漆黒秘話

漆黒秘話(しっこくひわ / Tales from the Shadows)

※「漆黒秘話」はパッチ5.0で実装されたメインシナリオのネタバレを含むため、まだメインシナリオをすべてコンプリートしていない方はご注意ください。

Table of Contents

概要

「ファイナルファンタジーXIV: 漆黒のヴィランズ」に登場したキャラクターたちの、
語られなかった想いなどを綴った特別な読み物「漆黒秘話」を公開しました!

第一話~第四話

「漆黒秘話」は全4回を予定しており、第1話は「その名に願いを」と題しお送りします。

漆黒秘話 第1話「その名に願いを」

ここ、リムサ・ロミンサにおいては、後ろ暗い奴こそ白を纏う。それが一番、街並みに溶け込むからだ。白い髪を持つお前は、生まれながらに悪党向きってわけだな――
まだあどけなさの残る、幼いサンクレッドの髪をひっつかんで、男は吐き捨てるようにそう言った。両者の間に血の繋がりはない。物心つく前に親に捨てられ路上で生きてきた少年と、それを二束三文で雇って悪事の片棒を担がせようとする商人……それだけの間柄だ。
時はまだ、メルウィブによって海賊禁止令が敷かれる前の時代。強さこそが生きる道となる海都において、商人を睨め上げつつも無言で耐える少年のことを気に掛ける者はいなかった。

悪辣な雇い主がいれば、少しはマシな雇い主もいた。簡単な仕事に喜んでいたら、次は酷い目を見ることもあった。何にせよ、仕事が終われば縁も切れる……そんな関係を積み重ねながら、サンクレッドは育っていった。幸か不幸か、彼はとびぬけて器用で身軽、機転もよく利いたので、誰に庇護されずとも生きていけてしまったのだ。
そのうちに、海賊たちすら恐れる「掟」の番人、シーフギルドに味方するのがウマいと踏んで手を貸すようになったが、そこに籍を置こうとはしなかった。彼らの中で静かに燃えている、何か誇りのようなものは、サンクレッドには分かち合い難いものだったのだ。

しかし、そんな漂流にも似た生活は、唐突に終わりを告げることになる。
サンクレッドはその日、外洋航路船の入港で賑わう埠頭でひと稼ぎしようと考えていた。
早い話が、窃盗である。
そしてある上品そうな老人の荷物に手を出して……あろうことか、返り討ちにされたのだ。
魔法によって手足の自由を奪われ、白い石畳に転がされながら、官憲に突き出されることを覚悟して歯噛みする。しかし老人は、人を呼ぶどころか集まり始めていた野次馬を散らして、いかにも気さくな様子でサンクレッドに声をかけてきたではないか。

「わしの名はルイゾワ・ルヴェユール。
 知の都シャーレアンから、研究のためにここへ来た。お前さんの名は?」

「……サンクレッド」

「姓は? 家族はどうした」

「ない……知らない……」

ルイゾワはしばし考え込むと、とても大事なことを明かすような、静かながらも真剣な調子でサンクレッドに説き始めた。その天賦の身軽さや器用さを、自分が生きるためにではなく、誰かのために使え――それこそがいずれ、サンクレッドを幸せにするというのだ。
サンクレッドは黙っていたが、その渋面からは「そんなこと言われたって」という困惑がありありと窺える。ルイゾワはそれを慈しむかのように微笑むと、驚くべき提案を持ち掛けた。
シャーレアンに渡り、才を役立てる術を学ぶのだ、と――

こうしてサンクレッドの新たな生活が始まった。
ルイゾワは彼に「ウォータース」という仮の姓を与えた。河川と知識を司るサリャクを守護神とするシャーレアンは、水を知の象徴と考える。サンクレッドがここで多くの学びを得られるようにという、ルイゾワらしい気遣いだったのだろう。
同時に彼は、サンクレッドを諜報活動の名手に預けることにした。
飽くなき知の収集が続けられているシャーレアン本国においては、諜報の技術もまた「正当に」評価をされている。その道でなら、サンクレッドの才も活きるに違いないと考えたのだ。

実際、サンクレッドは早々に己の立場とすべきことを察して、懸命に学んだ。
隠密行動をとるための身のこなしはもちろん、いかなる環境にも潜入できるように、立ち振る舞いや知識を教えられるだけ詰め込んでいく。
彼から海都の路上で暮らしていた少年の面影が消え、誰の懐にも入り込める飄々とした青年へと成り代わるまでに、さほど長い時間はかからなかった。
やがてその首元には、卓越した技能を認められて「賢人」となった証として、タトゥーが彫り込まれた。久々に会ったルイゾワは、それをいたく喜んでくれた。


当時はまだ「アシリア」と呼ばれていた少女と出会ったのは、ちょうどその頃だ。
ルイゾワの結成した「救世詩盟」に加わったサンクレッドは、エオルゼアの地に忍び寄る戦乱の兆しを受けて、密命を帯びてウルダハを訪れていた。
表向きは剣術を習得するための留学となっていたが、実際は蛮神についての知識を交渉材料として国の中枢に近づき、急速に国力を増しているガレマール帝国への対策を促すことが目的だった。
そんな折に発生した悲惨な「事故」により、サンクレッドの目の前で、その少女は天涯孤独の身になってしまったのだ。あのとき――父の亡骸にすがって、必死に呼びかけるアシリアを見たときの気持ちを、簡潔に表すのは難しい。
いつかの自分と似た境遇に転落した少女を哀れんだような気もするし、それでも「あらゆる方法を使って」生きていかなければならないと知っているからこそ憂いたのかもしれない。
あるいはもっと身勝手に、多くの技術を身に着けてなお何もできなかった自分に、ただ落胆していたのかもしれない。
――何にせよ。
形容しがたいその気持ちは、それでも、ひとつの言葉になって零れ落ちた。
「護れなかった」という、無念だった。

しかしアシリアは幸いにも、フ・ラミンという保護者を得ることができた。
そうなるともう、部外者であるサンクレッドが目を掛ける理由はないのだが、彼女の父が帝国軍の二重スパイであったという事実が発覚したため、もう少し様子を見ることにした――少なくとも、当時のサンクレッドはそう理由づけた。
もちろん優先すべきは自身に与えられた使命だが、ウルダハにいるときは時間を見つけて会いにいったし、彼女が物騒な事件に巻き込まれないよう、未然に「困った連中」をつぶしに行ったこともある。それが街のチンピラ程度ならばいいのだが、父親の遺した因縁か、帝国のスパイが彼女の周囲で見つかったときには嫌な汗が出た。
サンクレッドはアシリアに、当面は偽名を使って生きていくことを提案した。これから新しい人間関係を築き、彼女の髪色のような明るい日向を歩いていきたいなら、絶対にそうした方がいい。
アシリアはしばし考え込んでいたものの、やがて納得したのか、「……どんな偽名がいいかしら?」とサンクレッドに問いかけた。
サンクレッドはしばし閉口したのち、「ミンフィリア」という、ハイランダーとしては平凡な、かといって白々しく感じるほどありがちではない名前を挙げた。
いつかルイゾワが与えてくれた姓のように気の利いた意味を持ってはいなかったが、四六時中そばにいるわけではない自分に代わって彼女を護ってほしいと、願いを込めて。
アシリアは、微笑んでその名を受取った。

ある晩、情報収集も兼ねて酒場に向かおうとしたサンクレッドは、薄暗いウルダハの路を歩くミンフィリアを見つけた。ピックを背負っているので、採掘稼業の帰りだろう。


「どうしたんだい、ミンフィリア。普段はもう少し早く上がるだろう」

「あら、サンクレッド。今日はちょっと、トラブルがあってね……遅くなっちゃった」


肩をすくめるミンフィリアに「送るよ」と声をかけ、ふたりは並んで歩きだす。
ミンフィリアフ・ラミンが住んでいる小さな家はそこからさほど遠くなく、今日のトラブルとやらの顛末を聞いたり、最近耳にしたくだらない噂話に笑いあっている間に、すぐ到着してしまった。

「送ってくれてありがとう。あなたはこれから飲みに行くの?
 あんまり酔っぱらっちゃだめよ。すぐに女の人にちょっかいを掛けるんだから……」

「はいはい……しかと胸に刻んでおくよ」

サンクレッドの投げやりな返事に、ミンフィリアは「もう!」と拗ねながら家の扉を押し開く。中から温かな橙の光が広がって、サンクレッドと暗い路地を照らした。
ミンフィリアは手を振りながらその光の中に溶けていき――刹那の情景を引き裂くような軋みを上げて、扉が閉まった。

間もなく、扉越しに声が聞こえる。
「ただいま!」「あら、おかえりなさい」

元の暗がりに戻った路地で、サンクレッドは静かに息を吐いた。
その姿は半ば闇に溶け、表情を窺い知ることもできない。
ただ、彼はぐずぐずとそこに留まったりはしなかった。
扉の向こうを思う必要はない。自分の役目は精々、彼女を無事に家に帰すことなのだ。
それはちっぽけな意地のようで――それでも砕けることのない、彼の誇りだった。

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あの日々から、ずいぶんと時が経った。
サンクレッドは今、ゆえあって第一世界に降り立ち、歓楽都市ユールモアの地下室で息をひそめている。
その地に幽閉されているという、ある少女を救い出しに来たのだ。

この街の建物は白い岩礁を用いていて、違うと理解していても、リムサ・ロミンサを髣髴とさせる。
だからだろうか……いつか自分を雇った悪徳商人に掛けられた言葉を、ふと思い出した。
『この街では、後ろ暗い奴ほど白を纏う――』
サンクレッドは、変装のために身に着けていたユールモア兵の甲冑を脱ぎ、自前の純白のコートに袖を通しながら、呆れたような笑みを浮かべた。強化繊維で作られたそれはあらゆる攻撃から身を護ってくれる優れもので、双剣をガンブレードに持ち替えて盾役をこなすようになった彼には必要不可欠な装備だった。
一方で白を選んだのは、光に満ちたこの世界において保護色になりやすいからだ。
もしも自分が気高い騎士だったなら、あえて漆黒を纏って正面からこの街と対峙していただろうかと考えたが、一度の瞬きで思考を切り替える。
大事なのはやり方じゃない、結果だ。「彼女」を何としても救わなければ。

ユールモアを形成している巨大な岩礁は、無論、海面下にも続いている。
それをくりぬいて作られた広い地下空間は、ある時代には備蓄倉庫として、またあるときには罪喰いから人々を護るシェルターとして使われてきたらしい。
そして現在、ヴァウスリーが元首を務めるようになってからは、監獄と、メオルをはじめとした食料の貯蔵庫として使われている。

その最奥に、目的の部屋があるということは、事前の綿密な調査によって明らかだった。
サンクレッドは見張りの目を掻い潜って進みつつ、帰路の妨げになるであろう者は昏倒させ、しばし身動きできないように拘束した。正直なところ、いかにユールモアの警備が手厚かろうが、彼一人ならば出入りはたやすい。しかし誰かを連れるとなれば……しかもそれが恐らく戦闘の経験すらない少女ともなれば、難易度は跳ね上がる。彼が第一世界に来てから作戦決行に至るまでにかなりの時間を要したのは、ガンブレードの修練も含めた、「ふたりで」脱出するための準備が必要だったからだ。
サンクレッドは、何度目かの番兵の処理を終えて、やっとその部屋の前に立った。
その中にいる少女は、第一世界の人々に「光の巫女ミンフィリア」と呼ばれているが、サンクレッドの知る彼女そのものではないだろうと水晶公には言われていた。
それでも、たった一縷の繋がりであれ、彼女に通じているならば――自分は、必ず駆けつける。
サンクレッドは小さく息を吐いて、素早く扉の鍵を外した。

その部屋はあまりに普通で、それがかえって異様だった。
簡素ながらも柔らかそうなベッドと、小さめの収納棚。机と椅子は一揃いで、勉強でもしていたのだろうか、紙とペンが置かれている。一番大きいのは本棚だ。種類ごとにきっちりと、隙間なく本が収められている。地下だから窓はないが、不満に思うのはそれくらいだ。
――だからこそわかる。ここはやっと捕まえた「光の巫女」を、絶望も希望も抱かせることなく、ただ終の瞬間まで飼い続ける場所なのだと。
その中央に少女がひとり。突然の見慣れない来訪者に、水晶色の瞳をみはっていた。

