  • FF11時代から運営に関わっており、ヨーロピアンオンラインプロデューサー、グローバル コミュニティー プロデューサーを歴任
  • 昭和52年(1977年)生まれ。
  • 同じスクエニ運営部門のSage Sundi氏とはUOのプレーヤー時代からの付き合いだという
  • WoWについてもヘヴィプレイヤーであり、自らニュースサイト「OHVITAE」を運営していたほどの洋物ゲーム通
    • ※なおあまり言及されることはないが、SWGでは超有名人だった模様。
  • 海外勤務経験もあるため、普通に英語を話し(いわゆる”英語ペラペラ”なレベル)、たまに英語圏プレイヤー向けに流暢な英語での挨拶や説明を行う時がある
  • スクエニのコミュニティ部門のトップとして、頻繁にロサンジェルスおよびロンドンのスクウェア・エニックスオフィスを訪れており、出発の際には空港で”安全祈願”と称して蕎麦+ビールの写真をTwitter投稿する
  • 既婚、休日の外出(御朱印めぐり)と写真、映画鑑賞などが趣味。※なお御朱印めぐりはブームで過剰人気になりはじめて以降はややペースが落ちた模様。
  • 愛車はインプレッサ(痛車ではない)。2018年現在はフォレスター
  • たまに、「コストコで仕入れた」 or 「釧路の実家から送られてきた」食材を使っての手料理。調理家電大好きで2020年ごろからハマっている模様。
  • カレー(ココイチ)及びザンギ(唐揚げ)をとくに好み、1週間のうちこの2食で占められることがほとんど
  • ペット:ヤマダ(パグ、2010年10月~2022年2月20日)、だいふく(フクロモモンガ、2020年9月?~)、サト(パグ、2021年10月~)
    • ※ペットの写真は、bucco.smugmug.comで大量に公開されている。
    • ※ヤマダは、FF14のオフィシャルブログなどで登場するパグ(ぬいぐるみなど)のモデルにもなっている。オフィスのモニターにも小さなパグのフィギュアらしきものが所狭しと並んでいる
  • 北海道釧路出身
    • 北海道大学 経済学部中退、釧路湖陵高等学校卒業(Facebookプロフィールによる)

スクエニ入社経緯

  • 札幌の大学生の頃、Diabloやっててハマってた。そのうちUO(UltimaOnline)が出てきて、こーれは面白いぞとさらにハマった。そのうちプレイヤーだけでは我慢ができなくなった。
  • ちょうどそのころEA(当時のエレクトロニック・アーツ・ビクター株式会社。当時ウルティマオンラインの日本国内運営・サポートをしていた)がGMを募集していたが当時は大学4年だったので、(卒業時期まで募集が続くのか確認するため)「募集いつまでですか?」と聞いたところ、「いつまで募集するかわかんない」といわれたので、思い切って大学を辞めアルバイトとして入社した。だから大学は中退。

    このあと、1998年4月にEAがスクウェアと提携し、エレクトロニック・アーツ・スクウェアを設立。2003年3月に同社はスクウェアとの合弁を解消し、米エレクトロニック・アーツが全株式を取得。日本法人はエレクトロニック・アーツ株式会社となっている。室内氏はこれ以前(2001年12月)にスクウェアに移籍したことになる。

    ただし実際には担当教授と室内氏の親とで内緒の話があり、「あいつ飛び出していったけど1年間は休学扱いにしておく」という話がなされていたのだという。(当時UltimaOnlineのゲームマスターで充実していた)室内氏本人は知る由もなく後でその話を聞いたという。

  • その後スクウェアがFF11を始めるけどどう?とお誘いがあり、そのままFF11のGMに(FF11は2001年12月β開始)。そんなこんなで、はや10年になるという。
  • 2018年のインタビューでは、上記生放送よりも詳しく語っている。
    室内 私がこの業界に入ったきっかけは、まずはPCゲームの『ディアブロ』にハマって、そのまま『ウルティマ オンライン』にもハマり、プレイヤーとして熱中しすぎた結果、向こう側(運営)の人になりたいと思ったことですね。そこから『ウルティマ オンライン』のゲームマスターのお手伝いをするという、ボランティアプログラムに参加したりしていました。それでも飽き足らず、ゲームマスターになりたいなと思い始めて。ちょうどそのときに、のちの私の上司になるSage Sundi(セージ・サンディ)が『ウルティマ オンライン』のゲームマスターチームのトップにいて、彼から声を掛けられてゲームマスターになったんです。

    ──オンラインゲーム好きが高じて業界に入ったというわけですね。そこからスクウェア・エニックスに移籍するわけですが、どのような経緯があったのですか?

