朔月秘話

朔月秘話(Tales under the New Moon)

  • 2023年8月25日より順次公開されたもの
    1つの物語の終わりと、新たな冒険の幕開けに寄せて、これまで語られなかったエピソードを綴る特別な読み物「朔月秘話」を公開しました!

    今回は、「第1話: 蒼は夢に溶け消ゆ」をお届けします。

    朔月秘話特設ページは『こちら』。

    ※「朔月秘話」はメインシナリオのネタバレを含むため、まだメインシナリオをコンプリートしていない方はご注意ください。
    ※全4回(第1~4話)の更新を予定しています。
  • 第5話~第8話は2024年11月29日~12月20日に掛けて公開される予定。

※「朔月秘話」はメインシナリオのネタバレを含むため、まだメインシナリオをコンプリートしていない方はご注意ください。

Table of Contents

概要

1つの物語の終わりと、新たな冒険の幕開けに寄せて、これまで語られなかったエピソードを綴る特別な読み物「朔月秘話」を公開しました!

朔月秘話 第1話「蒼は夢に溶け消ゆ」

習慣とは、そう簡単には変えられないものだ。
かつて皇都イシュガルドにおいて最強の竜狩りと呼ばれた男、エスティニアン・ヴァーリノも、未だ抜けきらない習慣を抱えながらに生きている。
竜騎士の兜を置いて久しいというのに、暇さえあれば鍛錬に勤しんでしまうのだ。
幼い頃、七大天竜が一翼、ニーズヘッグに家族を皆殺しにされてからというもの、復讐を成し遂げる力を得ようと、彼は厳しい修行の日々を送ってきた。長じて師の下を離れてからも、自己鍛錬の習慣に変化はなし。自らに厳しくあらねば、決して強大な竜との戦いを生き残れはしなかっただろう。
とはいえ、新しくできた習慣もある。晩酌もそのひとつだ。
かつて、竜との戦いに人生を捧げていた頃の彼であれば、たとえ非番の日であっても――友人からの強引な誘いでもない限り――酒をあおることなど稀だった。
しかし、竜詩戦争の終結後に放浪の旅を続けたことで、多少は張り詰めた心も和らいできたらしい。非常時ならいざしらず、平穏な一日の締めくくりとしてならば、酒の一杯も悪くないと思えるようになっていた。
天の果てへの遠征から帰還した後、ラザハン太守ヴリトラの勧めでサベネア島に逗留していたエスティニアンは、この日も自己鍛錬に励んだ後、ひとり客室で酒盃を傾けていた。
酒の肴は、地元漁師から仕入れたイカの干物。その味は東方産に引けを取らないものだったが、盃に注いだのが当地名産の蒸留酒だったのが、よくなかったらしい。有能で知られるラザハン錬金術師が醸造した酒は、あまりに効きすぎる。
たちまちに酔いが回り、心地よい疲れとともにエスティニアンは眠りへと堕ちていった。

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浅い微睡みを抜けた先、深い夢の中で、男は竜と戦っていた。
己に向けて放たれた咆哮からは、憎しみと殺意が感じられる。邪竜ニーズヘッグの眼から力を引き出して戦う「蒼の竜騎士」は、竜が魔力を乗せて放つ咆哮から、そこに込められた想いを感じ取ることができるのだ。
牙を剥いて迫りくる竜を跳躍して躱すと、空中で身をひねり手にした槍に眼から引き出した魔力を乗せる。そして竜騎士は、流星のように輝きを帯びて降下した。
狙いは首の付根、頚椎の隙間。そこを穿てば、いかに強靭な竜であっても無事では済まない。衝撃とともに穂先が硬い鱗を突き破り、肉を裂いた。直後、槍に凝縮された魔力が爆ぜ、爆炎を上げつつ骨を砕く。
獲った、という感触があった。
竜は痛みの咆哮をあげると、大きく身を揺るがして竜騎士を振り落とそうともがいたが、その動きも長くは続かない。やがて竜の命は潰え、巨体は力なく倒れ込む。
だが、勝者となった竜騎士にも余力はなかった。
死した竜の背から飛び降りて一息ついたのも束の間、鋭い痛みが胸を奔り、思わず膝をつく。
彼には激痛の要因がわかっていた。力の源として利用してきた邪竜の眼だ。莫大な魔力とともにニーズヘッグの怨念が込められたそれは、「蒼の竜騎士」に絶大な力を与える反面、徐々に心身を蝕んでゆく。
このままいけば肉体を乗っ取られ、傀儡同然のいわば邪竜の影と化す。誰に教わったわけでもないが、直感が不吉な未来の訪れを告げていた。

「黙れ、ニーズヘッグ……!」

絞り出すように反意を口に出したことで痛みは弱まったが、影響のすべてを抑え込めたわけではない。発作の強さも頻度も日に日に増すばかり。どう考えても限界だった。

「そろそろ終わりにすべきときが、来たのかもしれんな……」

竜騎士は今しがた斃したばかりの竜の死骸にもたれかかり、少し休むだけだと自分に言い聞かせながら目を閉じた。




泥のような眠りから目覚めたとき、竜騎士はいずこかの屋内に運び込まれていた。硬い木張りの床に敷かれた獣皮の上に、横たえられていたようだ。
半身を起こして室内を見渡すと、いくつかのテーブルと椅子、そして長いカウンターが見えた。染み付いたワインと肉の匂いも鑑みれば、ここは酒場らしい。

「親父! 彼が……!」

若い女の声が聞こえると、荒々しく足音を響かせながら中年の男が走り込んできた。

「ハルドラス様!」

そう呼ばれて、エスティニアンは夢の中で自分が何者となっていたのかを認識した。
征竜将ハルドラス――父王トールダンと共に、七大天竜ラタトスクを討ったイシュガルド建国の英雄。そして、邪竜ニーズヘッグから双眸を奪い、これを自らの力として史上初めて「蒼の竜騎士」となった人物だ。
夢の中、彼はハルドラスとなっていた。
その状態を受け入れることで記憶がより鮮明になり、心配げに自分を覗き込む男の正体も理解できるようになってゆく。

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「……オルニカール卿か?」

オルニカール・ド・コーディユロ――トールダン王に仕えた十二騎士のひとりにして、邪竜ニーズヘッグを退けた戦いの後、騎士の身分を返上して野に下った人物だ。

「もう卿と呼ばれる身分じゃありませんぜ、我が主。
 今やしがない酒場の親父でさぁ」

あれから二十余年、ハルドラスは故郷たるイシュガルドには戻らず、ただ独り竜と戦い続けてきた。だが、それでも食料その他を求めて辺境の集落に立ち寄ることはあり、かつての戦友についての噂を聞くことはあった。
オルニカールが、酒場の親父に転身したと知ったときには眼を丸くしたものだが、なるほど、ここが彼の店であったか。

「だとすれば、私とてもはや君の主君ではない。
 しかし、なぜ私はここに……」

するとオルニカールは、近くにいた年若い黒髪の女を示して言った。

「ベルトリーヌ……俺の娘でしてね。
 鍛錬の最中に、竜の死骸の側で倒れているハルドラス様を見つけたと……。
 こいつ、親の反対も聞かず神殿騎士になりたいとかで、槍なんぞを振るってやがるんで」

父の言葉を継いで、ベルトリーヌが緊張気味に続ける。

「ハルドラス様のことは、幼い頃より父から聞かされてきました。
 竜狩りを目指す私にとって、貴方は憧れの存在なのです」

熱っぽく語る彼女を見て胸が疼いたのは、瞳に宿る輝きが若かりし頃の自分たちに似ていたからだろう。それはとうに彼が失ってしまった光だ。

「その貴方が、気を失っておられて……すぐにでも神殿騎士団病院にと考えたのですが、
 うなされながらも父の名を口にしたもので、ここに運んだのです」

「力尽きかけた私を見つけたのが邪竜の眷属でなかったばかりか、
 かつての戦友の娘であったとは、なんたる幸運……」

しかし、ベルトリーヌの返答は幸運では片付けられないものだった。

「貴方を見つけられたのは、声のおかげです」

「私がうめき声でも上げたというのか?」

「いえ……なんと言えばよいのか。
 頭の中に響く荒々しい風のような……」

嗚呼、なんという運命なのか――ハルドラスは天を仰ぎ、この出会いを導いた戦神ハルオーネに感謝した。この父娘にならば、すべてを託すことができるだろう。
ハルドラスは、己の胸に手を当てて言った。

「ベルトリーヌ、君が聞いたのは、この眼が発する邪竜の意思だ……」

そこには、銀色の甲冑に食い込む異様な代物があった。竜の眼だ。邪竜ニーズヘッグからくり抜かれたそれが、胸甲と融合しながらも禍々しい輝きを放っていた。

「眼は、力を求める者に語りかける。
 精神を蝕み、心を支配して、自由を得るためにな……」

「やはり、いまからでも神殿騎士団病院に……!」

身を乗り出したベルトリーヌを手で制すると、ハルドラスは続ける。

「無駄だ……。
 すでに竜の眼は身体に癒着し、鎧を脱ぐことさえままならん。
 強き心で精神を支配されぬよう抗ってきたが、邪竜め、肉体を奪うことにしたらしい……。
 ほどなく私は、ニーズヘッグの怨念に操られた傀儡と化すだろう」

「そんな……」

ハルドラスは絶句するオルニカールを見つめると、静かに言葉を紡いだ。

「だから、友よ。我が命を終わらせてくれ……」

「冗談じゃねぇ! 俺に、アンタを殺れっていうのか?」

平民出身のオルニカールは、感情が高ぶると元より怪しい礼儀作法が完全に崩れ去る。その懐かしい様を見て、ハルドラスは思わず微笑みながらも懇願した。

「非情な願いと承知しているが、どうか重ねて頼む……。
 私がこのまま傀儡となれば、必ずや眼を邪竜のもとへと運ぶだろう。
 その結末は……語らずともわかるはずだ」

邪竜ニーズヘッグは双眸を奪われてなお未だ健在であり、イシュガルドの脅威となっている。それでも、先王トールダンに代わる新たな指導者、教皇の下で神殿騎士団が結成され、貴族たちと共闘することで、どうにか竜の侵攻を押し止めることができていた。
だが、ニーズヘッグが眼を奪還して往時の力を取り戻せば、戦局は一気に悪化することだろう。

「理屈はわかる。わかるけどよぉ……。
 アンタは俺が忠誠を誓った、ただひとりの男なんだぞ?」

「人は脆弱で取るに足らぬ存在であり、
 母なる星の守護者たるに相応しきは幻龍の子たる七大天竜のみ。
 それがニーズヘッグの真意だと知ったとき、我らは決めたはずだ」

ハルドラスは、言い聞かせるように続ける。

「人の世を守るため、蜜月関係にある竜を裏切り、天竜を屠ると……。
 一度、その罪に手を染めた以上は、戦いから降りることなどできん。
 いかに剣を置いて酒場の親父となろうとも、現に娘は槍に手を伸ばしているではないか」

奥歯を噛み締めうつむく父から、その娘へと視線を移す。

「竜狩りになりたいと言ったな?
 邪竜の声を聞いたという君ならば、眼を託すに相応しい。
 この眼から力を引き出す竜騎士となり、皇都イシュガルドを守ってくれ」

ベルトリーヌは目を見開いて、呆然とつぶやいた。

「私が竜騎士に……?」

「そうだ。
 皇都イシュガルドに捧げる正義の心ある限り、蒼の竜騎士は己を失うことはない。
 しかし、精神を保てても肉体は徐々に蝕まれる。
 危ういと感じたなら、私のようになる前に次代の竜騎士へと眼を託せ。
 竜の寿命は長い、戦いは末代まで続くと覚悟せよ……」

そこまで言ったところで、ふたたびハルドラスを発作が襲った。

「やれ、オルニカール……!
 かつて私に誓った忠誠が真であるならば……頼む……!」

胸を反らせて激痛に耐えるハルドラスの姿を見て、父娘はもはや迷い悩んでいる時間すら残されていないのだと悟る。
オルニカールは震える手でハルドラスの愛槍を手にすると、その穂先を主の胸に押し当てる。
だが、どうしても力を込めることができない。ならず者同然だった自分を取り立て、友として、騎士として導いてくれた恩人ハルドラスを殺すことが、どうしてできようか。
逡巡する父を見て、娘は共に槍の柄を握った。