「あなた、は……」

恐る恐る上げられた声は、サンクレッドの知るミンフィリアのものとも、幼いアシリアのものとも違った。思わず胸が詰まるが、努めて顔には出さないようにした。

「ここを出るぞ……ミンフィリア」

その名に込めた願いを思い出す。
あの日、確かに自分の目前にいたはずの少女の笑みを思い出す。
この先何があってもそれを忘れまいと、渾身の力で己の心に刻み付ける。

そうして差し出した手を、少女の小さな手が、ためらいがちに掴んだ。
――ふたりの間に結ばれた絆に、名前はまだない。

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漆黒秘話 第2話「黒き歴史の欺瞞」

クガネ最大の酒場である「潮風亭」の一角で、奇妙な組み合わせのふたりが呑んでいた。

「素直じゃないなぁ。さっさと認めなよ、僕を連れてきて正解だったって」

もう何度目になるかわからない連れの言葉に、うんざりとしながら男はツマミに手を伸ばす。イカを天日干ししたもので、「スルメ」というらしい。

「黙れ、チビ。
 そもそも、お前が仕入れてきた情報が正確だったら、こんな苦労はしていないんだぞ」

火で炙ったスルメを咥えた男、エスティニアンが睨みつけた先にいるのは「人」ではない。
白い鱗を持つドラゴンの幼体だ。名をオーン・カイという。
かつて「蒼の竜騎士」として竜狩りを続けてきた男と子竜とが、なぜ東の果てで呑んだくれているのか。少々、説明が必要だろう。

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時は少し遡る。
ギムリトの戦場にて窮地に陥っていた英雄を救い出したエスティニアンは、昏睡状態にある「相棒」をイシュガルドの陣営に送り届けると、その目覚めを待つこともなく立ち去った。
槍を振るうことしか能のない自分にできることはない。ならば前線へと戻ろうかとも考えたが、聞けば皇太子ゼノスの撤退に合わせて、帝国軍の動きも沈静化しているという。
では、どうするか――
そんな時、ふと舞い戻ったクルザスの雪原で彼を呼び止めたのが、オーン・カイだった。この妙に人懐っこい子竜は、はるか千年の昔に行方知れずとなった父竜の番いを捜すため、かの英雄と東方を旅したことがある。その旅先でエスティニアンは偶然に出会い、一度、共に戦ったことがあったのだ。
そして、オーン・カイは、彼を見つけるや、旅に連れて行けと求めてきたのだった。
どうやら東方の旅路で冒険に魅せられたようで、旅の道連れを探していたらしい。

「子守りは御免だ」

エスティニアンは、にべもなく断った。だが、オーン・カイも諦める様子はない。
逆にエスティニアンに対して年齢を聞くと、得意げに「僕は、その10倍は生きているんだから、子守りをするのはコッチだね」と笑う始末。
終始、この調子で食い下がられては、頭も痛くなるというもの。

「蒼の竜騎士は廃業したつもりだったが、
 久しぶりに竜を狩るのも悪くないと思えてきたぞ」

冗談半分で槍を突きつけてみると、オーン・カイは喜々とした表情で叫んだ。

「それだ!」

オーン・カイいわく、番い竜を探す旅の途上で、古くから東方で信奉されてきた「セイリュウ」なる竜の噂を聞いたことを思い出したのだという。
その竜は「東方の守護神」として崇められる一方で、一部の地方では「人食いの邪悪な存在」としても知られているらしい。

「ふたりでセイリュウの噂を確かめようよ!
 もしヒトを食べちゃう悪い竜だったら、ほっとけないじゃないか!」

かくして、蒼の竜騎士と子竜の旅は始まった。
だが、現地入りして方々を駆け回り情報収集をしてみると、「セイリュウ」なる存在は蛇の化身に過ぎず、彼らが知るところのドラゴンとは似ても似つかぬことが明らかとなる。
挙げ句、金銭に無頓着だったことが災いし、路銀を使い果たしたふたりは、食うにも困る状態に陥ってしまったのだった。
では、なぜ酒場で酒とツマミにありつけているのかと言えば、オーン・カイを見て「縁起物」だと喜んだ店の主人が、客引きをすることを条件に食事と寝床の提供を申し出てきたからである。

「ほらほら、僕を連れてきて良かったって言わなきゃ、スルメを炙ってあげないぞ!」

小生意気な子竜の言うことを聞くのは癪だが、ツマミもなく辛口の米酒を呑むのは御免だ。

「わかったから、ほら、火を吹けよ」

スルメを裂いて掲げると、オーン・カイが炎のブレスを吹きかけた。
香ばしい香りが鼻をくすぐると同時に、サッとスルメが朱に色づく。
さあ、もう一口。
店に新たな客が入ってきたのは、その時だった。

「いらっしゃいませぇ~!」

オーン・カイが陽気な声をあげると同時に、申し訳程度にエスティニアンも口を合わせる。

「らっしゃい……」

が、そこで言葉に詰まった。
来店したのは、ふたり組。いずれもララフェルの女性で――見覚えがある。

「見つけたでっす……!」

桃色の着物を身に着けた女性、タタル・タルが叫んだ。
もう一方の風変わりなフードを被った女性、クルル・バルデシオンは、一瞬、目を丸くしてから吹き出しそうな笑いを、どうにか押し殺しつつ語りかけてきた。

「竜騎士団から退いたとは聞いていたけれど、
 まさか居酒屋の店員に鞍替えしていたとは思っていなかったわ」

返す言葉もない。
それにも増して嫌な予感がする。これは面倒事の予感だ。

「じゃあな、オーン・カイ。
 この店にいれば、食うには困らんだろう。達者でな!」

甲冑一式を収めた麻袋を禍々しい槍の穂先に引っ掛けるや、エスティニアンは跳躍した。
吹き抜けを飛び上がり、上階の客席にタンと着地すると、すぐさま出口に向かう。
大道芸か何かと勘違いした酔客たちの拍手喝采を背に、夜のクガネを駆け抜ける。
そして向かったのは、クガネ大橋。まさか、異人の立ち入りが規制されたシシュウ方面に至るこの橋に逃げ込んだとは思うまい。
さてと、酔いでも覚まそうかと夜の大橋を行き交う人々を眺めていたら、またも例のふたりがやって来るではないか。

「その先は、この許可証がないと入れないでっすよ?」

タタルが何やら朱印が押された文書を手に持ち、ヒラヒラと揺らしている。
さすがは顔が広い「暁」の金庫番。正式な入国許可証まで手に入れていたらしい。いや、問題はそこではない。なぜ、ここに逃げたとバレたのか。

「チッ……」

すかさず飛び退き、海峡を往く船の帆柱に飛び移る。
面倒事は絶対に御免だ。こうなったら意地でも逃げてやろう。
そうして彼がたどり着いたのは、港街を眼下に見下ろすクガネ城の屋根の上だった。
さしもの「暁」も、ここまでは追ってこれまい。
だが、数分後に彼は、ふたたびタタルたちの姿を見ることになる。提灯を手にした赤誠組の隊士に案内され、曲輪を登って近づいてきたのだ。

「あいつら、なぜ俺の居所が……何か仕掛けがあるのか?」

本場コウシュウ仕込みの米酒がもたらした酔いゆえか、あるいは彼の性分ゆえか。
ともかく追われれば、追われるほどに意固地になってしまう。
徐々に近づいてくる提灯の灯から離れようと、エスティニアンは階下に飛び降りた。

「さて、朝まで耐えれば、こいつで出港だ」

いつの間にか空は白みはじめ、まさに暁の時を迎えつつあった。
日が昇れば、彼が密かに乗り込んだ廻船「黒母衣丸」はクガネから出港するはずだ。

「逃げても無駄でっす……!」

その声に、振り返ったエスティニアンが見たのは、やはりあのふたりであった。
さて、次は何処へと思考をめぐらした彼だが、その時、一方の女性が頭を抑えてフラリとよろめいた。

「だ、大丈夫でっすか! クルルさん!」

慌てたタタルが、膝をついたクルルに呼びかける。
夜通しの鬼ごっこで体調でも崩したか。であれば、自分に原因がないではない。
さしものエスティニアンも逃げるのを忘れて、介抱しようと思いかけたその時、またもクルルが押し殺した笑い声を漏らし始めた。

「視たわよ……蒼の竜騎士、エスティニアン……。
 あなた……相当に……プッ……」

こちらを向きかけたクルルが、サッと目線を外し、腹を抱えて肩を震わせている。

「クルルさん、エスティニアンさんの過去を視たのでっすか?」

背筋が凍りつくとは、この事か。
「超える力」と呼ばれる異能を持つ者たちは、しばしば対面した人物の過去を幻視するという。自分もかの英雄やイゼルと旅するうちに、幾度かそうした現場に居合わせたことがある。
では、何を視られたというのか。
この反応、まさか――思い当たる節が多すぎて、むしろまったくわからない。
が、視られては不味い過去を視られたに違いない。

「ふぅ……なにを視て、なにを視なかったのかは、ここでは触れないでおいてあげる。
 だから、少しお話を聞いてもらえるかしら?」

エスティニアンとしては、黙って肩をすくめるよりほかになかった。
かくして彼は、クルルの沈黙を引き換えに「暁」から仕事を引き受けることになった。
かの英雄やアルフィノたちが、その存在を掴んだというガレマール帝国の秘密兵器「黒薔薇」について調査し、可能ならば、それを破棄するという任務だ。
むろん、これを放置すれば帝国軍と対峙するアイメリクたち、祖国の騎士たちにも危険が及ぶだろう。ならば確かに、槍を振るうしか能のない自分にうってつけの役割と言える。

数刻の後、彼は近東の島国、ラザハンに向かう交易船の甲板に立っていた。
腰に結び付けられた革袋には、タタルが東方の伝承を巡る冒険で手に入れたという金貨が詰め込まれている。活動経費ということらしい。

「やれやれ、面倒な旅になりそうだ」

エスティニアンは、オーン・カイから土産だと渡されたスルメを懐から取り出して咥えた。
やはり、竜が炙ったスルメは美味い。

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一方、その頃、クガネの「潮風亭」では、子竜とふたりのララフェルが食卓を囲んでいた。

「それで、どんな過去を視たのでっすか?」

米酒の影響か、ほんのり頬を赤くしたタタルが尋ねる。
するとクルルが登り始めた朝日のように眩しい笑顔で答えた。

「私、彼の過去を視ただなんて一言も言ってないわよ?」

早朝の潮風が吹き抜ける酒場の店内に、ひとしきり笑い声が響いた。

漆黒秘話 第3話「第八霊災叙事録」

ワタシは記録する。
ヒトが「第八霊災」と呼んだこの時間を、記録する。
シド・ガーロンドによる証言を要約すると、彼が遭遇した事の発端は、次の通りである。

ガレマール帝国属州となっていたドマとアラミゴが、ときの総督を打ち倒して再独立。
それを機に他の属州でも解放運動が盛んになり、彼らを支持するエオルゼア同盟・東方連合と、ガレマール帝国は本格的に対立することとなった。
帝国軍はアラミゴとの国境地帯であるギムリトへと進軍し、これに対抗するため同盟軍も集結。和平交渉の場が持たれるも、決裂し開戦へと至る。
当初は武力で勝っている帝国軍が優勢だったが、戦闘が長期化すると、同盟軍が反転攻勢に転じた。兵の多くを属州から徴集している帝国軍に対し、祖国のために立ち上がっている同盟軍の「意地」の差であると後にシドは語ったが、その作用は依然としてワタシの理解が及ぶところにない。ゆえにほかの明確な要因を挙げるとすれば、「暁の血盟」が同盟軍に加わっていたことだろう。その存在が戦略戦術面での向上をもたらし、勝利に貢献していたことは、戦闘記録から分析可能な事実であるのだから。

そして、その日。
シドガーロンド・アイアンワークスの中核を務めるスタッフたちは、東州オサード小大陸の一角、ザ・バーンと呼ばれる場所に集っていた。
そこに配備されている青龍壁と呼ばれる防御機構を、帝国軍の次回侵攻に備えて強化してほしいとの依頼を受けたためである。それにあたって追跡・回収されたネロ・スカエウァも含め、現地で作業にあたっている最中に、「事態」は発生した。

最初に受けた報告は、簡潔なものだったとシドは言う。
エオルゼア方面の戦場で、何かとてつもない兵器が使用されたらしい。
 ラールガーズリーチの支社とも連絡がつかない』