    室内 ゲームマスターになった後、スクウェアがMMORPG(つまり『FFXI』)を作るという記事をファミ通で見たんです。うわ、相当きびしいだろうなこれ……と思っていたわけですが、当時のスクウェアの偉い人たちが、合弁会社だった僕たちのオフィスに視察にやってきて。そのときに、ヘッドハンティングの話が持ち上がりました。どうしようかと仲間内で話し合い、結論としては、スクウェアがMMORPGを運営したら、日本でのスタンダードは絶対そっちになるだろうと。どうせだったらスタンダードになるところでやろうよということで、Sage Sundiにくっついてスクウェアに入社しました。それが2001年12月ごろ、『FFXI』の運営が始まる半年くらい前ですね。

    ──そこからしばらく『FFXI』に関わられていたんですよね。『FFXI』から『FFXIV』に業務が切り換わったタイミングは?

    室内 チーム全体で言えば、どちらも業務の範囲で、どこに軸足を置いているかという違いですね。私個人の話で言えば、『FFXIV』の生放送に出ていたりもするので、外の方からしたら『FFXIV』の人に見えているかもしれませんが、スクウェア・エニックスのオンラインゲーム全体を担当しています。

    ──オンラインゲーム全体というと、『ドラゴンクエストX』もですか?

    室内 そうですね。『ドラゴンクエストX』ではコミュニティ運営こそ担当していませんが、不正対策やカスタマーサポートなどを行っています。業務内容は順当に広がっていっているのかなと。

    ──なるほど。ちなみに、海外のファンフェスティバルなどで流暢な英語を披露されていますが、これはどこで身につけられたのですか?

    室内 英語はもともと好きで、勉強もしていました。仕事上では、『ウルティマ オンライン』を担当していたころ、アメリカの本社に意思を伝えるには、自分の口で言わないことには始まらないというのがあって、そこで読み書きの部分をトレーニングさせられた感じです。そこからスクウェアに入った後、『FFXI』の運営を拡大させるために、ヨーロッパに2年間行くことになるんです。「ブッコ(室内氏の愛称)はある程度英語の読み書きができるから、なんとかなるでしょう」というノリで放り込まれて(笑)。あとは、ひたすら実地訓練のような形で英語が話せるようになりましたね。

    ──そんな経緯があったとは。

    室内 私にとってはサバイバルのようなものでした(笑)。そこからは、MMORPGを中心としたゲームの話くらいは英語でやり取りできるようになりましたね。でも、旅行などでのコミュニケーションはいいとして、まったく違う業界の会話を英語でできるかと言われたら、語彙的にきびしいと思います。偏った英語ですね。

    『FFXIV』名物スタッフに聞く! 『FFXIV』との出会いと運営にまつわる裏話 - ファミ通.com
  • 2022年のインタビューでも、同じような内容をさらに詳しく語っている。
    ──そしてその後、Sundiさんといっしょに『FFXI』チームに移籍する形になるわけですが、改めてその経緯を教えてください。

    室内 いままで話の流れで“チームごと移籍した”と思われがちですが、じつはそうではありませんでした。経緯としては、まず当時のスクウェアが『FFXI』のサービスを開始するにあたり、オンラインサービスのノウハウがなかったので、合弁会社であるエレクトロニック・アーツ・スクウェアの『UO』に注目したわけです。どちらの会社も当時は目黒にあって近かったので、『UO』の運営やサポートがどうなっているのかをスクウェアのスタッフが見学しに来ることが何度かありました。その流れで、まずSundiさんがスクウェアに移籍するという話になって、そのときに「いっしょに来てくれないか?」と言われて、「行きます!」となったのが、私ともうひとりのスタッフだったのです。そのあと1年くらいかけて何人か移って来たスタッフもいたのですが、最初に移籍したのは3人だけでした。