「親父の罪を、私にも背負わせて……」

ふたりは顔を見合わせ、そして覚悟を決める。
ハルドラスは顔を歪めながらも、どうにか笑顔を作ろうと試みた。

「さらばだ、友よ。ありがとう、次代の竜騎士よ。
 いつの日か、竜との戦に終わりを……」

幾多の竜を屠ってきた槍が、その持ち主の心臓を貫いたとき、唐突に夢は幕を下ろした。




目覚めたエスティニアンは額を濡らしていた汗を拭うと、部屋の片隅に立てかけられていた己の槍を見た。ニーズヘッグ、仇の名を与えた魔槍だ。

「なんてものを見せやがるんだ……」

かつて彼は、ニーズヘッグの双眸を手にしたことで精神と肉体を侵食され、邪竜の影となったことがある。そのうち片方の眼は、朽ちぬ死体と化していたハルドラスの亡骸に埋め込まれていたものだ。
先程の夢は、その眼を介して与えられた先達の想いだったのか。
そこまで考えて首を振る。もはや、その疑問に答えられる者はいないのだ。
エスティニアンは立ち上がり、夜風に当たろうと窓を開けた。

「終わったよ。
 あんたの願いは、千年越しで叶ったんだ」

窓の外には、竜と人とが暮らす多彩なる都、ラザハンの夜景が美しく輝いていた。
  • 蒼の竜騎士
    • ハルドラスが「さらばだ、騎士たち」と言い残して去った後、1人の騎士が「すっぱりと足を洗って、酒場の親父にでもなってみるさ。」と言って去ってしまう。この人物は後に酒場「忘れられた騎士亭」を開いた設定となっている。これが朔月秘話第1話に登場するオルニカール・ド・コーディユロということになる。
    • ただし、酒場「忘れられた騎士亭」の亭主は「代々、負傷兵がマスターの座を継ぐ」ことになっているため(世界設定本1巻)、現亭主であるジブリオンとは酒場亭主以外のつながりはない。

朔月秘話 第2話「影の記録」

冷え切った大地の上に、白く、ただ白く、雪が積もっている。中央山脈の北、すなわちガレマール帝国の根拠地は、終末の騒動が去った今も不安げに口を引き結ぶかの如く沈黙していた。崩壊した首都ガレマルドから西へ400マルム余り、帝国の都市としては中規模のその街でも、道行く人々の表情は一様に硬い。まばらに聞こえてくる街角の雑談でさえ暗く沈み、いかにも不景気な有様だった。
サンクレッドは帝国兵に支給される標準的なコートと耳当て付きの帽子を身に着け、大通りを歩いている。人々と同じように厳めしい顔をして、いかにも職務中であるかのように周囲に視線を配りながら歩けば、巡回中の一兵卒にしか見えないだろう。しかし――注意だけを素早く後方に遣って、サンクレッドは路地裏に身を滑り込ませた。ひとけのない細く陰気な道を、街の外に向けて進んでいく。間もなく石畳の舗装が終わり、白い雪原が開けた。構わず踏み込むこと二歩三歩……背後にただならぬ気配を感じたかと思えば、靴底が砂利を擦る音と革のはためく音がほとんど一瞬のうちに飛び掛かってきた。振り向きざまに抜いた剣で、襲い来る重たい斬撃を受け止め弾く。そのまま相手の懐へ潜り込むと、肘で鋭く顎を打った。襲撃者は呻きも上げられずに傾かしぎ、手放した戦鎌いくさがまとともに雪へと墜ちる。

「悪いが見逃してもらうぞ。今回はただ様子を見にきただけなんだ」

暁の血盟」が表向きの解散を迎えてなお、サンクレッドは世界を護り続けている。大切な妹分が命を賭して護り、愛したものを、未来へ繋がんとする悪あがきだ。ここのところは大事件と呼ぶほどの騒動こそ起きていなかったものの、先行き不透明なガレマール帝国の周りではきな臭い事案が頻発していた。それもあってこの街の偵察に来たのだが――サンクレッドは改めて雪上の襲撃者に目を向ける。全身を黒衣に包み、唯一露出している目元には老年らしき深い皺が刻まれていた。魔導革命以前のガレマール帝国において異民族を刈る役目を担ったという暗殺者「リーパー」、その生き残りがサンクレッドの存在に気づき、憂国の士として排除しにきたというところだろうか。
今後の対処について検討しつつも、思考はつい、過去へと流れてしまう。老兵と戦鎌……それが示す人物をほかにも知っていたからだ。彼が生きたのは、ちょうどこの雪原の天と地を返したかのような白光満ちる世界。そこで戦い、果てに死した。

将軍ランジート、その人である。

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かの将軍の素性については、「ミンフィリア」をユールモアの監獄棟から救い出すにあたって念入りに調べていた。
光の氾濫以前のこと、世界を股にかけて活動する暗殺者集団があったという。容易に依頼は請けないものの、取り掛かれば決して仕損じることはないとされた手練れたち。その詳細を知るには至らなかったが、苦労して見つけたわずかな記録には壮絶な内容が綴られていた。曰く、彼らは血、あるいはそれに匹敵する契約によって繋がった一団である。曰く、彼らは出自をぼやかすため、あえて異種族間で子を成し暗殺者として育てる。曰く、彼らは血を触媒とした妖術を使う……生きながら焼かれ四肢を割かれるような修行に耐えた者のみがそれを会得するのだ、と。彼らがいかなる思想を以て暗殺術の習熟に生涯を費やしたのか、今となっては知る由もない。ただ執念とでも呼ぶべき昏い熱が、短い記録から垣間見えていた。

第一世界におけるおよそ100年前、暗殺者集団の頭目であったザルバードはユールモア市長のもとを訪問していた。用向きについては推して知るべしだろう。肝心なのは、その訪問中に光の氾濫が発生したことだ。当地へ留まることを余儀なくされたザルバードと数名の配下たちに、市長は衣食住を保証した。その礼であったのか、はたまた世界滅亡の危機を前にしては致し方なかったのか、彼らは警備と護衛程度しか任務経験のなかった兵士たちに実践的な戦闘技術を教えた。かくして無の大地から罪喰いが大挙して押し寄せてきた際にも、ザルバード率いるユールモアの軍勢は対抗し得たのである。

氾濫から12年、ザルバードのもとに子が生まれる。母親についての記録が残っていなかった点を鑑みれば、己の技術を継がせたいというザルバード側の意志によるところだったのかもしれない。事実、誕生した子は言葉も覚束ないころから厳しい訓練を施されたという。ここにきてようやく目的の名が歴史に登場するのだ。ザルバードの子、ランジートと。
その時分、残存する人類は果ての見えない罪喰いとの戦いによって疲弊していた。間もなく大陸側ではフッブート王国が斃たおれるが、滅亡の淵にあって予期せぬ転機が訪れる。罪喰い化に耐性を持つ少女が発見されたのだ。紆余曲折を経て2年後にユールモアにて保護された彼女は、その特徴から光の氾濫を止めたという伝説的な存在「ミンフィリア」の名を与えられた。
罪喰い化への耐性を活かすには前線に出るよりない。保護された当時まだ12歳だった彼女を、ザルバードは兵士たちと同等に仕上げんとした。一方でランジートは5歳かそこらだろうか。人類の新たな希望たれと見出された者と、暗殺術の継承者たれと生み出された者。求められる結果は違えども、同じ師につく子ども同士と呼べた時代があったのだ。そこでいかなる言葉が交わされ、互いに何を思ったのか。刻一刻と過ぎゆく幼い日々をどんな顔をして駆け抜けたのか。記録にはなく、余人にはもはや窺い知る術もない。ただ、当時のミンフィリアについて報告書にはこう記されている。『明朗な人柄にして、楽しげに周囲と交流する様などは生来ユールモアに暮らしていたかのようだ。己の特異な力に驕らず、人々を救うことこそが使命であるとして、日々訓練に励んでいる』その通りであったならば、過酷な修行に打ち込む年下の兄弟子を、おそらく彼女は見過ごさなかっただろう。

はたして大人たちの思惑は結実し、数年の時を経てミンフィリアの存在は世界へと大々的に公表された。同時に、彼女を旗印とした対罪喰い特殊部隊「浄罪兵団」の結成も宣言されている。部隊を実質的に指揮するのは、誰あろうザルバードだった。彼らはまさしく決死の覚悟で人類の反転攻勢を演じた。討伐に出れば都度少なくない犠牲者を出したものの、これまでいつ終わるとも知れない防戦を続けていた人々は、彼らの勝利に熱狂していく。あるときなど、帰還してくる浄罪兵団を迎えんとユールモアのテラスに集まった民衆が、押し合いへし合い海に落下する騒動まで起きたという。ミンフィリアはどんなときも彼らに笑顔で手を振り応えた。その傍らにはザルバードと、彼の息子が影のように控えていたとされる。

それから数度の勝利があり、数えきれない喪失があった。前進を続ける浄罪兵団は、罪喰いにまつわるいくつもの事実を人類にもたらした。そしてついに待望のときがくる。ドヴェルガル山脈の奥地にて、コルシア島一帯を統べる大罪喰いを追い詰めたのである。激闘の末、とどめを刺したのはザルバードだった。続いて歓喜の声が上がる……そのはずが、待ち受けていたのは底なしの絶望だった。大罪喰いの有していた強い光の力が放出され、ザルバードを呑み込んだのだ。彼は終ぞ聞いたことのないような雄叫びを上げ、見る間に異形へと変じていく。大罪喰いを倒した者が次なる大罪喰いになるという事実を、人類が初めて目の当たりにした瞬間だった。
撤退を余儀なくされた浄罪兵団は、ザルバードを戦死とし、大罪喰い討伐の報のみを伝えた。少なくとも新たにそれと成ったザルバードが攻め込んでこないかぎりは誤魔化せる……彼らにも時間が必要だったのだ。人々は偉大なる戦士の死を嘆きながらも、歴史的勝利を大いに喜び祝った。その裏でミンフィリアから各地を治める組織の長に対し、秘密裏に大罪喰いについての真実が共有されている。皆一様に驚嘆し、困難な未来を予期したに違いない。何か道はないものかと思案して――少なくともミンフィリア自身は気づいたのだ。罪喰い化に耐性がある自分が大罪喰いを倒せば、悲劇の連鎖が絶たれるかもしれないということに。

浄罪兵団は罪喰い討伐を続けた。ザルバードの役目を継いだのは、まだ10代のランジートだった。かの暗殺術がどれだけ彼に継承されたのかは定かでないが、少なくとも罪喰いとの戦績という面においては、前代のころと遜色ない成果を挙げている。師であり父である人物を失った直後であったことを思えば、むしろ優秀すぎるほどであろう。一方で、この当時の軍事記録からは、彼ではなくミンフィリアがほとんどの作戦を推進していたことが窺える。私が大罪喰いを倒すのだと、そのための力を得たいのだと、書面に載らぬ叫びが聞こえてくるかのようだった。
作戦が開始されミンフィリアが敵を屠る。ランジートも屠る。また新たな作戦が始まってミンフィリアが屠る。ランジートが屠る。その積み重ねこそが、彼らの対話のようだった。

そうして兵団の結成から10年余り。世界を救うために走り続けてきたミンフィリアが、その膝を地についた。罪喰い化に耐性があったとしても、切り裂かれれば血を流し、血を流せば死に至るのだ。彼女は仲間を呼び集めると、「ミンフィリア」の再来を予言した。彼女の中にいる「本当の光の巫女」がそう告げているのだと、痛みに荒く乱れる呼吸の合間に微笑んだという。かくして役目を果たした当代のミンフィリアは、最後にランジートとふたりにしてほしいと願った。
だからいかなる記録も語り継いではいないのだ。同じ師のもとで、一方は光、一方は影となったふたりが、死の間際に何を語り合ったかなど。そのミンフィリアが悔しさに泣いて終わったのか、あるいは安堵の微笑みを浮かべて終わったのかも。遺されたランジートの思いさえ、何ひとつとして……。
彼女の死にまつわる情報として残っているのは、盛大な葬儀が開かれ国を問わず多くの人々が嘆き悲しんだということ、そして遺体はランジートの手によってユールモアの地下墓地へと埋葬されたということだった。