――齟齬はない。矛盾もない。その時点で、既に全員が死亡していたのだから当然だ。
戦場で使用されたのは、「黒薔薇」と呼称された帝国製の兵器だった。
生命体が有するエーテルの循環を強制的に停止させ、数度の呼吸で死に至らしめるもの。
影響範囲は広大で、投下地点に近かったアラミゴ領では、生存者がいる集落の方が少なかった。近隣の黒衣森ザナラーンはもちろん、帝国領にいたるまで、広い地域で多数の死者を出したと記録されている。

なお、これらはすべて――このボディにはアイセンサーと収音マイク以外の観測機能が備わっていないため――あとから収集・保存した事実である。当該時刻のワタシは、オ・ゴモロ山の中腹に滞在しており、兵器が使用された現場には立ち会っていない。
ただ、ワタシの隣を歩いていた、黄色の羽根で覆われた同行者が、何かを察知したかのように顔を上げたことは記録している。



ワタシは記録する。
ヒトが「第八霊災」と呼んだこの時間を、記録する。
言語を発する機能を持たず、玩具としか認識されていないはずのワタシだが、不可解なことに、再会したシドたちは頻繁に声をかけてきた。
以来、彼らの発言が、記録が、ワタシに蓄積されていっている。
詳細については各データを参照することを推奨するが、概要は次の通りである。

黒薔薇がもたらしたのは、多数の死者だけではなかった。環境の変化だ。
停滞の力を帯びたその兵器によって、いくつもの地脈が流れを止めた。
エーテルの供給を断たれた土地は枯れ、ヒトの生息が困難な場所へと変わる。
すると周辺地域でもエーテルバランスが乱れ始め、ときにその歪みは、生物の性質をも変化させていった。以前まで主食としていた農作物が、一晩で有毒に変わるような事例もあった。それにより、さらに死者の数は増えていった。災害以前と同様の生活を続けることはできず、ヒトの持つ社会性という力を増幅せしめていた「国」という組織形態も、ほどなく体裁を保つことができなくなった。
変化は、エオルゼアのみならずガレマール帝国領でも次々に伝播していった。
彼らの生活と軍事力を支えていた魔導技術は、青燐水が激しく燃焼する際に生じるエネルギーによって成立していた。しかし黒薔薇を機に塗り替えられた世界では、青燐水は十全に特性を発揮することができなかった。従来の青燐機関は満足に稼働させることもできず、ただの鉄塊となった。

こうして死と変化に直面した生物たちが、何を始めたか。
――生存のための、闘争である。

中でもヒトは、積極的に戦闘を行った。
居住可能な土地を巡って。
少なくなった資源を巡って。
規制されることのなくなった欲によって。復讐という名目によって。
最も多くの同族を殺したのも、ヒトであった。

シドたちは、この状況に対して「泥沼」という言葉を頻繁に使った。
実際に沼地が生じたわけではない。一般的に沼とされるものの粘性と深さ、見通しの悪さに掛けて、解決困難な事態を表す比喩である。記録データを閲覧する際には、相違のないようにしたい。

そうして「泥沼」の争いを始めたヒトは、文化や社会性という特有の力を失い、より原始的な獣に近くなったとワタシは認識する。
しかし、そんな中でも、ヒトで在り続けようとする個体は残っていた。
ガーロンド・アイアンワークスの生存者たちも、その例である。

彼らは広がっていく戦火を食い止めるため、搾取される者を護り、搾取してしまう者を抑制するため、手を尽くし続けた。
それはときに賛同者を生み――それよりも頻繁に、彼らに仲間を失わせた。
あるララフェル族の技術者は、難民たちの村に井戸を建てに行った帰りに、野盗に襲われて致命傷を負った。仲間たちが手を尽くしても、衰弱する一方だった。
彼と常から行動を共にしていた大柄な技術者は、ベッドのそばを離れなかった。励ましの言葉とともに彼の手を握ると、彼は辛うじて意識を取り戻し、生きてほしいと仲間に願った。そして、できれば子孫に命を継いでいくようにと。
言われた方は「お前だって」と手を握ったまま返す。音声が波打っている。
すると彼は弱々しく笑い、掠れた声で言った。「自分はまだ、タタルさん一筋ッス」
ワタシの同行者もまた、彼に頬を寄せ、涙を流し続けていた。

――そして、ついにその涙が枯れるころ。
一層やつれた顔をしたシドたちは、拠点の一室で、長時間に渡って議論をした。
彼らだけでは、今の世界を修繕しきることなど、到底できない。
一方で、彼らしか有していない知識を用いることで、いくつかの効果的な選択肢を未来に残せるのではないかと推測していた。
それは同時に、自分たちや、同時代に生きる仲間を見捨てることにならないかとの意見も出た。シドはそれに頷いた。頷いた上で、「しかし、俺たちが生きたことが無意味になりはしない」と語った。以て、彼らの行動の指針が定まった。

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ワタシは記録する。
ヒトが「第八霊災」と呼んだこの時間を、今なお記録し続けている。

ガーロンド・アイアンワークスが追い求めたのは、黒薔薇の効果が想定を遥かに超え、第八霊災となった理由の解明だった。そして、それを根本的に回避する方法――すなわち、過去を改竄し、「霊災が起きなかった」歴史を成立させるための手法だった。彼らはこれまでの経験から、それが確立可能な理論であると信じていた。
とはいえ、多くのヒトにとっては、賛同するのが困難な行動であったことは、ワタシにも理解できる。獣が重要視するのは、今と、予想し得るわずか先の未来の安定だ。シドたちの行動は、彼らにとって価値を持たない。

実際に、離反する者がいた。
協力を拒む者もいた。
「いいから物資をよこせ」と襲い掛かってくる者がいた。

そういった者が大半で――しかし、そうではない者が、確かに存在した。

第八霊災の原因を突き止めるのには、魔法やエーテル学に通じた、識者たちが協力を申し出た。その中に「霊災が起きなければ、あの英雄が死ぬこともないだろう。だとしたら、まあ、いろいろな問題は起きるだろうが、今ほど世界は酷くならないはずだ」という旨の発言をした者がいた。まわりの識者たちは――どうやらそれぞれにあの人物と面識があったらしい――賛同の意を示した。
その仮説に何かプラスの作用があったのか、あるいはそうでなくとも彼らの知的向上心があれば成し得たことなのかは判断が不可能だが、のちに彼らは、霊災の仕組みと、第八霊災の真実を突き止めた。

また、「第八霊災が発生していない歴史を成立させる」という目的が、「かの英雄の命を繋ぐ」と言い換えられたことによって、より多くの賛同者が現れるようになった。
物資の不足が慢性的な問題となる中、食料を届けに来る者がいた。職人として手伝えないかと、転がり込んでくる者がいた。彼らもまた、かの英雄に助けられたことがあるのだと語った。
なかでも、ナマズオと呼ばれる種族の協力者は、歴史の改竄に深い理解を示していた。
「大鯰様は、こんな未来になるって言ってなかったっぺよ。
 だからそう、オイラが見たのは、第八霊災が起きなかった歴史の未来だったんだって、
 光風院セイゲツが言ってたっぺよ!」
――その発言の意味は理解しかねるので、ひとまずそのまま記録しておく。

時が流れても、協力者は現れた。
例えば、研究機材を輸送している途中で物取りに遭った仲間を助けたのは、巨大な飛空艇だった。それを繰る、「空賊」を自称する女性は、金髪をかきあげながら、こう言った。
「アタイのママが、昔、その英雄様だかに助けられたことがあるって言ってたんだ。
 空の女王の二代目として、借りを返してやるよ!」
調査や実験のために僻地へ派遣された者からは、ヒトならざる存在に助けられたという例も報告されていた。紅玉海を移動中だったある者は、船上で襲撃に遭って海に投げ出され、近くの島に流れ着いた。朦朧とする意識の中、何か大きな動物――亀か蛇に見えたらしい――が自分を介抱してくれた気がすると証言した。
同様に、ソーム・アル登山中に事故に遭った者が、白い翼を持つ巨大な存在に助けられたこともあった。ドラゴン族だったに違いないと当人は語ったが、あれらはヒトの起こす戦乱を嫌い、当地を去ったと言われていたため真実は不明のままである。
そういった事例と、かの英雄を直接結び付けることはできないが、いずれもあの者の活動記録が残る場所であったため、関連づけて高揚する者もいたようだ。

――それらを経て、今。
老いたシドの皺だらけの手が、彼らが追い求めた理論の、最後の一行を記した。
彼は深く息を吐いてから、傍らに立っていたネロに視線を遣った。
ネロもまた同様に老いていたが、この数十年観測してきた、いつもの仕草で肩をすくめた。

「……ま、いいンじゃないか?」

肯定にしては曖昧だ。
しかしシドは、目を瞑り、再び深い息を吐きながら笑みを浮かべた。
それからゆっくりと立ち上がり、後方にあったケトルを操作して、二つの金属製のマグにコーヒーを淹れた。その片方をネロに渡し、軽く掲げた――乾杯という動作だ。
互いにコーヒーをすすったが、今日のネロは、それを「マズい」とは言わなかったと記録しなければならない。
そのうち、シドが自分たちの記してきた紙束を見つめながら言った。

「実現……すると思うか?」

「さあな。これぞって理論を組んで、試してみたら大間違いなンて、よくある話だ。
 それも含めて……若造たち次第だろ」

「違いない」

以降、言葉はなく。
その沈黙の中にある、ヒトにしか観測できない何かを、ワタシは記録できない。
ただ、シドの投げかけた問いに対する、ヒトらしい回答というのを導き出すことはできていた。
丁度、「あのとき」のように……。

彼らの理論の中核を担うのは、クリスタルタワーと、機工城と、次元の狭間に関する冒険で得た経験だ。そしてそのすべての冒険の結末は、ひとつの言葉で表現することができる。
あるいは、今日に至るまでに命を落とした仲間にも、同じ言葉が掛けられてきただろう。

――おやすみなさい

そしてワタシは、ヒトが、その次に交し合う言葉を知っている。
静かに眠り、やがて日が昇ったあとに、告げる言葉を知っている。

故にこれは――どれほど遠く思えようとも、そこに至る道筋なのだ。

ワタシはそれを、記録できずとも、知っている。

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漆黒秘話 第4話「記憶されざる掌編」

遠い遠い昔。
まだ祈りを捧げられる神はなく、人が神であったころ。

ひとつの星は、ひとつきりの世界を営み、それと重なるようにして「命」が揺蕩う領域があった。

エーテル界と呼ばれるその領域は、時代によって様々な異名をとる。
彼らの時代においても、また同様に――
見えざる領域、死せる者の還る場所とされたことから、「冥界」とも呼ばれていた。

冥界は、神たる人々にとって、ごく身近な存在だった。
水が地から海に注ぎ、海から雲が生じて、それが雨として再び地に還るように、命の循環を担うひとところとして大切にされていた。
しかし、彼らの支配圏だったかと問われれば、皆が首を振るだろう。
彼らですら、叡智を用いなければ冥界を覗くに能わず、そこから力の一部を引き出すことはできても、流れのすべてを御するようなことはできなかったのだから。

ただ、人の中にはごく稀に、冥界に愛される者がいたという。



その日も、首都アーモロートには、穏やかな夜が訪れようとしていた。
街には柔らかな光が灯され、ローブを纏った市民たちが、ゆったりとした足取りで大通りを行き交っている。語りあかすに暗すぎず、眠るにも明るすぎないこの街の夜を、皆、思い思いに過ごすのだろう。

そんな中、街の一角に設けられた公園の隅で、ひとりの男が芝生に寝転んでいた。
他の市民と同じ黒いローブに身を包んでいるが、顔の半分を覆っているのは、唯一無二の形をした赤い仮面だ。適当に転がったのか、ほとんど外れかけたフードからは、白い髪が覗いている。
仮面の陰に隠されたその両の眼は、ただぼんやりと虚空に向けられていた。
一見すると星でも眺めているようだったが、彼の眼に映っている風景は、常人の見ているものと少々異なる。

万物の有するエーテルが、色とりどりに輝いていた。
それは地にも空にも奔り、星をすみずみまで活かしていた。
どこかで役目を終えた命が、風に乗って漂っていた。
それがふと、向こう側――冥界へと潜っていった。
意識を向けさえすれば、どこまでも深く、どこまでも遠く、巡る命を捉えられる。
物質の有するエーテルを視ることができる者は少なくないが、彼ほど鮮明に、遠くまで見通せる者となればわずかだろう。
その力を以てすれば、生命の核たる魂も、それぞれに異なる色をしていることまで見て取れる。まさしく、冥界の住民であるかの如き所業だった。