    ──時期としては『FFXI』のサービスが始まる前ですか?
    室内 私がスクウェアに入社したのが2001年の12月なので、βテストの直前くらいです。

    ──というと、βテストには関わられていなかったのでしょうか。
    室内 βテストの途中からですが、GM機能のテストをしたり、GMの姿をお披露目するために街角に立ったりすることが何回かありました。ただ、βテストの運営自体にはそれほど絡んでいませんでしたね。
    ──『FFXI』のゲーム画面を初めて見たのはβテスト時代だと思いますが、そのときの印象はいかがでしたか?
    室内 単純に「すごい! (グラフィックが)キレイ!」と思いました。MMORPGはゲームの仕様的にグラフィックをリッチにするのはどうしても難しくなりがちですが、オフラインのゲームにも見劣りしないようなグラフィックで、しかも家庭用ゲーム機のプレイステーション 2で動いている。「これが動くんだ!」という驚きがありました。あと、バグの圧倒的な少なさにも感服しましたね。

    ──GMの対応といえば、『FFXI』プレイヤーにとっては「何故ここに転送されたかおわかりになりますでしょうか」のセリフ(※)が印象的な方が多いと思います。
    ※あるプレイヤーがGMによってモルディオン監獄(GMがプレイヤーと会話をするために用意された専用エリア)に呼ばれた際に撮影したスクリーンショットによって広まったセリフ。
    室内 じつはそのセリフは、「いまも働いているGMの中でも、果たして何人が言ったことがあるのかな」というくらい、ほとんど使われたことがないフレーズなんです。インパクトがすごく強いことと、ネタにしやすい部分があるため、広まったのではないでしょうか。

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司会

  • 元々FF11時代からイベントごとでは司会や進行役として登場することも多く、旧FF14の初期プロモーションイベントでは「りえこむ」こと片山理恵子氏とペアで登場することが多かった。
  • その後吉田直樹氏がプロデューサー兼ディレクターに就任した現体制(新生エオルゼア開発体制)になってからは、司会進行役としてプロデューサーレターライブに登場することが定着しており、また公式フォーラムにおいて”もるぼる”としてユーザー対応をすることが多くなっている。

14時間生放送でのコスプレ

  • 室内氏といえば、新生周年記念に行われる「14時間生放送」でのコスプレが定番化している。詳細は「14時間生放送」を参照のこと。
    室内氏
    室内氏
    室内氏
    室内氏
    室内氏
    室内氏

冠番組「モルボルのハウジング行ってもいいですか」

  • 初回放送
    • 放送日時:2023年3月2日(木)20:00頃~
      ※開始時間は変更される場合があります。
    • 出演:室内俊夫(グローバルコミュニティプロデューサー)
    • 視聴方法
      • YouTube Live
      • Twitch

FF14でのキャラ

  • ワールド及びキャラクター名は明かしていないが、ルガディン族男性のキャラクターで白魔道士を主として使用していることを明らかにしている。
  • 白魔道士(幻術)を選んだ理由として次のように述べている。
    幻術。
    
    UO/AC➡️メレー
    XI➡️戦
    EQ2/WOW➡️キャス(DOT系
    SWG➡️ペット+レンジ
    その他➡️キャス/ネクロ系
    
    などなど、MMO人生に於いてヒーラーが無経験だったので、そろそろ生殺与奪を握ってみようかと( ^ω^)
    
    #FF14最初に選んだクラスとその理由

モルボル怒りの

  • 「モルボル怒りの~」とは、モルボル(Community RepチームのFoxclon)こと室内氏がフォーラム対応を行う中で出てきた言葉。
  • 初出は恐らく2013年2月末で、あるテスターが開発運営の神経を逆なでするようなコメントを書き込んだところ、過去レスを引用して即レスしたことに始まると思われる。この行動が某巨大掲示板で次のように書かれた。
    51 既にその名前は使われています 2013/02/27(水) 14:50:46.44 ID:kTVzuxs8
    モルボル怒りの過去レス引用しつつの即レス 
  • この時は話題にならなかったのだが、翌日にもモルボルが開発コメントを連投したことが同掲示板にて次のように報告された。
    583 既にその名前は使われています 2013/02/28(木) 14:47:26.02 ID:eVabedHb
    モルボル怒りの連投ワロタ
    633 既にその名前は使われています 2013/02/28(木) 14:57:08.98 ID:kDk96EeR
    >>615
    ドラゴン怒りの鉄拳
    ランボー怒りの脱出
    モルボル怒りの連投
    