ミンフィリアの生まれ変わりは、世界を挙げた捜索によって3年と経たずに発見された。ユールモアへと連れてこられた少女は、確かに同じ金の髪と、エーテルの輝きを宿した瞳を持っていた。検証の結果、罪喰い化への耐性も確認された。しかし、それだけだ。彼女は前代とはまったくの別人であり、まだ挨拶ができたことを誇るような年頃の娘だった。それでも再び見出されたからには希望の象徴となってもらわなければならない。ランジートはかつて自分たちがザルバードにされたように、幼子に戦う術を仕込んでいった。
そのミンフィリアは12歳まで生きた。戦場へ出た数は10回にも達していない。並行して罪喰いの研究が重ねられ、非力な少女でもとどめを刺す方法が模索されていたようだ。結果としてわかったのは、罪喰いはどれほどそれらしき形をとっていても生物ではないということ。切り開いても意味のある形に臓物が入っていない。さながら粘土でできた人形のように、どこを断てば息の根を止められるということもなく、強靭な力を以て破壊するしかないと結論づけられるばかりだった。
ランジートミンフィリアたちを訓練し続けた。筋のいい者もいれば、一向に埒が明かず「私を殺して次の子を育てて」と泣きながら懇願する者もいた。そうであっても続けなければならない。少女たちの人生すべてを費やしていく。ただ、世界を救うために。

そこに終止符を打ったのは誰だったか。光の氾濫から実に80年ほどが経ち、ユールモアに新たな元首ヴァウスリーが君臨することとなった。彼の有する能力によって罪喰いは倒すものから従えるものへと変わり、浄罪兵団は解散となった。そればかりか、ミンフィリアに殺される夢を見たという彼は、当代の彼女を殴り殺したのだ。そしてランジートに下った命令は、次なる生まれ変わりを探し出し、見つけ次第幽閉して、反逆者と成り得る力を与えるなとの内容だった。
ここにおいても、やはりランジートの心境を記録から知ることはできない。しかし、後年になってミンフィリアを伴った「闇の戦士」一行が彼から受けた言葉を、新たに書き足すことはできる。

『戦場は地獄、闘争は不毛。安寧のうちに得る平和こそが、唯一の幸福である』

『人は、人であるかぎり……そして、正しく在ろうとするほどに、戦から逃れられぬ。
 なればこそ。正しくなく、ただの人でもない……そんな男の掲げる平和に賭けたのだ』

ランジート、享年88。遺体はミンフィリアたちの墓の前で見つかっている。

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朔月秘話 第3話「赫の邂逅」

「ラハくん、あなた宛ての手紙が来てるわよ」

終末の騒動も落ち着いて久しい、風の穏やかな昼下がりのこと。少し遅めの昼食を終えてバルデシオン分館に戻ったグ・ラハ・ティアに、クルルがそう言いながら一通の封書を差し出してきた。委員会ではなくラハ個人に宛てたものとなると珍しいが、なるほど表には整ったエオルゼア文字でその名前が記されている。差出人の署名はない。受付のオジカからペーパーナイフを借りて封を開け、中身に目を通せば思いもよらず「えっ」と驚きの声を上げる羽目になった。クルルとオジカがそろって視線を向けてくる。ラハは確かめるようにもう一度文面をさらったあと、困惑交じりに答えた。

「聞きたいことがあるから、よければこっちに来てくれって……ドマのヒエン殿が」

「ヒエンさんって、あのヒエンさんよね。どうしてラハくんを?」

「オレが聞きたいよ。あの人を連れてこいって話ならともかく……」

便箋を裏返したり透かしてみたりするものの、暗号が仕込まれている風でもない。となれば、流暢に書き綴られている内容に他意はないのだろう。さてどうしたものかと思案する脳裏に、かの冒険者がドマについて語る姿が浮かんでは消えていった。

「……相手が相手だし、断るわけにもいかないよな」

それこそが動機であると念押しするように口に出せば、今度は何故かふたりから半笑いを向けられる。ラハはわずかな緊張と多大な期待を胸に、予定の調整に取り掛かったのだった。

クガネを経由してイサリ村に渡り、手配されていた船で無二江を遡上する。たどり着いたドマ町人地では、ハクロウと名乗る人狼族の武人に深々とした東方式の一礼で迎えられた。彼の尾を追うようにして大通りを進む。両側に連なる石造りの塀は特徴的な円形の門と扇状の小窓を備えており、その向こうに職人たちの工房らしき場所が垣間見えた。都度に気を引かれつつも、ラハは努めて前を向く。
案内されたのは、通りの突き当たりにあるひときわ立派な建物だった。もとは町奉行所だったが、現在はヒエンの屋敷となり「帰燕館」と呼ばれているらしい。中に通され、しばし廊下を行く。古い建物だからか、あるいは香でも焚き染めているのか、草木を思わせる深い異国の香りがした。やにわに緊張が高まってくる。東方式の礼儀作法を胸中で復習しながら、とにもかくにも背筋を伸ばした。およそ気品や風格といったものと縁遠かったラハが、ある街の長として立たねばならなかった時代に「これだけは」と心掛けていたことだった。

ほどなくして引かれた戸の先に、目的の人物が待ち受けていた。

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「よく来てくれた。遠くから呼びつけてすまんな」

リジンのヒエンはそう言って口元に笑みを浮かべた。
以前、各国の盟主とともにテロフォロイへの対策を講じた際に、彼とは会ったことがある。厳密に言えば第八霊災が起きた先の未来においても、彼がいかに生き、かの英雄についてどのように語り継いでくれたかを知っているのだが……この歴史においては無用なことと、ラハはそっと口を閉ざしたまま「暁」の新入りとして挨拶を交わした。
そのときも他の盟主に負けず劣らずの迫力だと感じたものだが、こうして自国の紋を背負い、水墨で描かれた冷厳なる山河の前に座す姿は、実に堂々たるものだ。ドマが帝国属州となった翌年に生まれたというから、ラハとは同い年になる。そうとは感じさせない貫禄にこそ、ままならぬ境遇に身を置いてきた彼の苦労が偲ばれた。

「お招きいただき感謝する。でも、本当にオレでよかったのか?」

「無論よ。そなたに折り入って尋ねたいことがあったのだ」

促されるまま対面に座り、軽く旅の感想を交わしてからヒエンの用件を聞く。なんでも、ガレマール帝国との関係に変化の兆しがあるらしい。かの国といち早く通商を再開したラザハンが主催となり、帝国側の要人と、関係諸国の代表とで会談の場が設けられることとなったのだ。そこへ参加する予定のヒエンとしては、会談をこじれさせないためにも、帝国側の状況を極力把握しておきたい。参加者の中にはロクス・アモエヌス――コルヴォとも呼ばれる地の総督がいるので、その一帯にまつわる情報は殊更に必要だった。
そこでヒエンらは、終末の際にかの地で対応にあたったというサンクレッドに連絡をとった。あの混乱の中で正確に事態を把握できていた者がいるとすれば「暁」の面々をおいて他にいまい。すると彼から、当時同じ任務にあたっていて、コルヴォを生まれ故郷とするラハの方が適任だろうとの返答があったそうだ。

「間違いじゃないが……子どもの頃にシャーレアンに引き取られてから、ずっと遠ざかってたんだ。
 期待に沿えるだけの話ができるかどうか」

「それで構わんさ。
 帝国属州に生まれた者の中には、同じように故郷と疎遠になっている者も少なくない。
 そなたの言葉で、コルヴォについて聞かせてくれ」

そう願われれば、断る道理もない。ラハはまずあの土地が現状に至る経緯をかいつまんで説明することにした。
初めにそこが誰のものであったかと問えば、コルヴォ人もガレアン人も「我々のものだった」と答えることだろう。アラグ史を学ぶ者として意見するのであれば、五千年の昔にアラグ帝国の地方都市が築かれた場所であり、労働力として送り込まれた大勢のミコッテ族が暮らしていた場所に違いないのだが、数度の霊災と抗争の果てに対峙したのはその二者だったというわけだ。結果としてコルヴォ人が勝利を収めたのが、今からおよそ800年前のこと。以来ガレアン人は凍てつく北の地で雌伏の時を過ごすことになる。
その状況が近代になってついに覆った。60年ほど前、軍団長ソル・ガルヴァスが魔導技術を軍事に取り入れ、先祖の雪辱を果たすかのように南進したのだ。彼らは飛躍的に上昇した戦力でコルヴォ人を制圧。地図上からその名を消し去り、ロクス・アモエヌスと改めた。属州とするにあたって名を残さなかった唯一の事例であることからも、この勝利がガレアン人にとって特別なものであったことが窺える。

「名さえ消されて50年以上か……」

静かに話を聞いていたヒエンが、ぽつりと呟いた。彼としては、己の国が同じ道を辿っていたらと想像せざるを得ないのだろう。

「一応、文化や町並みにはまだコルヴォの名残がある。
 とはいえ、政治や労働の中核を担っているのはもう帝国統治下で生まれた世代だ」

それが意味するところは、終末が到来した際の対応にもありありと表れていた。類を見ない災厄だったという点を加味するとしても、同時期に終末に見舞われたラザハンと比べて行政の動きが鈍かったのだ。問いただせば、首都ガレマルドの壊滅によって「本国」――ガレアン人でもない青年が、確かにそう言った――と連携が取れず、一部の機能が麻痺しているとのことだった。
ありのままを報告すれば、ヒエンは瞼を閉じ、長く静かに息を吐いた。

「……先の解放戦争に決着がついたとき、ドマは帝国属州となって25年、アラミゴは20年だった。
 これがもし、さらに数十年先のことであったなら、戦いくさの結末は違っていたかもしれん」

「どうしたって、帝国に組み込まれた状態の方が日常になってくるからな……。
 それで上手く回ってるなら、独立のために戦おうって意志を維持するのは難しい」

「ああ、誰もコルヴォの有様を責められるものか。
 まこと時の力とは恐ろしいものよ。かく言うわしも帝国式の教育を受けて育った身……
 父母やゴウセツの存在があればこそ志が萎えることはなかったが、
 もはや帝国の介入がなかった時分の『純粋なドマ人』ではないのだ」

その言葉に、ヒエンの――帝国統治下で生まれた子らの苦悩が滲んでいた。
ガレマール帝国の厳格な階級制度において、彼らの多くは市民権を持たない。「ドマ人だから」「アラミゴ人だから」と差別され、仮に功績を挙げて市民権を得たとしても侮蔑が付きまとってくる。彼らはいつだって悲しみと怒りの中で自分が何人であるかを知るのだ。
だというのに、親や祖父母が描く祖国の情景には加わることができない。郷愁を込めて語られる暮らしは一度たりとも体験したことがないもので、そこに在ったという風習も誇りも、時代の壁に阻まれて己と重なりはしないのだ。
深い異国の香りの内に、やるせない沈黙が漂う。それを無遠慮にかき消してしまいたくはなかった。ゆえにラハは精一杯言葉を探し、静かに、真摯に思うところを告げる。

「オレのような歴史学者や考古学者は、時代の節目に線を引く。
 ここまでがあの文明、ここからがこの文明ってな。
 だが現実には線引き通りにすべての人が入れ替わってるわけじゃないだろう?
 王が変わり、国の名前が変わっても、そこに生き続けている大勢の人がいる。
 彼らが新たな風を受けて次の時代を作っていくんだ」

そうして歴史は繋がっていく。帝国式の教育を受けていたっていなくたって、同じひとつの流れの中だ。それは変化であって隔絶ではないのだと、寄る辺なく生きてきた彼らに少しでも伝わればいいと思った。

ヒエンは微かな驚きを浮かべてラハを見返していたが、やがて何がおかしいのか体を折ってくつくつと堪えた笑い声を上げはじめた。

「いや、すまん、それほど卑屈になっているつもりはなかったんだが……
 思いがけず良い言葉をもらってしまったな」

「えっ!? あ、ええと、その、出すぎた真似だったら忘れてくれ……」

「忘れられるものか!
 上から下まで赫あかい、なんとも絢爛な男だと思っておったが、やはり『暁』に招かれた傑物よな。
 一瞬どこぞの老師から助言を賜ったかのような気になったわ……!」

よほどツボにはまったらしく、ヒエンの笑いはなかなか収まらなかった。慌てふためいたラハが耳と肩を落とす段になって、ようやく「すまんすまん」と下げていた顔を上げる。
晴れやかな、どこまでも遥々と広がる青天に似た笑みが、そこにはあった。

「そなたの言うとおりだ。
 父祖の代から変わったこと、やがて変わることを恐れずいよう。
 そのすべてをひっくるめて、ここがドマという国よ!」

彼の目は赫かがやき、ラハの向こうに遠い未来を見ているかのようだった。そういう眼差しをする人に、過去にも出会ったことがある。皆、果てなく険しい道を征かんとする挑戦者であり、その先で星を掴み取った者たちだった。
ラハの口元は自然と緩んでしまう。ヒエンとドマの民が描いていくこれからの時代が楽しみでならなかった。

「……と豪語したからには、次の会談も良い変化への足掛かりにせんとな!
 どれ、次はコルヴォの名物でも聞かせてもらえるか?
 飯の話はとくに、万国共通で盛り上がるものだ」