男はしばし虚空を眺め続けていたが、やがて、誰かが芝生を踏みながら近づいてきていることに気がついた。気がついた上で――面倒事を放り出すかのように、目を瞑る。
しかし足音の主は彼の頭のすぐ上まで来ると、立ったままの高い位置から、躊躇なく声をかけてきた。

「やあやあ、十四人委員会への就任おめでとうハーデス。
 ああ、もうエメトセルクって呼んだ方がいいかな?」

言われた男は、返事をしない。
言った男は、仮面に覆われていない口元に笑みを浮かべ、じっと足元の赤い仮面を見つめ続ける。
――そのまま数秒。根負けしたのか、寝転がっていた男が身を起こした。
立ち上がって、露わになっていた白い髪を漆黒のフードの中に仕舞い直してからやっと、至極不機嫌そうな声で来訪者に応える。

「……おめでとうもなにも、必要性があったから収まっただけだ。
 というか、お前が委員会入りを断ったからこうなったんだぞ、ヒュトロダエウス」

「いやぁ、それこそ適材適所というものだよ。
 視えるものをちゃんと活用できるキミと違って、ワタシは視て愉しむだけだからね」

「そんな動機で、創造物管理局局長の職に就いているのもどうかと思うが。
 一度、人民弁論館で、適任か否かを論じてもらうといいんじゃないか」

言葉とともに仮面の奥からうっすら睨むが、創造物管理局局長ことヒュトロダエウスは、気にする様子もなく朗らかな笑みを浮かべ続けていた。
その出で立ちは、黒いローブに白い仮面と、何ら特徴的なところはない。
しかし、稀有なことに彼もまた、冥界を見渡す眼を持つエメトセルクの同類だった。あるいは、視るだけならば彼の方が一枚上手かもしれない。
その双眸は常に、本質と真実を見抜いている。故にこそ、多種多様な「イデア」を扱う創造物管理局の仕事は実に彼向きだと、誰もが認めるところなのだが……それにしたってこの緩みっぷりはどうか、と度々思ってしまう。

エメトセルクは、なおも微笑んだままのヒュトロダエウスに「……何だ」と用件を問うた。
すると聞かれるのを待ってましたとばかりに一層の笑みが広がったので、エメトセルクは少し……いや大分、藪蛇だったと後悔する。が、もう遅い。

「就任したこと、あの人にはもう報告したのかい?」

「……ハァ? 何故わざわざそんなことをする必要がある。
 当然、誰かが報せてるだろうし、そうでなくとも、十四人委員会の人事だぞ?
 すぐに皆の知るところになる」

「それでもだよ、新たなエメトセルク。
 また行方がわからなくなっているなら、ワタシが視てみようか?」

「いらん、不要だ。いいからお前は、とっとと今日の仕事を終わらせろ」

エメトセルクが圧を込めてそう言うと、ヒュトロダエウスは初めて笑みをひっこめ、なぜ終わってないのがバレたのだろうとでも言いたげに小首をかしげる。
その無言の問いに答えれば、また藪蛇になるのは目に見えているのだが……じっと回答を待つ友人に再び根負けして、エメトセルクはため息交じりに言った。

「……今日は、ラハブレア院の奴が来ていただろう。
 ということは、大物の審査依頼だ。この時間にお前の仕事が終わっている可能性は低い。
 それでもわざわざ私を探しに来たということは、
 またぞろ、相談だかお願いだかという、厄介事を持ってきたんじゃないのか」

ヒュトロダエウスは、言われた言葉を咀嚼するようにしばし沈黙し――やがて、肩を震わせて笑いだす。

「いや、そこは、就任が決まったのにこんなところで寝ている友人に気づいたから、
 祝いの言葉を掛けに来ただけなんだけれど……フフ……。
 そうだね、キミが行動を起こすには、いつだってキミ自身が納得できる理由が必要なんだ。
 うん、実に……フフフ……」

エメトセルクは居心地の悪そうな、不機嫌そうな顔でそれを眺めていたものの、取り立てて用件がないのならとその場を立ち去ろうとする。
が、ヒュトロダエウスが慌てて引き留めて、こう言った。

「確かに、困っている案件がないわけじゃない。
 よかったら手を貸してくれないかな、偉大なるエメトセルク」

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「不死鳥のイデア、だと?」

創造物管理局の特別階。
普段は立ち入り禁止となっているその階の廊下を、エメトセルクとヒュトロダエウスは、奥へ奥へと進んでいた。
ヒュトロダエウスは足を止めることなく、投げられた問いに「ああ」と頷く。

「厳密には生物ではないし、鳥の形をした魔法と言う方が正確かもしれないけれどね。
 とびぬけた治癒の力を持っていて、それを自己にも他者にも行使できる。
 ラハブレア院渾身の新作だけあって、“どの視点で視ても”美しい造りだよ」

「まあ……そうだろうな……。
 だが、それの何が問題だと言うんだ?」

「言ったとおり、あの不死鳥は生物として創造されていない。
 あくまで形ある魔法として考案されているんだけど……ともかく、見てごらんよ」

ヒュトロダエウスが、そう言って突き当たりの巨大な扉に手をかざす。扉はゆっくりと開き始め――隙間から漏れてきた耳を劈つんざくような鳥の鳴き声に、エメトセルクは仮面の下で顔をしかめた。
しかし躊躇はすることなく、扉の先へと進む。
そして、奇声を上げつつ巨大なホールを飛び回る、炎色の美しい鳥に目を見張った。

エメトセルクが釘付けにされたのは、その翼が華やかだったからではない。
鳥の裡うちに……単なる魔法でしかないはずのそれの中に、あるはずのない輝きを視たからだった。

「魂が、宿っている……?」

――人は、創造魔法によって、神羅万象を紡ぐことができる。
しかし、唯一創り得ないものが「魂」だった。
それは生物が物質界のことわりに則った、つまり生物として矛盾のない形で創られたときに、自然と裡に生じるもの。さながら星からの賜りもので、人といえど単独で創造することはできないとされているのだ。
逆に言えば、生物として単独で存在できないものは、いかに外殻をそれらしい形にしようとも魂を得ることはない。ある種の現象、魔法生物といった存在になるのだ。

ヒュトロダエウスが、鳥を見上げたまま告げる。

「ちょっとした事故だったんだ。
 不死鳥のイデアを審査している最中に、漂ってきた魂が入り込んでしまったんだよ。
 あの様子だと、未練に縛られて彷徨っていた魂だったんだろうね。
 還りたくなくて、暴れてる……」

エメトセルクもまた、鳴きわめいて飛ぶ鳥を見つめる。
鳥はホールの硬い壁にぶつかっては、無残に羽根を散らしていた。しかしすぐに治癒がはじまるため、弱ることもなく己をまた叩きつけ、溢れる魔力を炎に変えて撒き散らす。

「……哀れだな。死の恐怖にやられたか。
 ああなればもう、生に追い立てられるばかりだろう。
 己の限りある時間に焦り、憂い、惑い、傷つき……傷つける」

「おや、わかるのかい?
 ワタシには、どうも縁遠い感覚でね」

「わかってたまるか。ただの憶測だ。
 ……で、どうする。ラハブレア院の傑作でも、この状態で放置はできまい」

と、ヒュトロダエウスがエメトセルクを振り返った。その口元に笑みが浮かんでいるのを見て、エメトセルクは己が再び藪をつついてしまったのだと察する。が、もう遅い。

「還そうにも、不死鳥だからね。
 ちょっとやそっとの衝撃じゃ、消せずにかえって苦しませてしまう。
 だから明日、特に腕のいい魔道士を呼んで……と思っていたのだけれど、
 キミがやってくれるなら、うん、それ以上はないよね」

「…………」

エメトセルクは閉口し、肩を落とす。
恨めし気に隣の友人を睨むものの、彼の口元は、相変わらず笑みを湛えたままだ。
もはや反論する方が面倒で、これを貸しにしておこうと心に決める。
そして、精神を研ぎ澄ますと――不意に、エメトセルクの輪郭が揺らめいた。
夕日に伸びる影のように、その身体が形を変えていく。

「やあ、今日も圧巻だ」

そう言うヒュトロダエウスの眼には、冥界から隣人に流れ込む、力の奔流が視えていた。
まさしく、冥界に愛されていると表現するのがふさわしいだろう。魔道士は数多くいれど、ここまで強大な力を扱える者は、それこそ十四人委員会にもいるかどうかというところだ。
ヒュトロダエウスは、変化を遂げた友を見上げて言った。

「やっぱり、キミがエメトセルクになったのは正しいと思うよ。
 改めて、就任おめでとう」

エメトセルクは、小さく息を吐く。ため息のようであり、微笑のようでもあった。
そして、改めて不死鳥に向き合うと――



「……陛下。陛下」

苛立ちの籠った声に、閉じていた目をゆっくりと開いた。
ぼやけた視界の中で、無意識に、エーテルの流れの方に眼がいってしまう。
――そこにかつてのような、まばゆい輝きはない。
水で薄められたような淡い輝きが、心もとなげに揺蕩っているだけだった。
厭なものを視た、と眉をひそめる。
この状況……どうやら椅子に座ったまま、うたた寝をしてしまったらしい。

と、少し離れた場所から、再び声をかけられた。

「……陛下。そろそろ謁見に応じるお時間かと」

やっとそちらに視線を向けると、長い金の髪を結った長身の青年が、困った顔で立っている。
眉間に深い皺が刻まれているため、どうにも老けて見えるのだが、まだ20歳にもならない己の――己が演じているソル・ゾス・ガルヴァスの孫、ヴァリスだ。
そういえば、彼から先日の暴動鎮圧について報告を受けていたのだと思い出す。
正直なところ、個別に、しかも私室まで押しかけられて報告を受けるほどの一大事ではなかったはずだ。それでもヴァリスがやって来たのは、彼なりに武功を売り込む気概があるのか、それとも背後にいる支持者たちに煽られたのか……などとつらつら考える。

何にせよ、取るに足らない、なりそこないどもの愚かしい営みだ。
ソルは椅子から立ち上がり、部屋を後にしようと歩き出す。
ヴァリスの横を通り過ぎた直後、彼からふと声をかけられた。

「……私の何が、それほどお気に召さないのですか」

立ち止まり、わずかに振り返ると、孫は珍しく年相応の……悔しげな顔をしていた。
祖父の一連の対応に、少なからず思うところがあったのだろう。

ソルはしばし考え、はたと気づいたように、つぶやいた。

「その図体だな」

「……は?」

ヴァリスがつい声を上げ、既に見上げるような位置にある目を瞬かせるが、ソルとしては、これ以上言葉を重ねるつもりはない。
今度こそ立ち止まることなく、私室を後にした。

謁見の間に向けて廊下を歩きながら、思わず自嘲めいた笑みを漏らす。
ガレアン族は血筋によってかなりの体格差があるが、ソルの肉体は飛びぬけて大柄というわけでもない。妻とした女も、そうではなかった。
……だというのに、ふたりから生まれた長男は、ガレアン族の中でも類を見ない屈強な体を得た。周囲はそれを持て囃したが、ソルだけは、内心忌々しく思っていたものだ。

所詮はなりそこない。
真なる同胞たちには到底代わることのできない、弱く愚かな存在。
短い生に執着し、そのために過ちを犯し続ける哀れな断片……
そうだとわかっていながら、生まれてきた子供のかんばせを撫でたときに、
自分が果たして何を「願って」しまったのか――

結局、その願いを受けたはずの長男は、くだらない病で冥界へと還った。
だというのに、その血と体躯を継ぐ者が、今も己の気の迷いを糾弾してくる。
ああ本当に――厭になる。

男は扉の前に立ち、刹那、目を瞑る。
面倒事を、すべて放り出すかのように。

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漆黒秘話 第5話「栄光の落日」

これはまだ、ノルヴラントの天に停滞の光が満ちる前のこと。
高窓から差し込む月光の下で、熱心にフラスコを覗き込む者がいた。この国、フッブート王国の主要民族であるドラン族でもガルジェント族でもない。ン・モゥ族の若者、ベーク=ラグだ。
「魂」の神秘を解き明かそうとする彼は、王家よりグリュネスリヒト城の一角に部屋を与えられ、寸暇を惜しんで研究に明け暮れていた。この日もとうに夜半を過ぎているというのに、実験台から離れようともしない。そんなベーク=ラグを訪ねる者がいた。
フッブート王国の第二王女、ポールディアである。
人懐っこく好奇心旺盛なこのドラン族の少女は、絢爛たる王城にあって隠者のように暮らすベーク=ラグのことを、なぜだかいたく気に入っているらしく、頻繁に訪ねてきては、身の回りの出来事を一方的に話して帰っていくのだ。