    映画化決定だな。 
  • 以降、某巨大掲示板では、度々モルボル氏の行動を「モルボル怒りの~」と取り上げられることが相次いだ。
  • これに対して当の本人はPLLなどのコメントに対して「怒ってないですよ。」といい、また吉田Pも「いつも微笑んでます。」とフォローし、不正プレイヤーのBAN対応でも微笑みながら行なっているという話にまで発展した。
  • その後、腹を立てながら行うような行動以外でもこのフレーズが使われるようになった。
    モルボル怒りの動作保証
    (`ω´)モルボル怒りの休日 
    モルボル怒りの疲弊感 
    モルボル怒りの特急電車
    モルボル怒りのから揚げ定食 
    モルボル怒りのレモン絞り 
    モルボル怒りの白米 

FF14運営チームとは

  • 室内氏の管轄している部署のひとつである「FF14運営チーム」について、2016年8月に行われた14時間生放送中での第13回コミュニティ放送において、概要が説明されたことがある。あくまで当時の組織および役割だが参考のために掲げておく。
  • この中では、ゲームマスター(GM)、ネットワーク監視(NOC)、スペシャルタスクフォースについて説明された。
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参考)2022年時点での室内氏とFF11

  • ではFF11とはどのような関わりなのか?

    ──『FFXI』にはどのように関わられていますか?
    室内 現在は私が直接手を動かしている作業はほとんどないのですが、望月が見ているコミュニティチームや、GMチームやスペシャルタスクフォースに何かあれば、状況を報告してもらって把握し、どういう方針にするのかを決めたりしています。

    もちろんカスタマーサポートとして関わったタイトルはたくさんあります。しかし、運営として関わったタイトルは、『FFXI』と『FFXIV』の2タイトルだけです。ひとつのタイトルを担当し続けることが幸せだという人もいれば、いろいろなタイトルに関わることが幸せだという人もいると思いますが、自分としては、なかなか人にはできない経験をしているという実感がありますね。
    ファイナルファンタジーXI 20周年記念サイト WE ARE VANA'DIEL | SQUARE ENIX

関連サイト

主に欧米のMMOを中心とした、コアっぽいマニアックなオンラインゲーム関連ネタをご紹介しています。
元々はAsheron's Callのギルド名だったところ、2003年にStar Wars Galaxiesのファンサイトとしてウェブサイト活動も本格的に開始。以降、紆余曲折を経て、2006年か2007年か頃にMMO全般を扱うニュースサイト化。現在に至ります。
主に欧米のMMOを中心とした、コアっぽいマニアックなオンラインゲーム関連ネタをご紹介しています。日本限定、アジア(韓国・中国)限定などのネタは基本的に取り扱っていません。ほか、業界の動き的なネタも欧米中心に扱っています。