言いながらヒエンは立ち上がる。その意図を図りかねていると、彼が今度はニイと笑った。

「なぁに、そういう話ならここに籠っておらずともよい。
 遠くから足を運んでくれた客人に、もてなしもせず飯の話をさせるなど鬼畜の所業。
 あれやこれやと聞かせてもらう礼に、ドマの飯を堪能していってくれ!」

二つ返事で立ち上がり、ともに屋敷の外へ繰り出す。かつて国政の中心地であったドマ城は川向こうでまだ半壊した姿を晒しているが、町人地は復興の熱気と賑わいに満ちていた。それもまた変化のひとつなのかもしれない。
血の嵐を越えて、人々は今日もこの地に生きている。
力強く生き続けている。

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朔月秘話 第4話「朔月の約束」

その日、ルヴェユール邸では模様替えが行われていた。
近東のサベネア島からやってくる留学生を受け入れるため、ホストマザーに名乗りを上げたアメリアンス・ルヴェユールの号令の下、客室のひとつを作り替えようというのだ。優雅な応接家具の一式が運び出されたかと思えば、上品な寝台が運び込まれるといった具合で、ここ数年は来客との懇談などに利用されていた部屋が、みるみるうちに学生の暮らしの場へと変貌を遂げていった。
すべての作業が終わると、アメリアンスは満足げに室内を見渡し――ふと気づく。
壁際に置かれた古めかしい物書き机ライティングテーブルの引き出しが、少しだけ開きかけていたのだ。新しい家族を迎えるのだから、仕上げは完璧に。そう考えたアメリアンスは引き出しの取手を握って押してみたのだが、なにかが引っかかっているのか、どうしても奥まで入り切らない。

「さすがに年代物だから、修理を頼まないといけないかしら」

思わずこぼれた独り言のとおり、その物書き机はアンティークの部類に属す品だった。先代当主のルイゾワが子どもの時分に購入されたもので、その息子のフルシュノへ、そのまた息子のアルフィノへと三代に亘ってルヴェユール家の男子たちに受け継がれてきたのだ。ガタがきていたとしても、当然というもの。
念のためにと引き出しを机から抜き取ってみて、アメリアンスはようやく不具合の原因を知る。天板の裏側に絡繰り仕掛けの隠し収納が備えられており、外れかかった蓋が引き出しと干渉していたのだ。さすがは悪戯者として知られていたルイゾワ老に由来する品といったところか。
とはいえ、アメリアンスもまた負けず劣らずの悪戯心を備えている。隠し収納を見つけたとなれば、その中を覗かずにはいられない。かくして彼女は、一冊の革張りの手帳を発見することになる。
いったい何が記されているというのか。何気なしに開いた頁の一行目に書かれていたのは、見覚えのある几帳面な文字で記された日付――それは、彼女の息子アルフィノが幼少期に綴っていた古い日記だった。



後に人々が「第六星暦の最後の年」として認識することになる1572年。北洋に遅い春が訪れた星3月1日のことだ。
端的に言うとアルフィノ・ルヴェユールは、暇を持て余していた。
進学を希望していたシャーレアン魔法大学から合格通知をもらったものの、実際に入学するには学期の始まりを待たねばならず、かといって私塾での学びも終えてしまった彼は、少しばかり宙ぶらりんな立場にあったのだ。しかも悪いことに、その日は朝から祖父ルイゾワが不在だった。妹のアリゼーが、祖父を連れて買い物に繰り出してしまったのである。敬愛する祖父がエオルゼアへと渡るつもりだと知ってからは、なるべく共に時間を過ごしたいと思っていたものの、妹に先を越された格好だ。
手持ち無沙汰になった彼は、庭先に出て読書でも……と考え玄関へと向かったところで、今まさに外出しようとする父フルシュノに出くわした。

「お父様、お出かけですか?」

「ああ、視察にな」

あまりにも端的な返答は、11歳の息子に対するものとは思えなかったが、アルフィノが返した言葉もまた子どもらしくはない。

「休日に公務とは、お疲れ様です」

「いや、今日の視察は哲学者議会の用件ではなく、私的なものだ」

これが神童と呼ばれた少年と、その父の日常的な会話の在りようであった。
とはいえ子どもらしさが皆無であったかと言えば、決してそうではない。公務でないと聞いたアルフィノは、遊びに連れていってほしいと言わんばかりに同行の許可を求めていたのだ。フルシュノが少し思案した後に許可を出したことで、彼は行き先も知らぬまま父とふたり出かけることになる。
途中、アルフィノはアゴラの外れで不貞腐れた様子でしゃがみ込み、愛犬アンジェロの頭を撫でるアリゼーを見かけた。すぐそばには、友人たちに囲まれたルイゾワの姿。魔法大学のモンティシェーニュ学長を筆頭に、考古学部のルルシャ教授に魔法学部のネネリモ・トトリモ教授とくれば、長話の沼にはまり込むのは確定だ。妹の不運に憐れみを覚えながらも、アルフィノは先をゆく父の背中を追った。


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数分の後、父子は知の都において、もっとも標高の高い丘の上にある「哲学者の広場」の前に立っていた。いや、元広場と言うべきか。かつては本当に円形の広場があり、全市民が集って政策を論じあったと伝えられているが、今では市民の代表者たる99名の議員たちが集うための立派な議事堂が建っているのだから。哲学者議会の一員であるフルシュノにとっては、職場も同然の場所だ。とても公務以外で訪れる場所ではないとアルフィノは疑問に思った。

「こちらだ。付いてきなさい」

あいも変わらず、父フルシュノは言葉少なく先導する。左手の入口から議事堂内に入ると、階段を下りて地下室へと向かう。そこには厳重に警備された扉があったが、この議事堂内にフルシュノの顔を知らぬ者などいない。すんなりと訪問手続きが終わると扉が開かれ、ふたりは室内へと進む。直後、入ってきたばかりの扉が閉ざされ、室内全体がぐらりと揺れたところでアルフィノは今いるのが昇降機の中なのだと気がついた。

「お父様、まさかここは……」

「そうだ。お前も街の下に造られているラヴィリンソスのことは聞いているだろう」

確かに聞いたことがあった。シャーレアン本島は火山島であり、街の地下深くには、かつての溶岩溜まりの痕跡だという巨大な空洞が存在する。そこを世界各地から集めた資料や生体サンプルの保管庫として利用しているのだという。
しかし、いくら事前に概要を知っていたとしても、昇降機から降りたアルフィノは驚きの光景に目を丸くすることになる。聞きしに勝るとは、まさにこのこと。見上げれば偽りの空があり、人工の太陽が輝きを放っている。呆然と立ち尽くす息子の姿を見て、フルシュノは僅かに口角を上げた。

「見事なものだろう。
 先日、遅れていた最後の送風塔が完成し、起動試験が行われていてな。
 様子を確認しておきたかったのだ」

髪を撫でる柔らかな風を感じ、アルフィノはその行き先を追うように駆け出した。
胸壁から身を乗り出すようにして眼下を見やると、とても地下とは思えない緑地が広がっている。

「すごい……まるで北洋じゃないみたいだ!」

目を輝かせる息子の横に父が並ぶ。

「温暖で過ごしやすいイルサバード大陸南部、コルヴォ地方の気候を再現している。
 帝国人は彼の地を理想卿ロクス・アモエヌスと呼ぶそうだが、その気持ちもわからんではない。
 戦好きの野蛮人たちと見解が一致することなど、稀ではあるがね」

フルシュノがこうも饒舌になるのは珍しい。思わず自慢げに語らずにはいられないほど、この環境を造り出す過程は困難に満ちていたのだろう。
その後、アルフィノは父に連れられてロジスティコン・アルファを訪れた。ラヴィリンソスの気象を管理する施設である。知的好奇心に満ち溢れる少年にとって、最新技術の詰め込まれた場所を見て回る体験は、実に心躍るものだった。もっと見たい、もっと知りたい。彼は心底、そう願った。

「お父様、この先にも行ってみましょう!」

すべての視察行程を終えて施設を出るや、アルフィノが北に延びる林道を指さして言った。ところが、フルシュノは首を振って答える。

「視察はここまでだ。家へ戻ろう」

刹那、アルフィノは玩具を取り上げられた幼子のような顔を見せたが、そこは聞き分けの良い彼のこと。すぐさま失望を悟らせまいと表情を整えた。彼は、偉大な父にふさわしい息子であろうと心がけていたのだ。
しかし、意外なところから援軍がやってくる。

「いいじゃありませんか。
 せっかくのピクニック日和ですもの!」

声の主は、アメリアンスだった。左右の手にひとつずつ大きなバスケットを提げている。

「休日だっていうのに、みんな私を置いてお出かけしてしまうんだもの。
 抜け駆けした罰に、言うことを聞いてもらいますからね?」

アメリアンスが笑顔と共に放った言葉は、交渉のそれではなく、一方的な通告だった。
こうなっては、シャーレアンの政治を動かす有力議員と言えども口答えはできない。ほどなく、アメリアンスに声をかけられていたらしいルイゾワアリゼーも愛犬アンジェロ共々合流し、一家そろってミディアルサーキットにて、ピクニックと相成ったのである。
完成したばかりのプネウマ送風塔から送り出される風の下、草地に敷布が広げられ、バスケットが開封された。水筒の栓が抜かれると芳しい紅茶の香りが漂い始め、ラストスタンドで買いだしてきた軽食に華を添える。
シャーレアンきっての名門一家が、そろって集まっているとなれば否が応でも目を引く。道行く人々――主に研究者の類だった――が挨拶でもと立ち止まるようになり、やがては自らもピクニックに参加しようという者すら現れ始める。
先陣をきったのはバルデシオン委員会の代表を務めるガラフ老。義娘だというララフェル族の少女を連れてくると、アルフィノアリゼーに引き合わせてくれた。彼女がシャーレアン魔法大学に在学中だと知ったアメリアンスは、後輩として入学することになる子どもたちを、どうぞよろしくと頭を下げ、紅茶を注ぐ。彼女、クルル・バルデシオンはティーカップを受け取ると、ほがらかに微笑んで快諾し、双子の大学生活を支えると約束した。
続いてやってきたのは、ルイゾワの弟子たち――快活なムーンブリダ・ウィルフスンウィンと、寡黙なウリエンジェ・オギュレの二人組だ。家族の団らんを邪魔するわけにはと遠慮がちなウリエンジェを、宴は人数が多いほど盛り上がるものだとムーンブリダがねじ伏せての参加となった。結局のところ、消極的だったウリエンジェの方が熱っぽくルイゾワとの予言詩談義に興じていたところを見ると、本当に参加したかったのは彼の方だったのだろう。
ほかにも多くの人々が訪れた。フルシュノの周囲には、いつの間にやら哲学者議会に名を連ねる名士たちが集まっていた。ルイゾワウリエンジェに古代アラグ文明に関する自説をぶつけにきたのは、救世詩盟にも参加しているラムブルース氏だ。アメリアンスから追加注文を受けて、わざわざラヴィリンソスまで料理を運んできたラストスタンドのディコン店長も、いつの間にか座り込んで美味しい焼き菓子の作り方で激論を交わしている。


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彼らのピクニックは、人工太陽が夜の訪れを告げるために輝きを落とすまで続いた。その淡く光る水晶塊は、太陽と月が重なった朔月を思わせた。


そっと手帳を閉じて、アメリアンスは目を瞑る。脳裏に浮かんだのは、あのピクニックの帰り際にルイゾワフルシュノ、そしてアルフィノが語った言葉だ。

「これで心置きなく、星のために歩み出せるというものじゃ」

その言葉から、第七霊災の脅威に立ち向かうためエオルゼアへと渡るのだというルイゾワの決意が感じられた。死すら覚悟しての旅立ちを前に、愛する家族や友人たちとの時間を過ごせたことを心の底から喜んでもいたはずだ。

「私は私の道を往きます。
 子どもたちが歩むべき道を造るために」

今にして思えば、フルシュノは「星からの大撤収」という隠された使命こそが、子どもたちが生き残るための術であると信じて、異なる道を歩むのだと父に宣言したのだろう。ルイゾワは黙したまま、ただ静かに頷いていた。まるで、すべてを理解しているように。

「私も歩み続けます。いつかお祖父様やお父様の助けとなれるように」

魔法大学への入学を控えたアルフィノの言葉は、含みのない純粋な想いだったのだろうが、アメリアンスは知っている。アルフィノは妹アリゼーと共に祖父ルイゾワの背中を追い、父フルシュノが造った道を辿って、仲間と共に星を救ってみせた。
そう、彼らは、いずれも約束を果たしたのだ。