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ところが今日はどういうわけか、一向に口を開かない。
不審に思ったベーク=ラグが振り返ると、彼女の顔は珍しく曇っていた。

「ピア、もしかして、落ち込んでいるのかい?」

ベーク=ラグは、親しげに愛称で呼びかけた。しかし、彼女の瞳は揺れるばかり。

「ははあ、さてはキミの姉上たるソールディア姫が、三種の国宝を継承した件だな?
 それが、第二王女のキミとしては面白くないわけだ」

フッブート王国では、双頭の狼をあしらった三つの宝飾品を国宝としており、これを代々、王位継承者が受け継いできた。つい先日、その移譲が第一王女のソールディアに決まったのだ。これは事実上の王太子決定を意味する。
いかにヒトの世に疎いベーク=ラグでも、それくらいは知っている。

「違うわ!
 どんな時も公明正大で堂々とした姉様こそ、王位を継ぐべきよ!
 私の願いは、そんな姉様を支え続けること……なのに父様が縁談を……!」

肩を震わせ、涙をにじませたポールディアを見て、ベーク=ラグは己の迂闊さを悔やんだ。

ヒトは王位を欲しがるものだと、仲間たちから聞かされていたのだが、どうやら彼女は例外であったらしい。
さて、どう慰めるべきか。ベーク=ラグが思案していると、また新たな訪問者がやってきた。白いローブに身を包んだ痩身のドラン族、宮廷魔道士のタドリクだ。
彼は許可すら求めず室内に入ると、芝居がかった仕草で語り始めた。

「嗚呼、ポールディア様、心中をお察しいたしますぞ。
 しかしながら父王様は、ソールディア姫への王位継承を強く内外へと示すため、
 第二王女である貴方様を他国へと嫁がせ、王家の外へと置きたいのでしょう」

突然の来訪者に驚いた様子ではあったものの、ポールディアは応えた。

「……もちろん、わかっています。
 父様が誰よりも強く国の安寧を願っていることは……でも……!」

「ええ、ええ、貴方様のお気持ちはわかりますとも。
 望まぬ婚姻が決して幸せを生まないことは、父王様とて、ご理解くださるはず……。
 ですから、このタドリクめが王家の相談役として掛け合ってみましょう!」

思わぬ援軍を得て、ポールディアの顔に生来の明るさが戻っていった。

「まあ、本当に!?
 ありがとう、タドリク……なんて心強い言葉なんでしょう!
 それに引き換え、ベーク=ラグときたら……慰めの言葉ひとつもないなんてね?」

そう言って悪戯っぽく笑う彼女に、ベーク=ラグは肩をすくめてみせた。



数日後。
ベーク=ラグの研究室にやってきたポールディアは、婚姻の件について顛末を語った。どうやらタドリクの説得が効いて、ロールドリック王は彼女の縁談を撤回したらしい。
しかし、王は彼女が宮廷に身を置く条件として、第二王女としての身分を捨て、宮廷魔道士となることを求めたという。

「でも、私に魔法の才なんてない……。
 だから、あなたに相談があるの。前に聞かせてくれたわよね。
 魂を研究する過程で、人の中に眠る才能を開花させる秘術を発見したって……」

すがりつくような彼女の視線から逃れるように、ベーク=ラグは目を閉じて首を横に振った。

「ダメだ、ピア。この研究は、まだ道半ばなんだ。
 肉体の生命力を一時的に活性化させる秘薬こそ完成したものの、
 魔法の才を目覚めさせるとなると、魂そのものに不可逆の影響を与えなくちゃならん」

ベーク=ラグは、危険性を切々と説いた。
魂は繊細なものであり、ひとつ間違えれば眠れる才を覚醒させるどころか、肉体にまで影響が及んでしまう可能性があるのだ。
それでもなお、彼女は諦めなかった。

「お願いよ、ベーク=ラグ。私は家族といっしょに暮らしていたいの……!
 宮廷魔道士になることができなければ、敬愛する姉様を支えることも、
 あなたとこうして、おしゃべりすることすらできなくなる!
 そんなの嫌よ、絶対に……!」

ベーク=ラグとて想いは同じだ。
城の中で、唯一、胸襟を開いて語らえる親友と別れたくはない。彼女が自分に見せてくれた優しさに釣り合う対価があるとすれば、それは彼女の唯一つの望みを叶えることなのではないか。
苦悩の末、彼はぎこちなく頷いた。

翌日、ポールディアは魔術の試練で才ありと認められ、晴れて宮廷魔道士となった。



身分こそ変わったが、その後もポールディアは足繁く研究室を訪ねてきては、とりとめのない談笑を続けた。彼女の笑顔を見るたび、危険な秘術を教えてしまったことへの後悔は、少しずつ薄らいでいった。

「そういえば、手鏡の湖で未知の魔物が現れたらしいじゃないか。
 ピアも気をつけるんだよ?」

当代のロールドリック王が玉座に就いてからの数十年間、フッブート王国は大きな戦乱に巻き込まれることもなく、平和を享受してきた。ところが数日前、いずこからか侵入した魔物に、羊飼いが殺害されるという事件が発生。王国騎士の活躍により、魔物は撃退されたものの、城下の動揺が収まるよりも前に立て続けに同様の事件が発生したことで、混乱が加速していった。
さらに調査を進めてみると、魔物が他所から侵入したのではないことが明るみとなる。国内に居住していた民が姿を変じていたのだ。明日には隣人が魔物に化けるのではないか。人々は疑心暗鬼に陥り、恐怖心は一気に膨らんでいった。
事ここに至りロールドリック王は、王国騎士団に加え、宮廷魔道士たちにも捜査に加わるように号令を発する。しかしながら、ふたつの組織を統率する者がいない状況では、かえって現場が混乱する有様であった。
そんな中、彗星の如く現れ、事態を好転させたのが第一王女、ソールディアだったのである。

「姉様ったら、本当に凄いのよ!
 ガルジェントの王国騎士を従えて、最前線に立って戦っちゃうんだから!」

ポールディアが興奮した様子で語ったのも無理はない。
次代の王と認められたソールディアが陣頭指揮に立ったことで、普段から対立しがちな王国騎士と宮廷魔道士は結束し、魔物との戦いを優位に進め始めたのだ。
原因究明こそ難航してはいたが、警戒態勢は強化され、魔物への変異が起こっても早急に対応し、被害の拡大を防いでいったのである。

一方で、ベーク=ラグの心中は穏やかではなかった。人が魔物化する、その現象に心当たりがあったためである。
ポールディアに教えた秘術。これを応用すれば、魂の在り方そのものを改変し、人を魔物の如き異形へと堕とすことも理論上は可能なのだ。
だが、あの天真爛漫なピアが秘術を悪用するとは思えない。ベーク=ラグは、疑念を振り払うように研究に没頭した。

その間、捜査の指揮をしていたソールディアが魔物に襲われて負傷し、その責任を問われて護衛役の王国騎士が追放されるという出来事もあった。しかし、その噂を聞いたときも、ベーク=ラグは耳をふさぐように研究室に籠もり続けた。
犯人が誰であろうと、いつか誰かが見つけ出して処罰する。罪に釣り合うのは、罰という対価なのだ。世界はそのような均衡へと収束するはずだと信じ続けた。



どれくらいの時が過ぎたのだろう。
この日もまた、ベーク=ラグは自身の研究室でフラスコを振っていた。
突然、蹴破るような勢いで扉が開け放たれたかと思うと、誰かが駆け込んできた。王家の世話役を務めるン・モゥ族のスール=オールである。

「大変じゃ、ベーク=ラグ!
 魔物化事件の黒幕が判明しよったぞ!」

待ち焦がれた日がついに来たのだが、それはある意味、恐れていた日でもあった。
出来得る限り、冷静さを装いながらベーク=ラグは、それでと聞き返した。

「宮廷魔道士のタドリクじゃ!
 あやつが此度の事件を引き起こしていたことを冒険者たちが突き止めたのだ!」

ポールディアの名が出なかったことに、ベーク=ラグは心の底から安堵した。

「ワシはこれより冒険者らとともにタドリクを追い詰める!
 すでに城内は魔物だらけゆえ、おぬしは決して外に出るでないぞ!」

部屋を飛び出そうとするスール=オールの背中に向かって、ベーク=ラグが問いかける。

「ピアは……ポールディアはどこにおる?」

「まだ私室におるはずじゃが、心配はいらん!
 冒険者のひとりに保護を頼んでおいた!」

走り去る同族を見ながら、ベーク=ラグは親友の身を案じた。数日前のこと、事件を捜査に来たという冒険者たちとは出会っていた。話してみれば気のいい連中で、情報収集に手を貸してやりさえしたが、だからといって全面的に頼り切ることなどできない。彼は居ても立っても居られず、研究室を後にした。
とはいえ戦いを得手としない彼のやることであるから、魔物がいれば物陰に隠れてやり過ごすのが関の山だ。あげく見つかり逃げ惑っていると、何者かが割って入った。

「どけッ! 犬っころ!」

野獣のような魔物を、一太刀で斬り伏せたのはエルフ族の剣士だった。銀灰色の髪をきつく結んだ彼女は、無様に倒れ込んだベーク=ラグを冷たい目で一瞥したかと思うと、助け起こすでもなく走り去った。
あれは、アルバートの仲間――だとすればスール=オールが助力を依頼した冒険者というのは彼女か。犬と呼ばれた怒りさえ忘れて、必死にその背を追っていくと、ポールディアの私室の扉を蹴破ろうとしているではないか。

「なんと無礼な!」

憤慨したベーク=ラグは、エルフ族の剣士を押しのけて開け放たれた部屋に入る。

――彼女が、そこにいた。

言葉を失ったベーク=ラグの背後から、抜身の剣を手にした剣士が歩み出る。

「チッ……手遅れか……せめてもの情けだ、ひと思いに……」

魔物の血で汚れた剣の切っ先がポールディアに向けられるのを見て、ベーク=ラグは我に返った。

「やめろ、やめてくれ!」

「馬鹿を言うな……こいつの左腕を見ろ、変異が始まっている!」

そんなことは、ベーク=ラグにもわかっていた。
だが、それでも――断じて認められなかった。親友を殺すことなど、どうしてできよう。

「お願いだ、私は魂の研究家なんだ!
 彼女を助けてみせる……だから、せめて命だけは……!」

変異は不可逆――誰より深く理解していても、そう言うしかなかった。
足元にすがりつくベーク=ラグを見て、エルフ族の剣士はため息を吐いた。

「だったら、人を襲い始める前に、どこかに幽閉するしかない。
 ここは城なんだ、地下牢くらいあるんだろう?」

結局のところ、悪態を吐きながらも剣士はポールディアを昏倒させ、地下牢に入れるところまで付き合ってくれた。もっとも役目が終わったと見るや、黒幕タドリクの捕縛に向かった仲間たちのところへと駆けていったが――。
ベーク=ラグは、薄暗い独房の中で親友が目覚めるのを待った。
しかし目覚めたそれは、人の形を留めてはいても、心が別人のように変わっていた。

「おのれタドリク、裏切りおって……!
 姉様を亡き者としたあかつきには、私を女王として担ぎ上げる約束であったのに!
 そのためにこそ、ベーク=ラグを謀って秘術を手にしたというのに……!」