「4Gamer.net」創業期お手伝いの経緯

https://www.youtube.com/live/wrsew8UdnGA?si=QTVX1hFKFIT2-FCD&t=28767

  • 岡田和久氏(Aetas代表取締役社長 兼 4Gamer.net編集長)がまだソフトバンクに所属して「DOS/Vマガジン」を担当していた頃、仕事もしないで朝から晩までずーっとDiabloをプレイしていたという。当時はテレホーダイ時代で、23時までは会社でDiabloやって、23時から朝の8時までのテレホタイムは家でプレイしていたのだという。
    • 室内氏側で言うと、上記「スクエニ入社経緯」の「札幌の大学生の頃、Diabloやっててハマってた。そのうちUO(UltimaOnline)が出てきて、こーれは面白いぞとさらにハマった。」のDiablo時代ということになる。
  • 当時の編集長は大変理解があって、どうせなら編集部の名前でちゃんとチャンネルを作りなさいと言われたため、「DOS/Vマガジン」というチャンネルを(バトルネットに?)作ってやってたらそこに現れたのが(当時北海道の学生であった)室内氏だったという。室内氏をDiabloに誘った高校時代からの友人である「青木くん」なる人物が、先に岡田和久氏と出会っており、その経緯から出会った説を唱えている。
  • また別の説では、当時の「DOS/Vマガジン」に「PCゲームレビュー」というコーナーがあり、そこを手伝わないか?と誘われ二つ返事で引き受けて書いたのがモノポリーのレビュー記事を書いたのだという。※ライター名は「Bucco」ではなく、Buccoになったのはもう少し後なのだという。MMORPG「Asheron's Call」というゲームがあって、世間では次はエヴァークエストがと言ってた頃に「Asheron's Call」(サービス期間:1999/11~2017/1)に走った小さい派閥があり、室内氏もその一人であったという。その時に「外国人ぽい名前だけど日本人が読まないと意味が通じない名前」が仲間内で流行っており、考えて生まれたのがBucco Roth(ブッコロス)だったのだという。
  • 岡田氏は飲み会の後電車の駅につくまでの間に、当時の編集長から「新しいことやんなよ」程度のノリで当時は珍しかったWebメディアを立ち上げる事になったが、ソフトバンクは紙のメディア会社であって許可は下りず、しかし編集長は「好きにやっていいよ。自分の金で」ということで、仕方なく自腹でドメインを購入しサーバーを買って記事を書こうと思った所、HTML(Web記述言語)がわからないことに気づくが、そこで室内くんがHTMLわかるって言ってた気がするということで声をかけたらそれも二つ返事で引き受けてくれたのだという。
    • 要するに記事文章本文を岡田氏が記述し、それをHTML化してFTPサーバーにアップロードする作業を室内氏がやっていたものと思われる。ソフトバンクや岡田氏などとの雇用関係ではなかったが、岡田氏が当時の編集長からナイショしたお金からお小遣い程度にもらっていたという。ソフトバンク社内でのサーバー設定なども含めて現在では考えづらい話になっているが、まさに立ち上がろうとしていた時期の当時のWeb界隈はそのような「ゆるーい関係」だったということを両人何度か繰り返している。
  • 室内氏自身はUltimaOnlineのギルドのホームページを自分で作っていたことがあり知っていたのだという。当時リクルート系のゲーム雑誌(「あちゃら」)からファンサイト(とは当時は呼ばなかったが)を作ってる人を紹介するコーナーがあり、そこから取材を受けた経験もあるという。当時HTMLを使ってサイトを作ること自体は、北海道在住の学生・室内氏を飛行機代を払って東京に呼び寄せた上で取材するくらいには珍しい技能であったという。
  • 実はソフトバンクには「GameSpot」という名のゲームメディア(元はアメリカ発で、ソフトバンク傘下のZDNet Japanが運営していた)がすでに存在しているため、そことバッティングする上に、Webメディアなんてもうからないから止めちまえ的なことを言われたため、売られた喧嘩を買う形で岡田氏はチームを率いてソフトバンク社を出たのだという。そこで孫泰蔵氏(孫正義氏の弟)から投資を受けて第二期「4Gamer.net」が立ち上がったという。
    • ※この第二創業期に室内氏がなぜ居なかったのかについては不明だという。どこかのタイミングで「4Gamer.net」のサイトはCMS(コンテンツマネジメントシステム。ブログシステム的なもの)が入ったことによりHTML手書きの人材は不要となった(記者が直接文章を書けばHTMLの記事が出来上がる)ことから、自然とフェードアウトしていったんじゃないかと思われる、ということである。また一方の話では、スクウェア社に入社したのが2001年の12月であり、それより少し前に「UltimaOnline」が登場して世界が一変した室内氏にとっては「UltimaOnlineのGM(ゲームマスター)になれます」という2000年頃の募集には矢も盾もたまらずに応募したのだという。
  • 室内氏自身が「4Gamer.net」に寄せた”年末恒例企画「ゲーム業界著名人コメント集」”において、次のように述べている。

    スクウェア・エニックス
    「ファイナルファンタジーXIV」グローバルコミュニティプロデューサー
    室内俊夫

    もうひとつ個人的には、4Gamerの創設メンバーのひとりといたしまして、ファイナルファンタジーXIVともども4Gamerもどうぞ引き続きご贔屓にお願いいたします!

関連項目

スクウェア・エニックス

スタッフ:【Sage Sundi】 【マイケル・クリストファー・コージ・フォックス】 【マット】 【ミニオン同盟】 【佐藤弥詠子】 【前廣和豊】 【千葉知樹】 【吉田明彦】 【吉田直樹】 【和田洋一】 【岩尾賢一】 【市田真也】 【政尾翼】 【新納一哉】 【松井聡彦】 【松田楠緒】 【松野泰己】 【橋本善久】 【河本信昭】 【片山理恵子】 【生江亜由美】 【田中弘道】 【皆川裕史】 【石川夏子】 【祖堅正慶】 【織田万里】 【鈴木健夫】 【馬場敬一】 【髙井浩】 【髙柳早紀】 【髙橋和哉