朔月秘話 第5話「深淵よりの呼び声」

次元の狭間の一角に座し、原初世界の様子を覗き見ていたアシエン・ラハブレアは、口元に笑みが浮かぶのを堪えきれずにいた。

ガレマール帝国統治下の準州アラミゴ
その西端、隣接するグリダニアとの国境に築かれた防衛拠点、カストルム・オリエンスに、漆黒の魔導甲冑に身を包んだ男が見えた。アラミゴの臨時属州総督にして、精鋭たる帝国軍第XIV軍団の軍団長を務める人物、ガイウス・ヴァン・バエサルである。
しかし、彼がいるのは暖かな司令室の中ではない。月明かりすらない夜更け、吹きさらしの資材置き場の一角に、護衛すらつけず独りで佇んでいるのだ。
一軍の将らしからぬこの行動が自分との対話を望んでのことだとするのならば、なんと可愛らしいことか……。そう思うとラハブレアの口元は自ずと歪み、むしろ忍び笑いすら漏れそうになる。
夜の静寂を破って、ついにガイウスが口を開いた。

「ここならば、良かろう。姿を現せ」

同盟者に選んだ男の呼びかけには、応じるべきであろう。
ラハブレアは、転移魔法を用いてガイウスの背後へと降り立つ。

「……再会の場を与えてくれたことに感謝しよう。
 私からの贈り物を気に入ってもらえたと思ってよいのかな?」

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彼らの出会いは、数日前のこと。
その時もやはり、ガイウスはカストルム・オリエンスにいた。カルテノーの戦いを見届けた後、ギラバニアへと帰還した彼は、流動的にならざるを得ない情勢下でいかに動くべきかと、独り思案していたのだ。
だが、安全が保証された自軍の拠点内であっても、彼は決して油断してはいなかった。
背後に気配を感じた刹那、ガイウスはガンブレードを抜き放った。並の襲撃者であったなら、その一撃ですべてが終わっていたことだろう。
しかし、黒法衣の訪問者、アシエン・ラハブレアは影のようにゆらりと切っ先を躱すと、動揺した素振りすら見せず、静かに語りかけた。

「我が名はアシエン・ラハブレア。
 漆黒の王狼よ、蛮神対策の切り札となる力に興味はないかね?」

ギラバニアの地には、5000年以上前に隆盛を極めた古代アラグ帝国が開発した、対蛮神兵器のひとつが眠っている。それを手中に収めることが叶えば、かように大げさな防壁の陰に隠れて怯える必要はないと、ラハブレアは囁くように続けた。
怪しげな黒法衣の言葉とあって、ガイウスは信じる素振りを見せなかったが、一方で頭ごなしに否定もしなかった。パラメキア諜報機関からの報告書にて、「天使い」と呼ばれる集団の存在について事前に知識を得ていたためである。
そこで彼は腹心の幕僚長に命じて発掘隊を組織し、教えられた山岳部に送り込むことにしたのだ。
あれから数日、そろそろ接触を試みる頃だと様子を窺っていたラハブレアの読みは当たったようだ。

「対蛮神兵器アルテマウェポン。
 間もなくエオルゼアへの再侵攻を命じられることになる君にとって、
 これ以上ない贈り物だったと思うが?」

その問いかけに、どうやらガイウスは兜の中で眉をひそめたようだ。
くぐもった声にかすかに苛立ちが混ざる。

「帝国の内情にずいぶんと詳しいようだな。
 だが、アシエン・ラハブレアよ、その遺物が使い物にならぬとは考え及ばなかったのか?」

「……ほう」

「たしかにうぬの言葉どおり、発見された遺跡の最奥には巨大な兵器が眠っていた。
 化石同様の代物ではあったがな」

配下のアシエンに命じて発掘の様子も監視していたため事情は知ってはいたものの、それには触れず、ラハブレアは相手の言葉を待った。

悠久の時を生きてきた彼から見ても、ガイウス・ヴァン・バエサルは奇特な男だ。
強大なガレマール帝国軍にあっても、5つの都市国家を征服し、属州化した実績というのは群を抜いている。
命じられた軍務に一切の妥協なく、好機と見れば兵を動かすことを躊躇しない。そうした迅速な決断力、行動力を持つ男が、ただ不満を述べるためだけに拠点の暗がりを訪れるはずはないだろう。欲すべきものがあるから、人は動くのだ。

「だが、問題はそこではない。
 5000年の時を経ていれば、そうもなろう」

ガイウスは、苛立ちを抑え込んで冷厳に言葉を紡ぐ。

「我らとてアラグの遺物の利用には、それなりの経験がある。
 現存する部品を解析すれば、完全再現まではできずともいずれ修復は可能であろう。
 しかしながら元となる遺物から、もっとも重要なコアが欠けているとなると話は別だ」

待ち望んでいた言葉を引き出せたところで、ラハブレアは笑みを浮かべる。

「そこまで理解できているのならば、話は早い」

配下を差し向けるでもなく、わざわざ自身が姿を見せた理由がここにあったのだ。
ラハブレアは両腕を大仰に広げて続ける。

「蛮神を屠る兵器ともなれば、相応のエネルギーを要することになる。
 そこで当時の魔科学者たちは、解析中だったある物質をコアとして用いたのだ」

「もったいぶるのはよせ。
 こうして我に話を持ちかけた以上、その正体も在処も知っているのだろう?」

「もちろんだとも。
 コアとされた超物質の名は、黒聖石サビク……。
 古代アラグ帝国ですら、その表層すら解析できなかったといういわくつきの代物だ!」

広げた腕のひとつを翻し、ラハブレアはその手中に黒い結晶を出現させる。
こうして相手に対し、望む「力」が手の届く場所にあることを見せつつ心の隙を探るのだ。

「君にこそ、この力を託したいのだよ。
 星に調和を取り戻し、あるべき姿に戻すために……」

「我は、うぬの理想になど興味はない。
 力無き為政者が民を導くゆえに、偽りの神が呼ばれ、地は枯れ、命は絶える。
 力を与えるというのなら、この状況を打破するために使うのみよ」

「わかっているとも。
 君はそうして己の理想を貫けばいい。
 そう、護るべき者のために……」

しかし、ガイウスは動かない。
正体の知れぬ存在の提案に乗ってよいものか、未だに迷いがあるのだろう。
だが彼の心の内にあって揺らぐ天秤は、こちらに傾かざるを得ない。あの皇帝の下で世界の平定のために突き進む男ならば、この力を無視できるわけがないのだ。

「君たちの皇帝は、こう言ったのだろう?
 その眼前に地平が広がるならば、行って滅せよ、平らげよ、と……」

猜疑心に溺れかけた男の沈黙を心地よく感じながら、アシエン・ラハブレアは喋り続ける。

「だがしかし、君は平定した先を見据えている。
 力ある者の導きにより、救える命があることを知っているのだから……」

アシエン・ラハブレアは、自身の切り札を託すに足る者を見つけるため、方々に配下を放っていた。そうして見つけたのが、ガイウスという人物であり、その人となりも把握していた。
優れた武人であることは言うに及ばず、支配した属州においては苛烈な統治者であると同時に、公明正大であることを示し続けてきた。才ある者を見出して出自にかかわらず登用し、寒さに凍える孤児があれば救いもする。
ガイウスに公平さと優しさがあればこそ、たとえそれが深淵からの誘惑であろうと己の理想を叶えるために力を手に取り……戦いの果てにアシエンが望む混沌を生むのだ。

「気に食わぬ……いったい、いつから我を見ていたのか」

そう発した言葉には、どこか諦観の色が混じっていた。
ガイウス・ヴァン・バエサルは足を踏み出し、そして手を伸ばす。
しかし、ラハブレアが黒聖石サビクを手渡そうとしたそのとき、ガイウスは言った。

「……だが、ひとつ聞きたい」

ラハブレアは、動きを止める。

「うぬは何故、アラグの者どもがアルテマウェポンを手放したとき、
 その黒聖石サビクとやらを手元に回収した?
 いずれ忘れ去られる運命ならば、あの遺跡に残しておいてもよかったはずだ」

いかに応じるべきかと考えた瞬間、アシエン・ラハブレアの脳裏に、ふと誰かの顔が浮かんだ。
だが、それが誰だったのかが思い出せない。何故、その顔が浮かんだのかも。
心に広がりつつある違和感を押し留め、彼は答えを紡ぐ。

「託すに能う者が現れるまで、いたずらに扱われぬよう手中に収めていたのだ。
 なにせ、サビクが持つ力の全容を知る者は誰もいないのだから。
 そう、はるか古より、誰も……」

言葉の最後が消えかけたのは、違和感がさらに大きくなるのを感じたからだ。
最初に黒聖石サビクの存在を認識したのは、いつの頃であったのか。
そして、そのとき、自分の周りには誰がいたのか……。

この星を真なる姿へと戻すためには、次元圧壊を起こし世界を統合する必要がある。
1万2千年に亘って抱き続けてきたこの悲願を達成するため、アシエン・ラハブレアは誰よりも苛烈に行動してきた。
滅びゆく肉体を幾度となく替え、眠りに安らぎを求めることすら拒み、ただひたすらに次元圧壊に繋がるよう混沌の火種を撒き続ける。
しかし、時は心を摩耗させる。どれほど強く願った想いも、どれほど激しく焦がした想いも。百年の時で削れ、千年の時で綻び、万年の時で薄れゆく。
今やラハブレアは、己の本来の姿すら忘れていた。そして、大切だったはずの家族のことも……。
心に遺るのは、同じ目的を共有する十二人の同志と、戒律王ゾディアークの存在のみ。
それさえ覚えていれば、あとのすべては不要である。
そう信じていたはずが、この名状しがたい違和感は何であろうか。

「……?」

黙したまま動こうとしないアシエン・ラハブレアに、ガイウスの視線が突き刺さる。
語るべきことは語り終えた。あとは、この手にある結晶を眼の前にいる男に渡すだけ……だというのに脳裏に浮かんだふたつの顔が、どうしても消えないのだ。

ひとりは、笑顔をたたえながら好奇心に目を輝かせる女。
ひとりは、燃えるような赤髪とまっすぐな眼差しが印象的な男。

だが、彼らの正体も、その想いも思い出すことはできない。

ガイウスにアルテマウェポンを与え、その力でエオルゼアに混沌をもたらす。
仮に光の使徒が現れ、世界統合を阻止せんと戦いを挑んでこようとも、黒聖石サビクに封じられた魔法を用いれば対処は可能である。
そのためには、ここで黒聖石サビクを託す必要がある。
アシエン・ラハブレアの使命を果たすため何をすべきか、これほどに明確だというのに、ふたりの顔が決してわからない何かを訴えかけてくる。


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どこかで失くした記憶なのだろう。
なれば、悲願には不要と切り捨てたもののはずだ。

――今更になって失った記憶に囚われるというのか、アシエン・ラハブレアともあろう者が。
ここまで、己のすべてを捨て去り、歩んできた者が。

惑う自分を叱咤し、ガイウスの手に黒聖石サビクを乗せる。
それを成すまでの僅かな間に、ふたつの顔は消えていた。
沈黙の理由を問う男の視線には応えず、アシエン・ラハブレアは背を向ける。
もう一度、進むべき路だけを見定めようとするかのように。

心の奥底から響く呼び声に、耳をふさぐように。

朔月秘話 第6話「ある旅人の軌跡」

天の果てより響く終焉の歌が止んだ。
その驚くべき、そして喜ぶべき事態を受けて、神域オムファロスでは十二神が一堂に会していた。
星の未来を巡って多くの議論が交わされたが、おそらく最後になるであろう神々の会合を締めくくったのは、取りまとめを務める兄妹神から、旅神オシュオンに向けた言葉であった。

「これが貴方にとって、最後の旅になるのね。
 どうか、素敵な運命が待っていますように」

星神ニメーヤが星あかりのように優しい微笑みで語りかけ、時神アルジクが願いを込めて続ける。

「我々の悲願のために、彼の者をどうかオムファロスへ」

旅神オシュオンは無言で、だがしっかりと頷きを返す。
残る神々にも、それぞれ高まる想いがあった。
知神サリャクは人々の歴史が失われずに済むことに安堵しながら、同時に、その積み重ねを失わせんと奮闘した者たちを心から誇りに思っていたし、日神アーゼマヴェーネスの願いが届いた喜びに胸を熱くしていた。戦神ハルオーネと月神メネフィナは、魔導船が天の果てへ飛び立ったあの日、武運と旅の無事を願ったことを思い出していた。