目の前にいるベーク=ラグのことが、見えていないのだろうか。
ポールディアは、一心不乱に己の血で壁に何事かを書きなぐり始めた。

「姉様さえ、姉様さえいなければァ……!
 私は、いつまでも家族とともにいられたのだッ……!
 ソールディアさえ、いなければァァァッ!!」

しばし、呆然としていたベーク=ラグだったが、ついに耐えきれなくなって叫んだ。

「その家族の中に、ソールディア姫は含まれておらんのか!?
 ピア! キミは誰よりも、彼女を敬愛していたじゃないか……!」

するとどうだろう。ポールディアは、ぐるりと振り返り大きく目を見開いた。
忘れかけていたなにかを、思い出したかのように。

「そうだ……私は、家族と……父様と母様、そして姉様と……
 おかしいな、どうして忘れていたんだろう……」

力なく座り込んだポールディアの身体から、黒い靄が抜けていくのが見えた。
タドリクの呪詛によって、彼女は心を縛られていたのだと直感した。

「ごめんね、ベーク=ラグ……私の友だち……
 最後に……ちゃんと……謝りたかった………………」

一筋の涙が彼女の頬を伝った。
その一滴が、冷たい石床に落ちる前にポールディアの肉体は、完全に魔物へと変異を遂げた。

この日を境に、ベーク=ラグは姿を消した。

一連の事件によって次代の王を喪ったフッブート王国は、光の氾濫後に当地を襲った罪喰いの群れに対抗しきれず、やがて国を棄てることになる。
グリュネスリヒト城が放棄される際、ひとりの王国騎士がかつての第二王女を憐れみ、独房の鍵を開けたという逸話も伝わるが、その後、ポールディアがどうなったのか。真相を知る者はいない。

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漆黒秘話 第6話「ヴォレクドルフの午睡」

古き血が目覚めた先祖返りは、種の寿命を大きく超える。
そうは言っても長く生きれば、老いもしよう。目はかすむし、翼は萎える。
ヴォレクドルフの聡きアマロたちを束ねるセトも、齢は百をとうに過ぎた身であるから、最近は特にまどろむ時間が増えてきた。今日もまた、甘い花の香に誘われて午睡と洒落込めば、懐かしき日々を夢に見るのだ。



ここはアム・アレーンの都、ナバスアレン
強烈な日差しが照りつける街の一角に、ひどく痩せた幼いアマロが地に伏している。育ち盛りであるはずなのに、水も餌も満足に与えられずに酷使されればこうもなろう。
誰も焼けた石畳の上でなど寝たくはないが、ハーネスで荷車に固定されていれば、自由に動くこともままならない。ならば、鞭を愛する主人が戻ってくるまでは、せめて身体を休めておこうというのが、このアマロの考えだ。

ほうら、主様のお出ましだ。

通りに面した石造りの商店から、肥えたヒュム族の男が大股歩きで現れた。手にしているのは男のお気に入りの鞭だ。リザードの腱で作られたそれを振るわれれば、とにもかくにも痛い。だから、どんなに疲れ果てていても、命じられるままに動いてしまう。

さあ、来るぞ、来るぞ。鞭が来るぞ。

首か、肩か、背中か、尻か。顔だけはカンベンしてもらいたい。幼いアマロが目を閉ざして痛みに備えていると、どうしたことか。いつもはいの一番で飛んでくる鞭が、やってこない。
目を開けてみておどろいた。
まだ少年と言ってもいい若い男が、身体に似合わぬ大きな鉄斧を担いで立っている。
痩せたアマロと、肥えた男の間に割って入ってみせたのだ。

「見つけたぞ、ラムンスさんよ! それとも狐のジェイドって呼んだほうがいいか?」

これが後に「セト」と名付けられることになるアマロと、冒険者アルバートの出会いだった。
しかし、彼らが互いを相棒と認め合うまでには、もう少しばかり時間が必要だ。
遡ること数ヶ月、ナバスアレンの市場で贋造物の宝石が発見された。熟練の鑑定士の目すら欺くほどの代物とあって、大変な騒ぎとなった。信頼と名誉を傷つけられたナバスアレンの宝石商組合は、この謎めいた詐欺師を「狐のジェイド」と名付け莫大な懸賞金をかけることになる。
ところが、これが捕まらない。
多くの冒険者が各地から賞金目当てで集まってきたものの、見つかるのは「狐」が市場に流した贋造物ばかりという有様だった。
この状況に終止符を打ったのが、まだ駆け出しの冒険者であったアルバートとラミットの二人組だ。彼らは元王国騎士だという熟練冒険者、ブランデンの協力を得ながら、幻影魔法を巧みに利用した贋物造りの秘密を解き明かし、ついにラムンスという男を捕らえたのである。
三人は、勝ち取った賞金を山分けした――もっとも、大酒飲みのブランデンに大金を渡せば、一夜にして酒代に消えることは明らかだ。ラミットは分割払いを提案し、しぶしぶとこれを認めたことで、ブランデンは正式に一行に加わることになったのだが、それは別の話だろう。
さて、生まれて初めて手にする大金を、アルバートは何に使ったのか。
それが、あの痩せアマロを買い取るためだというから、おどろきだ。ラムンスの所有物であったアマロが、ナバスアレン当局によって押収されたと聞いて、一も二もなく買い取り交渉を進めた結果である。
アルバートが連れ帰ってきた痩せこけたアマロは、宿に着くなり力なく座り込んだ。その様子を見て、ブランデンが呆れたように言い捨てた。

「おいおい、正気かボウズ。その痩せっぽちを、どうしようっていうんだ。
 長旅はおろか、市壁の一周だって耐えられそうにないじゃないか。
 焼いて喰うにしたって、骨ばかりじゃ話にならんぞ」

馬鹿にされていることが伝わったのか、アマロは不服そうに鼻を鳴らした。
一方のアルバートと言えば、アマロの顎の下を撫でながら涼しい顔をしている。

「あのオッサンのことは、気にしなくていいぞ、セト。
 利口なお前を、誰が喰うもんか。ふたりでブランデンの鼻を明かしてやろうな!」

なぜ、アルバートが、セトと名付けたこのアマロに入れ込んだのか。
もちろん彼がどうしようもないお人好しで、価値がないとして殺処分されそうになっていたセトを哀れんだということも、理由のひとつではあろう。
だが、彼はセトの才を見抜いてもいた。
コルシア近海の小島で生まれたアルバートは、故郷である山村に同世代の子供がいなかったがために、山と獣を友として育ったフシがある。唯一の肉親であった祖父に叩き込まれて、あらゆる獣の扱いを学びもした。家畜のアマロについても当然、そこに含まれる。だからこそ、彼は気づいていたのだ。セトが、隙きを見ては座り込もうとするのは、元の主の酷い扱いを耐え抜くために、少しでも体力を温存しようという知恵であるということに。

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「さあ、やってみろ、セト!」

アルバートが指笛で合図を送ると、セトはアンバーフィールドの荒地に、ぐったりと伏せてみせた。すると、アルバートはブランデンとラミットを伴って、近くの岩場に身を隠す。キャラバンの脅威になっているとして討伐依頼が出ていたコヨーテの群れを、セトを囮に使っておびき出そうというのだ。

「あの食いでのない痩せアマロを餌にして、うまく釣れるもんかね……」

大きな身体を小さく丸めたブランデンが疑いの言葉を口にした。
当のセトはと言えば、新たな主人に戸惑っていた。前の主と違い、アルバートは決して鞭を使わなかった。それどころか、とにかく優しい。餌も水もたっぷりくれるし、毛繕いまでしてくれる。彼に顎の下を掻かれれば、なぜだか夢見心地になってしまうほどだ。
いったいどういうことなのだろう。
理解できないことは、まだある。アルバートが様々な芸を仕込もうとするのだ。彼を怒らせて、せっかくの高待遇を棒に振るのは避けたい。だからこそ、セトはセトなりに応えてきたのだが……まさか生贄にされるとは思わなかった。

ああ、やっぱりだ。ヒトは信用できない。

どこか諦めに似た心持ちで荒野に横たわっていると、本当にコヨーテの群れが現れたではないか。たっぷりと与えられた餌は、このためだったのかとまで考えたかどうかは、わからない。

「セト、もういいぞ、こっちに来い!」

斧を担いだアルバートが岩陰から飛び出し、猛然と向かってくるのが見えた。
どうやら見捨てないでいてくれたらしい。セトはむくりと起き上がると、全力で主の元へと駆け出した。まだ虐待の影響が残るセトは空を飛ぶことができないのだ。必死の形相で翼をバタつかせながら不格好に走る様子を見たブランデンは、涙を浮かべて大笑いしている。

「おうおう、痩せっぽちが慌ててやがるぜ!」

また馬鹿にされたぞと直感したセトは、あえて進路を変える。
ブランデンの方へと突進し、ひょいと頭上を飛び越えてみせた。そうとなれば、セトを追っていたコヨーテの群れは、笑顔の大男に殺到する形となる。

「クソッ、あの馬鹿アマロめ!」

今度はブランデンが慌てる番だった。
こうしてキャラバン襲撃犯を掃討するという依頼は完了、報酬を得ることに成功する。
以降、アルバートたちは、次々と魔物の討伐依頼を成功させていった。セトは時に弱々しい格好の獲物を、時に縄張りを荒らす挑戦者を演じ、標的をおびき出した。
アンバーヒルのヌシとまで言われた巨大フォルスラコスを相手にした一件でも、セトの名俳優ぶりが遺憾なく発揮された。おどろいたことにセトは、フォルスラコスの雌の声色を真似るというアルバートですら想像できなかった技を披露し、見事に神出鬼没の討伐対象を引きずり出して見せたのだ。
逃げる手負いのフォルスラコスを追って、その巣に辿り着いた一行は、激闘の末にこれを討ち倒した。

「見て、ふたりとも! ちょっとした財産だと思わない?」

酷暑の荒野にあっても、決して兜を脱ごうとはしないドワーフ族のラミットが言った。

「おお、こりゃすごい。フォルスラコスが光り物を好むって話は本当だったんだな!」

枯れ草で編まれた巣には、ヌシが集めたのであろう貴金属の類いが遺されていたのだ。ブランデンは、ひときわ大きな黄金色のメダルを取り上げると太陽にかざして見せた。

「特にこいつだな……ナバスアレン王家が戦功を挙げた将に贈る勲章だ。
 200年以上は前の代物だが、墓でも暴いたか襲った相手の持ち物だったか……
 とにかく古物商に持ち込めば、かなりの値がつくはずだぞ」

満面の笑みを浮かべ、ブランデンが戦利品のメダルを懐に収めようとしたとき、ひょいと横から手を出してアルバートが取り上げてみせた。

「おっと、ブランデン。このメダルは、今日いちばんの功労者が手にすべきじゃないか?」

「なんだと? それなら、いよいよ俺が手にするべきだろう。
 ヌシの強烈な一撃を盾で受け止め、その首に剣を叩き込んだのは誰だった?」

「そりゃあ、オッサンだけどさ。
 でも、今日いちばんとなると見事にヌシを誘い出したセトで決まりだろう」

アルバートは、合切袋から革紐を取り出すとメダルに通して、そっとセトの首にかけた。

「セト、お前は自慢の相棒だ!」

セトは勢いよく鼻を鳴らした。
自慢げに、誇らしげに――

「フフッ、私もメダルをあなたの物にするのは賛成よ。
 ブランデンに渡したって、どうせ明日には酒代に消えちゃうんだから」

ラミットに笑われては、ブランデンも両手を挙げるしかない。

「降参だ、降参! 今日いちばんは、セトで決まりだ。
 たいしたアマロだよ、まったく!」

このようにしてセトは、アルバートの相棒として、一行に認められる存在になったのだった。
その後、アム・アレーンの地で魔物討伐を続け様に成功させた冒険者たちがいると聞きつけ、彼らに接触を試みる者が現れる。ミステル族の狩人、レンダ・レイだ。
さらにレイクランドの地では、消えた名門貴族の息女を巡る謎に挑み、銀灰色の髪の剣士、シルヴァを、再訪したアム・アレーンでは同じ依頼を受けたライバルとして遭遇した、孤高の魔道士ナイルベルトを、次々と一行に加えることになる。

仲間が増え、そして旅は続く。
厳しく、辛く、悲しみに満ちた事柄も多かったけれど、やはり楽しい旅だった。




まどろみから覚めたセトは、その首にメダルの重みを感じて小さく鼻を鳴らした。
それは、一度は失ったはずのものだった。集落に近づいたはぐれ罪喰いを撃退せんとしたときに、すでに成長した身体に合わなくなっていた革紐が切れ、湖の底へと沈んでいたのだ。
そんなメダルを、あのヒトは見つけてきてくれた。
今、こうして首にかけられている革紐は、リダ・ラーンの妖精たちに頼んで新調したものだが――その際に夢見のまじないでもかけられたのだろう。だから、懐かしい夢を見たのだ。
また旅がしたい、とセトは思った。
老いた身体では、世界を股にかけるのは無理かもしれないけれど、湖の対岸までなら飛べるはずだ。
この夢を見せてくれたであろう、『夢結び』の妖精たちに礼をしに行くのだ。
セトは大きく翼を広げてみせた。
さあ、翔んでみよう。あの時のように――老いたアマロなりの小さな冒険を始めよう――