神々はまた、自分たちの行く末にも想いを馳せた。
この星に生きる、そしてこれから生まれるすべての『人』の生が少しでも豊かになるよう、これまでの祈りによって自分たちに蓄積された力を「祝福」として世界に還したい。
そして、機構として創られた自分たちの核――ヴェーネスと志を同じくした者たちが捧げた魂の断片――を星海に還し、次は人として、人の隣で生きていきたい。
それらの願いは、愛してやまない人の子らと全力で戦い、倒されることによってのみ果たされる。
ゆえに、終末が退けられた今が行動に移るときであると、彼らは結論づけたのだった。

工神ビエルゴと壊神ラールガーは早くも、最初で最後となるであろう戦いの場をいかに形作ればよいのか考え始めていた。一方、海神リムレーンは自分を特に信仰してくれている海都の人々の賑わいを、もう一度この目で見ておきたいと、海鳥に姿をとって飛び出していった。
そして、計画の中心を託すことになる「彼の者」の導き手に指名された旅神オシュオンは、デリックという名の人の形をとると、静かにオムファロスを出立した。

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山岳を司るオシュオンが、山の神ではなく旅の神と呼ばれてきたのは、人の世を渡り歩き、人の孤独に沿うという役目ゆえ。神域にあるよりも、多くの時を現し世で過ごしてきた彼には、ひとつ大切にしている流儀があった。現し世に降りるときには必ず、神域に入った際と同じ場所……つまりは旅人として最後にいた場所に戻ること。さもなければこの星には、エーテライトが使える冒険者たちともどこか違う、神出鬼没の奇妙な旅人の噂が立っていたことだろう。
彼は人知れず黒衣森に転移して、ひそひそ木立の一角にそっと降り立つ。突然現れたデリックに、周囲にいた魔物たちが驚いて逃げ去っていったが、そのほかに目撃者はいない。
あとは一息をついて……さも旅人がひとときの休憩を終えたかのように、歩き出すばかりだ。

うららかな午後、葉擦れの音に風を感じながら少し進めば、ひそひそ木立とアルダースプリングスを分かつ、さざめき川が見えてくる。
オムファロスの会合に召集される直前、デリックは旅人としてハーストミルに滞在していた。辺境の小さな集落ハムレットではあるが冒険者たちがよく訪れるようで、ふらりと訪れた彼を怪しむ者はおらず、のんびりと数日間過ごしていた。
おかげで近隣を警備する鬼哭隊士ともすっかり顔馴染みになっていて、橋を渡る際に行き交った哨兵は、仮面の下に小さな笑顔を浮かべて送り出してくれた。

傾きつつある日の光に目を細め、森の小道を歩きながら、デリックはこれからの旅程を検討する。このまま黒衣森を北に抜ければ、クルザス経由でモードゥナに向かうことができるだろう。そうして、彼の地に調査地を構えている「聖コイナク財団」の研究者を見つけ、探検家を名乗って接触して……幻域の入口を発見したと話を持ちかけるのだ。

「……思ったよりも、短い旅になりそうだ」

そうぽつりと口をついて出て、デリックは自分が最後の旅を惜しんでいることに気がついた。
「彼の者」に警戒されず依頼を引き受けてもらうためには、自然な出会いを装う必要がある。しかし、一介の旅人であるデリックが、解散が発表された「暁の血盟」を頼れば怪しまれてしまうだろうし、当人に直接声をかけるなんてもってのほかだ。とはいえ、腕利きの冒険者に相応しい勘の良さを持ちあわせる「彼の者」のこと、共に行動していたらいずれは自分の正体に気づいてしまうかもしれないが……だとしても、初対面で訝しがられてしまうのは避けたい。
ならば、どうするのか。暁とも関係の深い「バルデシオン委員会」へ依頼が舞い込みそうな話を、シャーレアン関連の研究機関に持ち込むのが最も確実、かつ自然である。それが知神サリャクと商神ナルザルが導き出した答えだった。その策に従いデリックはモードゥナを目指しているわけだが、目的地がもう少し遠い場所ならよかったのに、と少し残念に思わずにはいられなかった。
彼が歩いている道ひとつをとってみても、多くの人の往来によって土が踏み固められたものだ。この星には、そうして人の歴史が幾重にも積み重なっている。星海に還ってほかの魂と溶けあい、いつかまた新たな命として生まれ……その流れとひとつになりたいと十二神として願いながら、生粋の旅人でもあった彼は、もう少しだけデリックとして旅を続け、人の営みの軌跡を見つめていたかった。

そんなことを考えて歩いている間に、浮き村こと「フォールゴウド」へ到着した。
森の木々を伐採しないようにと秋瓜湖しゅうかこの湖上につくられたこの集落は、良質な宿が有名で、住人たちも来訪者に親切だ。クルザスへ向かう旅人や行商人が英気を養うのにうってつけの場所となっていて、広場には冒険者稼業らしい風貌の者も見られる。のどかでありながら、生き生きとした空気に溢れている集落の様子にデリックはふっと口元が緩んだ。
彼らの邪魔をしないようにエーテライトの脇を通り抜けようしたとき、長椅子に座って休息しているひとりの男が彼に声をかけた。

「旅人のお兄さん、もしかしてこの時間から出発するのかい?
 もう日も落ちてきて危ないし、そこの浮かぶコルク亭に泊まったらどうだ?」

おそらく、この集落に住む地元の者だろう。確かに周囲を見回してみると街灯に火がともり、空には夜の帳が下りつつあった。親切心から声をかけてくれたことに、デリックは礼をする。

「あー……親切にどうもありがとう。
 でも先を急ぐもんで、行けるところまで行ってから野宿するよ」

実際デリックはできるだけ早く「彼の者」と接触するべきだと考えていたし、なにより自分がひと部屋借りることで泊まれなくなる人が出てきてしまっては忍びない。人に信仰されるエオルゼア十二神を名乗る者たちが、なによりも「今を生きる人」を優先するのは自明の理であった。
親切な住民はデリックの足元を一瞥したのち、なおも何か言いたげな表情を浮かべていたが……デリックは改めて礼を言うと、その場から立ち去った。

フォールゴウドを出発すると、がらりと風景が変わる。
かつては大樹が生い茂っていた深い森だったが、今では第七霊災の折に衛星ダラガブの破片が落着した影響で半ば焦土と化しており、残っているのは剝き出しになった地層と、そこから突き出す巨大な根ばかりだ。
それでも、行き交う人々の安全のため街道の整備は続けられ、歩哨まで立てられている。そればかりか引き裂かれた大地の割れ目から、鉱脈を見つけて一攫千金を狙う者すら集まるほどだ。本当に、この星に生きる人々はたくましい。
さあ、まだ薄暗い宵のうちにクルザスに入ってしまおうとデリックが足を早めた、その時。

「ねえデリック。
 あなたが黒衣森を離れる前に、言っておかなくちゃいけないことがあるわ」

突然の呼びかけに振り返ると、そこには移動性植物の幼体――つまりは、仮初の姿をとった地神ノフィカが佇んでいた。ふわふわと浮かびながら、手のようなツルを器用に動かして顎に当てている。

「君がわざわざ声をかけてくるとは珍しいな……。なにかあったのか?」

「その様子だと、本当に気づいていないのね。足元をご覧なさいな」

そう促されて足元に視線を向けたデリックの目に入ってきたのは――幼いオポオポだった。
オポオポはかすかに震えながらも、彼の服のすそを掴む。そしてお伺いでもするように、ウキャン……と小さく鳴いた。

「なっ……お前、いつから……?」

「あなたがフォールゴウドへ入ったときには、もう足元にいたわね。
 魔物に襲われて傷を負った上に独りになってしまったから……
 森を歩くあなたについてきたんですって」

森都の住人から厚く信仰されている彼女のことだ、計画が動き出すまでは黒衣森で過ごそうと訪れ、一部始終を見ていたのだろう。物言わぬオポオポの代弁をして、地神ノフィカは笑顔で続ける。

「あなたったら全然気づかないものだから……
 このままクルザスに入ってしまったら大変、と思って声をかけたの。
 じゃあ、私の用件はそれだけだから、もう行くわねぇ」

そう言うやいなや、彼女は輝く光の玉となって、森の暗がりに消えていった。
残されたデリックが困った表情を浮かべながらオポオポを見つめると、相手もまたじっと見つめ返してきた。その大きな瞳は、この人は自分を害することはないと見抜いているようだった。親を喪い、群れからもはぐれたとなれば、森では到底生き残れまい。なにより、無理に突き放せば、この信頼を裏切ることになる。
ならば、人として残り少ない時を共にいてやることくらいは、してやろう。
そう決断したデリックは、近くの明かりを頼りに歩き出した。この道の先には国境を見張る鬼哭隊の監視哨があるはずだ。オポオポも、必死に彼についてくる。
そしてデリックは、監視哨にいた鬼哭隊士に声をかけた。

「すまない、旅の者だが、少し焚火の明かりを借りてもいいか?
 こいつが怪我をしているようなんだが、よく見えなくて」

そういうことなら、と鬼哭隊士は快く応じてくれた。デリックは感謝しながら焚火の側に座ると、オポオポを抱き上げ、怪我を負ったらしい足を念入りに調べた。確かに、足のつけ根に傷が見える。野生生物は負傷した場合でも、捕食者に隙を見せぬために平然と動こうとするものだが、歩くたびに酷く痛んでいたに違いない。
デリックは背嚢から塗り薬を取り出した。これはかつて、旅をするには軽装すぎるデリックを心配した通りかかりの商人がくれたものだ。最後に使う機会があってよかったのかもしれないな、と考えながら塗ってやると、オポオポは安心したようにデリックの膝の上で落ち着いた。

「ずいぶん懐いているんだな。手負いの連れがいるなら、峠越えは慎重になったほうがいい。
 夜話に旅のことを聞かせてくれるなら、一晩ここで夜を明かしてもいいし、
 フォールゴウドへ戻るのも手だ」

様子を眺めていた鬼哭隊士はそう提案する。
デリックはその言葉に考えあぐねて天を見上げた。もう日はとっぷりと暮れていて、空には星々がきらめいている。このままクルザス行きを強行してしまえば、自分はともかく、手負いのオポオポの体力が保たないだろう。ここは素直に提言を受け入れるのがよさそうだ。
それなら夜番の哨兵たちの厚意に報いるために、ひとつ、砂都で漏れ聞いた事件屋という生業の人々について語ってみようか。それとも、解放されたアラミゴで見聞きした話がいいか……。
そんなことを考えて焚火を囲んでいると、遠い、遠い昔、旅先で出会った女性と語らった記憶の欠片が蘇る。あの人は、各地で解決すべき問題を拾いあげながらも、まだ見ぬ土地を自由に旅する喜びを、ゆらめく炎を眺めながら語っていた。
デリックは過去に、今に、そしてこれから出会う未来に思いを馳せる。星と人を慈しんだあの人は、志を同じくした同志たちは、彼女が想いを託した「彼の者」は……
もう少しだけ自分の旅が長引くことを、笑って許してくれるだろうか。

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朔月秘話 第7話「虚心の憧憬」

虚空に浮かぶ名も知れぬ妖異の領域を、白銀の鎧に身を包んだ半妖――ゼロがゆく。
名状しがたい形状の建造物が幾重にも折り重なった猥雑な景観から察するに、この領域の主の心は、もはや正常とは言えないだろう。そんな彼女の見立てどおり、行く手に立ちはだかった妖異の群れは、いずれも人語を解することなく、飽くなき飢えに急き立てられるようにエーテルを貪らんと襲い掛かってきたのだった。

「話をしに来ただけなんだが……無理なら仕方ない。
 剣を扱うのは久々だから、加減はできないぞ」

言葉とは裏腹に華麗な剣さばきで、ゼロは襲い来る妖異たちを次々と薙ぎ、討ち倒していく。そして最後に残ったひときわ大きな個体を屠ると、わずかな間を置いて、剣を収めた。

「今のが領域の主だったようだな」

すると、物陰から戦いを見守っていた使い魔、ノッケンが、ふよふよと近づいてくる。少し前に、異界の友人が喚び出してくれた、ゼロの新しい道連れだ。「ヴォイド」と呼ばれるこの世界において、闇の異形たる妖異ではない稀少な存在であり、彼女がわずかばかりのエーテルを分け与えることで消滅せず活動を続けている。
安全が確保できたかと思ったのも束の間、地面から突如黒いエーテルが立ち上ると、獰猛な妖異の形を成し、ノッケンに覆いかぶさる。