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漆黒秘話 第7話「終幕を捧ぐ」

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エメトセルク、と私を呼ぶ声が議事堂のエントランスに響いた。
聞いてしまったからには仕方がない。退館しようと入口に向かっていた足を止め、振り返る。
小走りでこちらにやってきた声の主は、予想に違わず、白いローブを纏ったやや小柄な青年だった。その顔を覆っているのは、十四人委員会を示す赤い仮面……となれば素性を問うまでもない。同僚のエリディブスだ。
何の用かと視線で問えば、ひとつ息を吐いた彼は、とても深刻そうに切り出した。

「君、次回の議題になる予定の、火山の件を知っているかい?」

「ああ、大噴火が近いという……。
 特に込み入った話ではなかったと記憶しているが」

十四人委員会に持ち込まれた報告によれば、とある孤島に存在する火山に、火属性の異常な活性化――即ち噴火の兆候が確認されたのだという。
島には町がひとつと、広大な農場がある。噴火となれば、すべて呑み込まれてしまうだろうが……だからどうというわけでもない。他の多くの例と同じく、“そういうもの”なのだ。島の住民たちも、あるべき流れとして受け入れ、望むのであれば移住を開始しているだろう。委員会でも対応を検討する予定にはなっているものの、それ以上の結論にはなりそうもなかった。
一方で、こんな案件を、それでもエリディブスが自分に持ち掛けてきたということには――厭な予感しかしない。

「実は、アゼムがあの山に行ってしまったんだ。噴火を止めると言っていた」

それみろ!と叫びそうなのを、眉間に皺を寄せながらぐっと堪える。
たっぷり数秒かけて気持ちをなだめ、ようやっと「……どうやって?」と二の句を継いだ。
エリディブスは、相変わらず真剣そのものといった様子で回答する。

「君なら、火精イフリータを知っているだろう」

「……ああ。ラハブレアが創り出したイデアの中でも、傑作中の傑作だ」

するとエリディブスの生真面目そうに結ばれていた口元が、嬉しげに綻んだ。
「そうだとも、あれは本当に素晴らしいんだ」としみじみ呟く姿からは、彼がラハブレアを――同僚たちをどれだけ慕っているかがよくわかる。
普段ならそれを微笑ましくも気恥ずかしくも思おうが、今は彼の言わんとしていることを察し、再び眉間に皺を寄せた。

火精イフリータは、火属性のエーテルを束ねて創り出される幻想生物だ。
となれば、アゼムがどうやって噴火を止めようとしているのかも想像がつく。
火山に満ちた火の力をイフリータの形に変えて連れ出し、別の場所で霧散させる――即ち、討滅するというわけだ。
しかし、それを成し遂げるにはもうひとり協力者が要るだろう。
イフリータのイデアを、アゼムに渡す者だ。それがラハブレア自身でないとしたら、考えられるのは……ただひとり。すべてのイデアを統べる、創造物管理局。その局長ともなれば、どれほど厳重に管理されているイデアでも持ち出すことができるはずだ。
脳裏に、楽しげな笑みを浮かべながらアゼムを見送る友人の姿が浮かんで、思わず仮面ごと額を覆った。
エリディブスは、その仕草を見て用件が伝わったと理解したらしい。

「心配はないと思うけれど、事態が大きくなれば、アゼムはまた叱られてしまうかも。
 行ってあげて、エメトセルク」

「状況は理解した……。
 だがいいのか? 調停者エリディブスともあろうものが、あいつの方に肩入れして」

「そういうつもりはないよ。
 ただ、あの火山の件は、まだ結論に至っていない。
 だったら、噴火を止めたいというアゼムの意見も、等しく尊重されるべきだ」

迷いなく言い切る彼に、反論も肯定もできず肩をすくめて応える。
アゼムは一度、自分の時代の調停者がこの心優しい青年だったことに感謝すべきだろう。

「……ちなみに、噴火を止めたがっている理由は聞いたか?」

立ち去る前にそう問えば、エリディブスは「いいや……」と言いつつ考え込む。
恐らく、アゼムとの会話を丁寧に思い出しているのだろう。根拠なしに物を言わないのが、彼の調停者たるゆえんだ。
そのうちに、何か思い当たったらしい。ハッとして顔を上げた彼は、それはそれは重大な事実を明かすように、重々しく告げた。

「あの島で作られる葡萄はおいしいと……確かにそう言っていた……。
 摂理に逆らってでも存続させるべきものだと見込んだのかもしれない……!」

「…………そう……かもな」

彼の厚すぎる信頼を穢さないよう、どうにかこうにか相槌を打ちながら、あとで悪友ふたりを説教しようと心に決める。
そんな複雑な心中を知る由もないエリディブスは、また口元を綻ばせると、「アゼムの見解はいつだって新鮮だから」と慈しむように呟いたのだった。

――つまるところ、エリディブスとはそういう青年だったのだ。
役目を忠実にこなす一方で、誰よりも十四人委員会の仲間を慕い、尊重せんとしていた。
彼を弟分のように思っていた者も少なくないだろう。ゾディアークの召喚にあたり、核とするのに最も適しているのがエリディブスだとわかったときには、使命に燃える委員たちですら別離を惜しんだほどだ。

だからこそ、彼との予期せぬ再会は、私たちに大きな衝撃を与えた。

ゾディアークを星の意志に据え、終末の災厄を退けた直後。
いかなる未来を望むかで、人の意見は大きく割れた。
多くは、新たな命と引き換えに、ゾディアークに捧げられた同胞たちを取り戻すことが最善だと考えていた。一方で、新たな命にこそ星の未来を託すべきなのだという主張も、根強く存在していた。
私たちが判断を迫られたそのとき、突如として、ゾディアークから“何か”が零れ落ちてきたのだ。それはしばらく蠢き、やがて、人の形を成した。周囲が愕然として見守る中で、その口元がぎこちなく――しかし確かに笑みを浮かべる。

「だい、じょう、ぶ……。
 きみたちは、ただしく判じ、ただしく成しとげる……。
 エリディブスが、それを、たすけよう」




あれから、数えるのも厭になるほどの時が経った。
ガレマール帝国の国父ソルとしての役目を終えた私は、次元の狭間に浮かぶ薄暗い拠点で、久方ぶりの長い眠りに落ちようとしていた。
ソルの肉体は原初世界に置いてきたので、今はさながら亡霊のような、形なき存在だ。
だからこそ、大昔、自分が自分だったころの姿をとる。それで眠っていれば、別人を演じた時間が剥がれ落ちていく気がするからだ。
自身を保つということに、もはやどれだけの意味があるのかはわからない。いっそ捨て去った方が楽かもしれないと思ったことも、一度や二度ではない。
それでも、あと二人のオリジナルの状態を思えば……自分が固執し続けることにも、感傷以外の理由が与えられる気がした。

エメトセルク、と呼ぶ声が響いて、微睡みから引き上げられる。
疲れているんだ勘弁してくれという気持ちで無視を決め込むも、声の主はお構いなしに近づいてきて、また名前を呼んだ。遥か昔に、自分を議事堂で呼び止めたのと同じ声……そのはずだが、まるで別人のように聞こえるのは、態度がまるで違うからだろうか。それとも実際に変質してしまったのか……。
ともかく、声の主――エリディブスは、傍らに立つと粛々と告げた。

「ラハブレアが散った」

――さすがに身を起こし、エリディブスと向き合う。
彼は微動だにしない。互いを包んだ長い沈黙が、覆らない事実なのだと物語っていた。
アシエンにとって「死んだ」は終わりを意味する言葉ではない。
しかし、そうか、「散った」ということは――

「わかっていたはずだ、私たちは。いずれこの日が来ることを」

エリディブスが言うのを聞きながら、目を瞑って、詰めていた息を吐きだす。
彼の言葉は正しい。ラハブレアは長きにわたり、誰よりも積極的に活動してきた。ともすれば“過ぎる”ほどに。世界を渡り身体を変え、突き進むほどに彼は破綻していった。最近では、闇に依った霊災を起こしたばかりだというのに、なおそれを助長させようとするような行いさえみせていた。
まるで炎のようだと思うのは、かつての彼が、見事な炎の幻想生物をいくつも創り出していたからだろうか。燃え盛る不死鳥に、火精イフリータ……当代のラハブレアが創る炎は強く、美しかった。そして彼自身もまた、常に燃え盛り続けていたのだ。
――すべてを灰にすれば、炎も消えてしまうのに。

ゆっくりと目蓋を上げて、エリディブスを窺い見る。
唯一仮面に覆われていない口元はただ引き結ばれ、感情を読み取ることはできない。
もう以前のように敬愛を露わにすることはないのか。あるいはその想いそのものを、もう――

「……エメトセルク?」

「ああ、いや……ラハブレアの爺さんは創ったものと似ていたな、と。
 そう考えていただけだ」

「創った、もの……」

言葉を反芻するエリディブスに、今度は明らかな困惑の色が浮かぶ。
思い出せなくなっているのだと私が気づくのと同時に、彼自身も、自分からまた何かが欠けたのだと思い知ったらしい。その拳が、虚空を握りしめた。
彼は調停者として十四人委員会の前に戻ってきて以来――人ではなく、願いに紡がれる“何か”となってから――時代とともに変化し、己のうちに在るべきものを失い続けている。

「……エリディブス。やっぱり、あのクリスタルを視るつもりはないのか」

まだ彼が彼であり、ラハブレアがラハブレアだったころ、それぞれが持つ委員たちについての記憶を集めてクリスタルに封じた。転生組を再び座に就けるときに、学ばせるためだった。
それをエリディブスに使えば、思い出せる記憶もあるはずだ。
しかし彼は、静かに首を振った。

「私はエリディブスで、為すべきことを、そのやりかたを覚えている……それで十分だ。
 あれこれ思い出したところで、戦いを続けているうちにまた失ってしまうだろう。
 ……大切な記憶なら、何度も忘れさせないでくれ」

そう願われれば、やはり、反論も肯定もできず。
大袈裟に肩をすくめて、話を流すほかなかった。
彼は転移魔法を展開しながら、私に告げた。

「これから私は原初世界に戻り、ラハブレアを追い詰めた英雄の始末にかかる」

「了解だ。まあ相手が“英雄”なのであれば、お前の敵ではなかろうさ」

「だが、万が一ということもある。
 この危うい時代を早急に終わらせるために、そちらも活動を続けてくれ」

いや私はちょっと休みたい――という言葉を発する前に、彼の魔法が発動し、その姿が闇に消えた。私と彼が直に会したのは、それが最後だった。

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そして――

今、私の魔法はすべて破れ。
残すところは、己の存在のみとなった。

それすらも崩れては、風に舞う砂のように還っていく。
もはや、息のひとつもできはしない。
それほどの戦いだった――そうでなければ駄目だった。
己のすべてを懸けて、叶えたい願いだったのだから。

幾度となく視てきたように、エーテルが冥界へと誘われる。
その流れの中で、永い過去を、そして僅かな未来を想う。

結末は、この手を離れた。
しかし役者たちはまだ――ひどく奇妙な形でもって――舞台の上に揃っている。

それならば、あと少し。幕を下ろすべきは、今ここではないだろう。

もはや形を成さぬ手で、それでもひとつ指を鳴らす。
――ご覧あれ、この物語のエピローグを。

漆黒秘話 第8話「序幕に謳う」

歴史というものを見渡してみると、その節目には、必ずと言っていいほど人の名前が記されている。戦いを制し、国を打ち立てた誰か。歴史的な発見をした誰か。迫りくる困難から民衆を救った誰か――そんな、夜空を点々と照らす星のような人々を、偉人とか、天才とか、英雄などと呼ぶのだろう。
俺は英雄ではない。しいて言うなら「会長」だ。
18代続いているガーロンド・アイアンワークスの、18番目の会長。初代をはじめとした数名は幸運にも存命中にその座を譲ったが、最も短い奴は、就任後3日で命を落とした。そうして約200年……この役職を務めてきた18人は、たとえ後世に語り継がれることがあっても、「初代シドと彼に続く会長たち」くらいにまとめられるのが関の山だろう。
俺たちが成し遂げようとしているのが、形なき偉業なのであればなおのこと。
この名は歴史に残らない。英雄でもなんでもない。