「まだいたか……!」

再び剣を抜かんとするゼロ。
刹那、轟音とともに雷が落ち、妖異を焼き焦がす。

「油断大敵だぞ、ゼロ」

指先にわずかな雷魔法の残滓を湛えたまま、黒い甲冑に身を包んだ巨躯の妖異――ゴルベーザが歩み寄ってくる。ゼロのもうひとりの道連れ、いや「仲間」だ。

「助かった、ゴルベーザ」

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彼はゼロの言葉に頷きをひとつ返す。今やそれで十分なのだから不思議なものだ。

「こちらは空振りだった。
 この領域に、真っ当に話ができるほどの知能を備えた妖異はおらんようだ」

そう言うとゴルベーザは腕を伸ばし、地に伏した妖異から霧散しつつあるエーテルを吸収しはじめる。彼もまた妖異であるが故、その甲冑の内にあるのは、すでに人の身体ではなかった。となれば、倒した相手のエーテルを喰らわねば力を保ち続けることはできない。それがこのヴォイドの摂理なのだが……。
ふと、ゴルベーザはあることに気づき、その手を止めた。

「お前は喰わないのか、ゼロ」

「ああ、私は妖異を喰わないんだ。
 宙を漂うわずかなエーテルを、必要な分だけ補給できればそれでいい」

「まさか、他者を喰らわずにそれほどまでの力を身に付けたというのか?
 この世界の理ことわりとしては考えられん話だ。是非はさておき、いったいどのような事情が?」

「魂が交わる、あの感覚が嫌なんだ。
 あれは……私には耐えがたい」

「……ということは、一度は喰らったのだな?」

その問いに答える代わりに、ゼロは顔を背けて目を伏せた。以前の黒衣の姿だったなら、帽子のつばで視線を隠していたところだろうか。それから徐おもむろに口を開くと、遥かな過去の出来事について語りだすのだった……。





ゼロの母は、幻魔と呼ばれる怪異に立ち向かい、その力を封じる者――「メモリア使い」だった。だが、戦いの過程で強い闇の力を浴びてしまったせいで、その胎内にいた子、後にゼロと呼ばれることになる赤子は半妖として生を受けた。
母に関することで覚えているのは、唯一、寝物語にとある英雄譚を聞かせてくれたことだけ。世界が闇に包まれたとき、何処からか現れた英雄「ゼロムス」が世界に光を取り戻す……そんな話だ。ただの空想だと、幼い彼女も理解はしていた。だが、それでも母が語る物語は、心の奥底に焼き付いて消えなかった。

時が過ぎ……母が戦死したという報せが届き、その顔さえ記憶の彼方に消えてしまっても、彼女は物語のことだけは忘れなかった。ただ、現実は物語のようにはいかない。すべての幻魔が討ち倒されても、人々は幸せな日々を手に入れることはできず、新たな戦いが始まってしまったのだ。
世界を救った戦士たちは、手に入れた幻魔の力に溺れて「闇のメモリア使い」となり、善なる心を保った少数の「光のメモリア使い」と戦いを繰り広げた。
長じたゼロが、母と同じく剣を取って旅に出たのは功名心からではない。ただ世界には光が必要だと思っただけのこと。
だが、闇のメモリア使いたちは強く、狡猾で、何より多勢だった。そんな彼らに立ち向かうには仲間が必要だったが、彼女にはどうしても他者を信じることができなかった。
幼い頃、どれだけ仲の良かった近隣の子らも、彼女が半妖だと知るなり、途端に口を閉ざし、目を背け……そればかりか石を投げるようになったためである。だからこそ、旅の途中で出会った騎士から共に行かないかと誘われたときも、猜疑と警戒が先立ってしまった。

「あのとき差し伸べられた手をとっておけば……
 私にもっと、力があれば……!」

闇のメモリア使いたちと交戦するも、多勢に無勢で敗れ、為す術もなく地に伏していたとき……世界が壊れた。後の世に言う、「闇の氾濫」が起こったのだ。
星の光が天から消え、黒き帳がすべてを包み込んだ。
ただ、彼女が多くの人々と違ったのは、闇の奔流が世界を破壊するとき、次元の壁に生じた裂け目に落ちたことで「狭間」へと流れ出たという点にある。おかげで永遠にも思える時を漂流して過ごすことになったが、彼女は闇の氾濫に伴う影響を回避し……やがて偶発的に生じた穴を通じて、半妖のまま帰還したのだ。

だが、そこで彼女が目にしたのは、一切が終わってしまった故郷の姿だった。大地は腐り、代わりに闇で固められた歪な島が虚空に浮かんでいた。生ある動物の姿はなく、植物さえ闇に蝕まれ、妖異と化していた。およそ、人が住める環境ではない。
消耗しきった身体で、泥濘に足を取られぬようにゆっくりと歩きながら周囲を探索する内に、彼女は諦めを覚え始めていた――もはや人はすべて死に絶えてしまったのではないか、と。その矢先、耳に飛び込んでくる音があった。あまりにも懐かしい音の連なりだ。

「だれ、か……誰か、いないのか……助けて、くれ……!」

瞬間、疾風のように駆け出していた。
剣も盾もない。戦う力など、もとよりない。
だが、それでも。
まだ誰かが生きている、そして助けを求めているのなら……立ち止まっている理由はない。

「どこだ、どこにいる?
 ……返事をしてくれ!」

「ここだよ……!」

背後から声がしたと同時に、巨大な爪が振り下ろされた。
間一髪、彼女は身を捩って一撃を避けた。
振り返ると、そこには一匹の妖異が下卑た笑みを浮かべて佇んでいた。否、笑ったように感じたのは声の響きが生んだ錯覚であり、その顔には目も鼻もなく、ただ鋭い牙を覗かせる口だけがあった。

「珍しいぞ……この終わった世界で、ヒトの姿を保っている者はな」

その言葉を聞いて、彼女は人々の身に何が起こったのかを瞬時に悟った。今や、半妖である彼女だけが、人の姿をした存在というわけだ。

「どこまで行っても、私は独りということか……」

「腹が減っていたところに、丁度良い獲物が現れてくれた。
 この俺が最強になるため……喰らわせてもらうぞ、お前のエーテルを……!」

咆哮とともに、鋭い爪を繰り出す妖異。それを彼女はすんでのところで躱していく。素手で立ち向かうには強大すぎる相手だ。しかし不思議なことに、逃げるという考えは毫ごうも思い浮かばなかった。

「世界が終わっていたとして……
 いや、世界が終わっているからこそ、私はこんなところで死ぬわけには……!」

彼女が強く念じると、周囲の闇が渦を巻いて凝集し始めた。まるで想いに呼応するかのように、それは鎌の形を成して掌に収まった。不可思議な現象に驚きながらも、彼女は鎌を握り締め、妖異に向かって跳躍した。空中で身をひねり、回転を加えて斬撃を繰り出す。一閃された妖異は悲鳴をあげる間もなく両断された。
襲撃者を倒したものの、その勢いのまま、彼女は無様に地面に倒れ込んでしまった。長期に及ぶ漂流によって消耗しきっていたのだから無理もない。

「私も……エーテルを、喰らわねば……」

半妖としての本能がそうさせたのか、彼女は霧散したエーテルを搔き集め、そして喰らった。体力がゆっくりと回復していくのを感じ、それどころか、以前よりも力が漲るような感覚すら覚えた。
これがエーテルを喰らうということか、とその恩恵を噛みしめていると、突如、猛烈な嫌悪感が込み上げてきた。眩暈と頭痛が一緒くたになって襲い掛かってきて、思考を掻き乱される。身体が何かを酷く拒絶しているようだった。
苦しみ、悶える彼女の頭の中で声が響く。

『もっとダ、もっと喰らエ……!
 すべてヲ喰らえば、俺は……“俺たち”は、最強になれル……!』

「馬鹿な、お前、は……!?」

霧散したはずの妖異の声が、彼女の意識を苛んだ。まるで、魂が侵食されたかのように、その声は深くまで染み込み、拭えない。どうやら、この世界から失われていたのは、かつての風景だけではなかったらしい。死によってエーテルが還り、まっさらに洗われて、また生まれ来る――そんな命の巡りすら断たれているのか、散ったはずの妖異の魂は、喰らった者の中に残り続けた。このままでは、意識の主導権さえ奪われてしまう。抗わなければ。

『しぶとい奴ダ……いったい何が、そうまでしてお前という人格を保たせていル?
 どれ、少し心を覗いてみるカ……』

内なる妖異によって意識を抉られると、彼女が鍵をかけて大切に閉じ込めていた記憶の数々が、暴き出されていく。
周囲から疎外される少女、忘れたはずの母の顔、そして……。

『これは……石像? いったい誰の像ダ?);};''
 なんでこんなものが、心の奥底に眠っていル……?』

彼女は必死に抵抗する。だが、今や妖異は彼女と一体化しつつある。自分で自分の思考を止めることなどできやしない。問われるがまま、心の内を曝け出してしまう。

「私は、英雄に……
 ゼロムスのような、皆を救う英雄に、なりたかったんだ……」

すると妖異が哄笑する。きっと、あの顔のない、口だけの笑いで。

『これは傑作ダ……!
 お前、知らないのカ、あの英雄譚の結末ヲ……!』

妖異は語る。
ゼロムスは世界を救った英雄となるが、そのあまりに強い力ゆえ、護った人々から化け物扱いされ、最後には再び何処かへと姿を消してしまったというのだ。
母はその結末を知らなかったのか、それとも知っていて、半妖の娘には黙っていたのか。
だが、いずれにせよ、その話を聞いてなお、彼女の心が揺らぐことはなかった。

「いいじゃないか、それで……
 心に光を宿して世界が救えるのなら……私はたったひとり、化け物になろう!」

彼女が心の奥で強く決意すると、雑念を頭の中から振り払った。すると先ほどまでの騒がしさが嘘のように静まりかえり、あの妖異の声が聞こえることは二度となかった。どうやら、意識の主導権を取り戻せたようだ。
だが……己の心の内を暴かれた彼女の気は晴れなかった。

「何を考えてるんだ、私は。
 この終わった世界で、いったい何ができると言うんだ……」

それから、あてのない放浪の旅が続いた。
幾度も妖異が襲い掛かってきたが、撃退してもそのエーテルを喰らうことは二度となかった。ときには飢えで斃れることすらあったが、死に見放された世界では自然と蘇るため、気にならなかった。
だが、そんな暮らしが数千年も続けば、己の心の内など忘れてしまうものだ。
そして彼女は――。




「自分でも忘れていたのに……おかげで思い出すことができたよ」

語り終えたゼロに、ゴルベーザは淡々と返す。

「強大な妖異はその野心ゆえ、他者を喰らっても意識を呑まれることはなく、
 自我を保っていられる。この私も同様だ。
 だがお前は自らに迷いがあったため、隙を突かれてしまったのだろうな」

あれは迷いだったのかと考え……ゼロは首を振る。

「私は、認めたくなかったんだ。
 無力で孤独な私が、それでも英雄に憧れていたなどと……」

ふと、彼女は虚空を見上げ、遠くの空を見やった。

「ずっと疑問に思っていたんだ。
 私の領域の中心にある見知らぬ石像、あれはいったい何なのか、と……
 だが、やっとわかったよ。
 化け物と罵られようと、それでも世界を救いたいと願ったゼロムス。
 そんな英雄への憧憬が、私の心の奥底に焼き付いた物だったんだな」

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感慨に耽るゼロを一瞥した後、ゴルベーザは踵を返す。

「ならば、私も他者を喰らうのはもうやめにしよう。
 世界を救いたいという想いが薄れるとは思わんが……
 今のまま、大事にしておきたい」

その言葉にゼロは軽く目を見開いたが、口の端をわずかに上げただけで何も言わなかった。

「では進もう。
 この広い世界のどこかに、志を同じくする者がいるかもしれないからな」

世界を元の姿に戻すという、2人と1匹の旅は、こうして続いていくのだった。

朔月秘話 第8話「いつかの狩猟祭で」

トライヨラ連王国の武王ウクラマトは、眼下に広がる街並みを静かに見つめていた。夕日に照らされた街路を行き交うのは、実に多種多様な人々だ。
そして最近、ここに新たな顔ぶれが加わった。ヤースラニ荒野からの帰還者たちである。局所的世界統合に巻き込まれ、隔絶されたドーム内に取り残されていた彼らは、新生アレクサンドリア連王国の統治下でまったく異なる文化への適応を迫られ、約30年の時を過ごしてきた。ようやく「外」との行き来が可能となって母国への帰還を果たしたものの、世代的にも文化的にも断絶してしまった現実は否定しようがない。彼らをいかに受け入れ、共生の路を歩むのか。いくつもの対策が練られ実行に移されたが、そのひとつとして今トライヨラでは狩猟祭の開催が検討されていた。祭り好きの先王グルージャジャが好んだ祝祭を催し、人々の交流の場としようというのである。

「アタシが初めて狩猟祭に参加したのは十六のとき……
 いや、たしかその前にも、オヤジに内緒でこっそり覗きにいったことがあったよな」

ウクラマトは懐かしさに胸を締めつけられながら、そっと目を閉じた。

遡ること十四年前。

王宮前の羽毛広場に、鋭い眼光の猛者たちが数十名集まっていた。緊張と期待が渦巻く中、連王グルージャジャが露台に現れる。まず言葉を発したのは、豪胆な性格で知られる武の頭だ。

「皆、よくぞ集まってくれた!
 いいか、狩猟祭ってのは、ただ己の腕を誇示するための場じゃねぇ!
 狩りが生命を奪うものじゃなく、生命を繋ぐものだってことを皆に示し、自然に感謝する場だ!」

彼の言葉が、参加者たちの心に火を灯す。続いて、理の頭が知的な声色で祝祭のルールを説明する。参加者に求められるのは、グルージャジャ凱旋門から街路に放たれる魔物を狩ること。時間内に最も大きな獲物を仕留めた者には、勝者の栄誉と「望みの品」が与えられる。たとえば、前回の覇者であるシュバラール族の族長、フンムルクは宝物庫にあった大弓を所望し、集落に持ち帰ったことで一族の英雄となった。それだけ名誉ある競技でもあるのだ。

武王グルージャジャが高らかに開催を宣言すると、大太鼓が打ち鳴らされ、参加者たちが雄叫びをあげ一斉に街路へと駆け出していく。まるで嵐のようなその光景を見やりながら、武の頭はふと呟いた。

「参加者の多くは、狩猟を生業とする部族の出だ。
 そんな強豪どもを押しのけて、結果を残すことができるかね、我が息子は」

対して理の頭は呆れたような調子で答える。

「ゾラージャなら心配いりませんよ。
 あの子は齢十三にして、もう一人前の戦士です。
 あなたも、それがわかっているからこそ、参加を認めたのでしょう?」

同じ身体を共有してはいても、それぞれが異なる人格を持つのが双頭だ。武の頭は、自身が最も信頼する理の頭の意見を聞いて、安心したように頷いた。その時、勇連隊の隊士が血相を変えて駆け込んできた。

「ほ、報告します!
 ウクラマト王女がお部屋を抜け出して、行方をくらませた模様!
 理王様の申しつけどおりに、しっかりと鍵をかけておいたのですが……」

報告を聞いた理の頭が、呆れたようにため息を吐いている横で、武の頭が豪快な笑い声を上げる。

「グハハハハハ!
 狩猟祭が気になって、じっとしてられねぇってか。
 我が娘ながら、将来が楽しみだぜ」

一方、当の王女はといえば、多くの露店が並ぶベイサイド・ヘヴィーの一角にいた。ウクラマトは小さな身体を丸めて積み上げられた荷箱の陰に身を隠し、聞き耳を立てて周囲の様子を窺っている。狩猟祭への参加は許されなかったが、それでも祭りの雰囲気を肌で感じたかったのだ。
間もなく眼前で繰り広げられるであろう本物の戦いを想像すると、興奮を抑えることができず、遠くから聞こえる大太鼓の音より早く、彼女の胸は拍を打った。

「おい、子どもがこんなところにいたら危ないぞ」

突然に背後から声をかけられ、いつの間にか積み荷の間から身を乗り出していたウクラマトは、飛び上がるほど驚いた。振り向くと、そこには外套を被った何者かが立っているではないか。宵の海のように波打つ黒髪と、そこから突き出す長い耳、切れ長の目には星色の瞳が輝いている――それは彼女が初めて見るシャトナ族の少女だった。

「なんだ、ねえちゃんだって、子どもじゃん! 怖いなら、はやく連王宮にひなんしろよ!」

ウクラマトは少しムキになって言い返したが、少女は表情を変えることなく応じた。

「そうはいかないよ。
 こっちは狩猟祭を見るために、わざわざヤースラニ荒野から来たんだ。
 連王宮から遠目に眺めるだけじゃ、狩りの空気を肌で感じられない」

どうやら自分と同じく親に内緒で見物に来たクチらしいとわかり、思わず笑みがこぼれた。

「たぶん、あたしと同じってことだよな! だったら、いっしょに……」

意外な共通点に気づいたウクラマトは、少女を誘おうとしたが言葉が続かなかった。獲物として解き放たれたと思しき鳥が、こちらにゆっくりと向かってくるのが見えたのだ。

「なんだ、あの鳥!?」

ウクラマトが大声を上げて指差すと、シャトナ族の少女は頭を巡らせて努めて冷静に応えた。

「トゥカリブリ……普段は花蜜を吸う無害な鳥だけど、油断は禁物だ。
 興奮すると、あの馬鹿でかいクチバシを振り回して、
 見るものすべてを滅多打ちにしてくるらしい」

その言葉の意味はすべてわからなかったものの、野生の獣の迫力を前に、ウクラマトの心臓は激しく鼓動した。耳障りな鳴き声を上げる鳥は、どう見ても興奮しきっている。彼女は荷箱の脇に立てかけていた斧を手に取ると、力強く宣言した。

「ねえちゃんは、あたしが護ってみせる!」

そう言うやいなや、彼女は迫りくるトゥカリブリに向かって駆け出した。戦法もなにも、あったものではない。夢中で突進し、斧を振り上げ……目一杯の力で叩きつける。
直後に火花が散ったのは、斧が命中せずに石畳を打ったからだ。だが、幸いなことに派手な音と火花に驚いたトゥカリブリは、飛び去ってくれていた。
よかった……と安堵を感じた瞬間に、力が抜けウクラマトは膝をついた。その足は小刻みに震えている。初めての実戦、今になってようやく恐怖が押し寄せてきたのだ。
シャトナ族の少女はそっと彼女に近づき、手を差し伸べた。

「……小さい割に強いんだな。
 だけど、ゆっくりしてるヒマはない。今のうちに、連王宮まで避難したほうがよさそうだ」

差し出された手を取って立ち上がると、ウクラマトは少女とふたり、静かに歩き出した。周囲を警戒しながら、夕焼けに染まる坂道を登ること数分……ようやく連王宮へと続く階段が見えてきた時、緊張感から解放されたふたりは、思わずほっと息を吐いた。
しかし、その安堵も束の間、後方から迫る重すぎる足音にふたりは振り返る。

「馬のようなたてがみに、異様に発達した槍状の牙……
 まちがいない、ザグナルだ。あんな奴まで放たれるなんて!」

シャトナ族の少女の声が帯びた緊張に気づかずとも、ひと目見ただけで危険な相手だとわかる。ウクラマトは反射的に斧を構えていた。

「よせ、あいつは、トゥカリブリの比じゃない。
 熟練の狩人が束になっても仕留められるかどうか……
 ここは、一か八かでも逃げるしかない!」

だが、ウクラマトは譲ろうとはしない。少女と魔物の間に立ち言い放った。

「わかってる!
 だから、あたしが隙を作る! ねえちゃんは逃げて!」

初めて出会った少女を救うために、命を賭す。それはウクラマトにとって、理屈抜きの自然な選択であった。
一方で、シャトナ族の少女も幼い彼女を置いて逃げ出しはしなかった。
足がすくむほどの恐怖を感じていたし、危険から逃げることの重要性も師である母から習っていた。
しかし同時に、初対面の自分を精一杯守ろうとするようなお人よしを放っておけない――そういう性分も受け継いでいたのだ。
だが、そんなふたりの想いなど魔物の知るところではない。蹄を石畳に打ち付け、いまにも飛びかからんとしている。そのときだ。風を切り裂いて飛来した礫つぶてが、魔物の額に命中したではないか。


「いまだよ、ラマチ、走って!」

思わぬ方向から受けた攻撃に、ザグナルが首をもたげる。その視線の先、階段の上には、革製のスリングショットを構えるヘイザ・アロ族の少年がいた。

「コーナ兄ちゃん!」

ウクラマトはシャトナ族の少女の手を取り、一目散に階段へ向かって走り出した。
その間も二発、三発と礫が放たれ、次々とザグナルに命中する。とはいえ、少年の腕力で放たれる投石の威力などたかが知れている。一時の混乱から抜け出すと、魔物は咆哮を上げて突進を開始した。

「このままじゃ、追いつかれる!」

シャトナ族の少女の焦りを含んだ叫びを聞いて、ウクラマトは再び覚悟を決める。
追いつかれる前に、せめてシャトナ族の少女だけでも逃がしてみせる。ウクラマトは、階段まであと少しというところで足を止めたかと思うと、その場を離れるように駆け出していく。ウクラマトの動きに釣られたザグナルがあとを追う。後方からシャトナ族の少女の咎めるような声が聞こえても、ウクラマトは振り返らずに走り続けた。少しでもシャトナ族の少女から離れなければ。その一心で駆けるウクラマトだったが、すぐに足がもつれて倒れこんでしまう。
迫り来るザグナルを前にして、ウクラマトは死を覚悟した。だが、何も起こらない。恐る恐るウクラマトが顔を上げて振り向くと、そこには物言わぬ肉塊となって横たわるザグナルと、ひと振りの剣を手にした青い鱗のマムージャ族の背中があった。


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フビゴ族の屈強な肉体と、ブネワ族の青い鱗を受け継ぐただひとりの存在、トライヨラ連王国第一王子ゾラージャ。彼の容姿こそが、ウクラマトコーナがどれだけ望んでも手に入らない、グルージャジャとの血の繋がりを示している。此度の狩猟祭に史上最年少の若さで参加していたウクラマトの義兄は、たった一撃でザグナルの首筋にある急所を斬り裂き、義妹と見知らぬ少女を救ってみせたのだ。

「こんなところだな……。
 帰るぞ、コーナ、ウクラマト」

かくしてウクラマトの小さな冒険は終わり、狩猟祭も閉会を迎えた。結果は、ゾラージャの圧勝だ。彼が望んだ褒美は、もうひと振りの剣。それは父と同じヴァイパーの戦技を会得してみせるという、彼の覚悟と決意の表れだった。
そして、十三という若さながら勝利の栄誉を掴んでみせた王子を見て、トライヨラの民は口々に「奇跡の子」と囃し立て、いずれは偉大なる連王の跡を継ぐことになるだろうと語り合ったのである。
その堂々たる姿に感銘を受けたのは民衆のみではない。
同じ父を持つウクラマトコーナもまた、兄の勝利を心から祝福し、自分たちを助けに来てくれたときの雄姿を深く心に刻んだのだった。

「……おい、聞いてるのか?」

誰かの呼ぶ声に反応して、ウクラマトは目を開け、思い出を振り払った。気づけば、そこには幼馴染の青年、エレンヴィルが立っている。

「狩猟祭のために獣を選んでくれと呼びつけたのは誰だ?」

彼はいつもの仏頂面を浮かべながら抗議した。

「わりぃわりぃ、初めて狩猟祭を見物した日のことを思い出してたんだ。
 ゾラージャ兄さんが優勝したときでさ……」

「ああ……」

あの日のことは、エレンヴィルの記憶にも残っていたらしい。彼は微かに目を細め、十四年前の出来事を思い返している様子だった。王宮を抜け出したウクラマトと同じく、母との誓いを破って繰り出した、小さな冒険のことを……。

「あのときはお前のこと、すごい綺麗なシャトナ族のねえちゃんだと思ってたんだよな」

「……当時は間違いじゃなかったからな」

一般に、シャトナ族の性別は十三歳から十五歳にかけての性徴期に確定すると言われている。この事実は特に秘されてはいないものの、他部族の中には知らない者も多い。ただでさえシャトナ族の人口は少ないうえ、寿命の長い彼らの人生のうち、幼少期に出会える機会が稀なためである。

「あとあとびっくりしたけどよ、お前はいつだって、最高の幼馴染だぜ!」

いつものように人懐っこい笑みを浮かべながら話すウクラマトに、エレンヴィルは呆れたような、しかしどこか優しげな笑みを返した。
そこに続くのは、何十回と繰り返してきた、いつものやりとりだ。

「違う、昔からの知り合いってだけだ。
 さあ行くぞ……狩猟祭、成功させるんだろ」

ウクラマトは元気よく応じて、思い出話を切り上げた。
かつて手を取り合って逃げ回った路を、今は並んで歩いていく。

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