それでも俺たちは、胸を張って生きている。




銀泪湖にそびえ立つ「黙約の塔」。
大層な名前だが、それを構成する巨大戦艦は装甲という装甲を盗掘者たちに引っぺがされて、もはや枯れ木のごとき有様だ。
そのいかにも廃墟といった雰囲気は、隠れ家を構えるのにうってつけだった。湖の中という立地も不便な分だけ襲われにくいし、何より、残された外殻に巻きついている巨大なホース……いや「龍」は、かの英雄と縁ある存在だったと伝え聞く。俺たちが住み着くのには、おあつらえ向きだろう。

そんな隠れ家の中央にある集会場で、その夜、ガーロンド・アイアンワークスの社員と協力者たちが眠りこけていた。
ここ数日は真夜中まで作業場であるクリスタルタワーに詰めていたが、今晩はその必要もない。準備はすでに整えられ、明朝、あの塔は過去の第一世界に向けて出発する予定になっていた。それを祝して開かれたささやかな宴もとうにお開きになっていて、それでも名残を惜しんで場を離れられなかった面々が、そこらでいびきをかいている。
ひとつだけ焚き続けている火は、彼らの眠りを妨げることなく、ただ赤々と燃えていた。
それを見つめながら起きているのは、俺と、もうひとりだけだ。

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「なあ、グ・ラハ……」

呼びかければ、炎と同じくらい赤い目がこちらに向けられた。
彼はその赤ゆえに――アラグの皇血を持つがゆえにこの時代まで眠り、そして明日、別の時代へと渡っていくのだ。今度は世界さえ超えて、希望を、別の未来を届けるために。
その重責を……自分たちが彼に任せた使命の重みを思うと、いつだって言葉にできない気持ちがこみあげてくる。
しかし、互いにもう、覚悟は問い終えたのだ。
つい口に出しそうになったいくつかの言葉を仕舞って、代わりに、前から聞こうと思っていた話を今日こそ振ることにする。

「お前……なんでクリスタルタワーと一緒に眠ったんだ?」

そう問うと、彼は意外そうに目を瞬かせたあと、小さく吹きだした。

「今それかよ」

「最後の機会だからな。
 そりゃあ、お前にしかできない役目だっただろうし、正しかったとも思う。
 俺たちの夢が繋がったのだって、そのおかげだ。
 ……だが、簡単に選べる道でもなかっただろうに」

かねてより抱いていた、彼についての疑問。それを率直に切り出せば、冷やかしではないと察してくれたのだろう、「そうだなぁ……」と呟きながら視線を炎の方へと戻していった。
答えを探しているらしく、尻尾が右に左に行き来する。
辛抱強く返答を待っていると、そのうちに彼がふっと笑みを浮かべた。細められた目は、炎の輝きの先に、もっと眩い何かを視ているかのようだった。

「あてられたんだよ、あの熱と、光に」

「……なんだって?」

「シドとネロ、それからウェッジに、初代のビッグス。
 みんな、めちゃくちゃに頭も腕もよくてさ――」

自分がひとつ知識を語れば、彼らは瞬く間に発明品を生み出した。
傍らで調査を仕切っていたラムブルースにしたって、賢人としては大先輩だ。目付け役という大仕事に舞い上がる若者を内心微笑ましく思っていたのかもしれないが、それでも、彼が自分を認め頼ってくれたことは嬉しかった。
途中から調査に加わったドーガとウネは、なんとアラグの時代に生み出されたクローンだという。長い時を超えてなお、ひたむきに託された使命をまっとうしようとしていた。
そんな一行の前に立ちはだかるのは、古代アラグ文明の叡智と闇。アラグ史に名を連ねていた英傑たち、伝説の始皇帝ザンデ、果ては世界を渡って大妖異との決戦にもなった。
それらを退けノアの道を拓いてきたのは――ほかでもない、第八霊災の世にも名を遺す、かの英雄だ。

「すごいんだ、本当に。物語が急に現実になったみたいでさ……夢中だった。
 そんな中で、オレにもできることがあるってわかったんだ。
 “やらない”なんて選択肢、あると思うか?」

「気持ちはわからんでもないが……恐れはなかったのか?」

「そりゃあ、なかったとは言えねーけど……」

グ・ラハ・ティアは天井を見上げる。
広場の真上は雨風を凌げるように補修してあるが、少し離れれば穴だらけで、黒く突き出す骨組みの隙間から星の瞬く夜空が見えた。
その輝きを瞳に湛え、懐かしさをいっぱいに滲ませながら、誇らしげに彼は語るのだ。

「どんな運命にだって挑んでいける。
 そう信じられたんだ、あいつらと一緒に走ってたら」

迷いのない横顔に、思わず、感嘆の息を吐いた。
なるほど、他人にそうまで思わせる存在が、英雄というものなのかもしれない。
俺の先祖も、初代会長も、この計画に携わってきた多くの人がそれに触れて胸を焦がした。果たして本人に自覚があったのかはわからないが、その歩みは確かに、ひととき隣を歩んだ誰かに勇気を与えていたのだろう。先へ、未来へ、希望へと進む勇気を。
それが明朝、ほかでもない自分の代で結実するのだと思うと、息を吸いこむと同時に背筋が伸びた。

「……転移、かならず成功させるぞ」

そう言って拳を突き出せば、自分のものと比べて随分小さな拳が、されど力強くぶつけられる。

「ああ。そこから先は、任された」

たとえこの約束の果てを、知ることができないとしても。
そこにひとつでも多くの幸せが生まれることを祈りながら、翌朝、クリスタルタワーの転移計画は実行に移された。
願わくは、ふたつの世界が救われますよう。
そのために力を尽くしてくれる彼にも、どうか、心から笑える結末を。
仲間たちのそんな想いに見送られつつ、美しき水晶の塔は、暁の空に残光を散らして消えた。






モードゥナの湖畔で、仲間たちとどれだけ佇んでいただろう。
クリスタルタワーが転移したときにはまだ薄暗かった空に、陽が昇りはじめていた。
その間、誰も言葉を発することなく、各々がただ消えた塔のあった方を見つめていた。

計画はまだ、時と次元の彼方で続いていく。
しかし、俺たちの出番はここまでだ。

塔がなくなったモードゥナの風景のように、自分の中にぽっかりと穴が空いたような心地だった。やりとげたという充足感と、だからこその寂寥感が、その穴に注がれていく。
200年の夢の終わりはあまりに静かで、風と湖の立てる微かな音だけが耳に残った。

「……消えないわね、私たち」

仲間のひとりが、そう言って静寂を破る。
確かに、歴史改変の影響が俺たちにどう出るかはわかっていなかった。
それを成立させた瞬間に、この歴史ごと“なかったこと”になる可能性さえあったのだ。
しかし塔を送ってなお、俺たちは変わらずここに存在している。グ・ラハ・ティア第一世界の救済に失敗すれば、そもそも改変は起きないわけだが……どうせなら、良い方を信じたい。
彼は計画をやりとげ、第八霊災が起きない歴史を成立させた。
一方で、俺たちの歴史もまた、これはこれで続いていくのだ……と。

仲間たちも同じ考えに至ったのだろう。
互いを見渡して異変がないことを確認すると、誰からともなく笑いだした。
変わらない。何もかも。この泥沼のような世界で、明日また明日へと生きていくのだ。
そんな当たり前の、百も承知だった結末に至ったことが、滑稽で――そして妙に幸せだった。

そうしてすっかり終わった気になっていた俺たちは、だから、そう、まったく気づいていなかったのだ。
クリスタルタワー。時の翼。次元の狭間を超えた観測者。
それらの冒険から続くこの歴史には、まだ、目覚めるべき者がいたということに――

突如、地鳴りのような音が周囲に響いた。
咄嗟に身構え、周囲に視線を走らせる。仲間のひとりが「おい、あれ!」と隠れ家の方を指さした。振り返って、思わず口が開いてしまう。
廃戦艦に残された錆だらけの装甲が、ミシミシと音を立てていた。いくつかはそのまま剥がれ落ち、湖面に大きなしぶきを立てる。
もとから崩れそうな廃墟ではあったが、ついに限界が来たのだろうか。
――否。外殻に絡まっていた“それ”が、まるで息を吹き返したかのように動きだしたのだ。
誰かが、震える声で言った。

「幻龍……ミドガルズオルム……!?」

再び、天まで震わすような音が響いた。
それは、龍の咆哮だった。

やがて完全に廃戦艦から離れた巨大な龍は、ぐるりと空をひとまわりすると、あろうことかこちらに顔を近づけてきた。
仲間も俺も、悲鳴すら上げられずに硬直する。
この龍が死んだわけではないというのは、初代会長の次元の狭間についての調査記録から知っていた。しかし、まさか目覚めるなんて誰が予想できよう。もしやクリスタルタワーを転移させたことが彼の眠りを妨げたのではないかと考えて、さっと血の気が引いた。
そんな俺たちを見渡したミドガルズオルムは、低く、静かに声を発した。

「汝ら、小さきヒトの子よ……今しがた、水晶の塔を次元の彼方に送ったな」

「あ、ああ……すまない、それで起こしちまったのか……?」

その問いに、龍はすぐには答えなかった。
無意識のうちに握りしめていた掌に、嫌な汗が滲む。大丈夫、彼は敵ではないはずと己に言い聞かせるも、本能的な畏れはかき消せない。ドラゴン族とはこういうものなのかと実感しながら、沙汰を待つしかなかった。

「……微睡みながら、世の移り変わりを眺めておった。
 汝らに連なるヒトが、何を成そうとしていたのかもな」

原初の龍は淡々と語り、もう一度俺たちを見回した。

「我は戦いくさがいかなるものか知っておる。ゆえに、汝らの行いが勇敢であるとも解る。
 しかし……ヒトの一生はあまりに短い。
 ましてやその心の移り変わりともなれば、我ら竜には理解し難いほどだ。
 なればこそ、いずれは潰える夢と思っておったが……汝らは、やりとげた」

加えて、と言いながら、その巨大な眼が仲間のひとりを捉えた。
まだ年若い彼女は、両手で黒い塊を抱きかかえている。
俺の先祖が作ったという、オメガの模型だった。
それは長年ガーロンド・アイアンワークスの一員として親しまれていたが、さすがに編年劣化が激しく、あちこちにガタがきていた。バッテリーを換えてもすぐに止まってしまうし、センサーにも異常をきたしているのか、よく隠れ家の壁に――それこそミドガルズオルムの身体に、ガツンガツンとぶつかっていた。
徹底的に修理することもできるが、作り直しに等しくなるだろう。
そのころにはもう塔の転移計画が佳境に入っていたこともあり、ひとまずそれを終えるまでは、動かずとも元のままで……と皆で決めたのだ。

そんな模型を見たミドガルズオルムが、ゆっくりと息を吐いた。
龍の表情なんてちっともわからないが、なんとなく、笑ったのではないかと思った。
――だからつられて緊張が解けたのか、あるいはその光景に何かを感じ取ったのかは自分でもわからない。ただ、全身に再び血が巡り始め、それがひどく熱く感じた。
頭の中に、昨晩聞いた言葉が響く。
“あてられたんだ”と。
ああ、それはこういう感覚だったのだろうか。
何か壮大な流れに身を投じるかのような、事の始まりを目前に控えたかのような、少しの不安と高揚感。それに浮かされるように、畏れていた龍をまっすぐに見据える。
龍もまた、鱗を朝日に輝かせながら、こちらを見据えて言った。

「ヒトの子よ、汝らの夢はここで終わりか?」

「……いいや、俺たちは」

第八霊災のない未来を、かの英雄が生きる未来を成立させるために俺たちができることはもうない。しかし、その夢のために培われて来た技術は、確かにこの手に残っている。
諦めの悪い人々が必死にしがみつき、積み重ねてきたそれは、今度こそ世界を救うのに足るのではないか。いや――

「救いたいんだ、この世界を」

その答えに、ミドガルズオルムは、やっぱり笑ったような気がした。

「我はヒトの牙に非ず。
 されどこの星に間を借りる者として、汝らの願いに力を貸そう。
 我を堅き城壁とし、都市を築いて、さらに知恵を積むがいい。
 その果てにいつかは来たるだろう――新たな平和の時代、ヒトが星暦と呼ぶものが」

龍の言葉に頷けば、俺たちの次なる戦いが始まる。
時と世界を渡ったあの青年も、彼の戦場で奮闘していることだろう。
その結末を語り合えずとも。互いの歴史に名が記されることがなくとも。
俺たちはきっと同じように、彼方の星に手を伸ばす。

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