朔月秘話

朔月秘話(Tales under the New Moon)

  • 2023年8月25日より順次公開されたもの
    1つの物語の終わりと、新たな冒険の幕開けに寄せて、これまで語られなかったエピソードを綴る特別な読み物「朔月秘話」を公開しました!

    今回は、「第1話: 蒼は夢に溶け消ゆ」をお届けします。

    朔月秘話特設ページは『こちら』。

    ※「朔月秘話」はメインシナリオのネタバレを含むため、まだメインシナリオをコンプリートしていない方はご注意ください。
    ※全4回(第1~4話)の更新を予定しています。

※「朔月秘話」はメインシナリオのネタバレを含むため、まだメインシナリオをコンプリートしていない方はご注意ください。

Table of Contents

概要

1つの物語の終わりと、新たな冒険の幕開けに寄せて、これまで語られなかったエピソードを綴る特別な読み物「朔月秘話」を公開しました!

朔月秘話 第1話「蒼は夢に溶け消ゆ」

習慣とは、そう簡単には変えられないものだ。
かつて皇都イシュガルドにおいて最強の竜狩りと呼ばれた男、エスティニアン・ヴァーリノも、未だ抜けきらない習慣を抱えながらに生きている。
竜騎士の兜を置いて久しいというのに、暇さえあれば鍛錬に勤しんでしまうのだ。
幼い頃、七大天竜が一翼、ニーズヘッグに家族を皆殺しにされてからというもの、復讐を成し遂げる力を得ようと、彼は厳しい修行の日々を送ってきた。長じて師の下を離れてからも、自己鍛錬の習慣に変化はなし。自らに厳しくあらねば、決して強大な竜との戦いを生き残れはしなかっただろう。
とはいえ、新しくできた習慣もある。晩酌もそのひとつだ。
かつて、竜との戦いに人生を捧げていた頃の彼であれば、たとえ非番の日であっても――友人からの強引な誘いでもない限り――酒をあおることなど稀だった。
しかし、竜詩戦争の終結後に放浪の旅を続けたことで、多少は張り詰めた心も和らいできたらしい。非常時ならいざしらず、平穏な一日の締めくくりとしてならば、酒の一杯も悪くないと思えるようになっていた。
天の果てへの遠征から帰還した後、ラザハン太守ヴリトラの勧めでサベネア島に逗留していたエスティニアンは、この日も自己鍛錬に励んだ後、ひとり客室で酒盃を傾けていた。
酒の肴は、地元漁師から仕入れたイカの干物。その味は東方産に引けを取らないものだったが、盃に注いだのが当地名産の蒸留酒だったのが、よくなかったらしい。有能で知られるラザハン錬金術師が醸造した酒は、あまりに効きすぎる。
たちまちに酔いが回り、心地よい疲れとともにエスティニアンは眠りへと堕ちていった。

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浅い微睡みを抜けた先、深い夢の中で、男は竜と戦っていた。
己に向けて放たれた咆哮からは、憎しみと殺意が感じられる。邪竜ニーズヘッグの眼から力を引き出して戦う「蒼の竜騎士」は、竜が魔力を乗せて放つ咆哮から、そこに込められた想いを感じ取ることができるのだ。
牙を剥いて迫りくる竜を跳躍して躱すと、空中で身をひねり手にした槍に眼から引き出した魔力を乗せる。そして竜騎士は、流星のように輝きを帯びて降下した。
狙いは首の付根、頚椎の隙間。そこを穿てば、いかに強靭な竜であっても無事では済まない。衝撃とともに穂先が硬い鱗を突き破り、肉を裂いた。直後、槍に凝縮された魔力が爆ぜ、爆炎を上げつつ骨を砕く。
獲った、という感触があった。
竜は痛みの咆哮をあげると、大きく身を揺るがして竜騎士を振り落とそうともがいたが、その動きも長くは続かない。やがて竜の命は潰え、巨体は力なく倒れ込む。
だが、勝者となった竜騎士にも余力はなかった。
死した竜の背から飛び降りて一息ついたのも束の間、鋭い痛みが胸を奔り、思わず膝をつく。
彼には激痛の要因がわかっていた。力の源として利用してきた邪竜の眼だ。莫大な魔力とともにニーズヘッグの怨念が込められたそれは、「蒼の竜騎士」に絶大な力を与える反面、徐々に心身を蝕んでゆく。
このままいけば肉体を乗っ取られ、傀儡同然のいわば邪竜の影と化す。誰に教わったわけでもないが、直感が不吉な未来の訪れを告げていた。

「黙れ、ニーズヘッグ……!」

絞り出すように反意を口に出したことで痛みは弱まったが、影響のすべてを抑え込めたわけではない。発作の強さも頻度も日に日に増すばかり。どう考えても限界だった。

「そろそろ終わりにすべきときが、来たのかもしれんな……」

竜騎士は今しがた斃したばかりの竜の死骸にもたれかかり、少し休むだけだと自分に言い聞かせながら目を閉じた。




泥のような眠りから目覚めたとき、竜騎士はいずこかの屋内に運び込まれていた。硬い木張りの床に敷かれた獣皮の上に、横たえられていたようだ。
半身を起こして室内を見渡すと、いくつかのテーブルと椅子、そして長いカウンターが見えた。染み付いたワインと肉の匂いも鑑みれば、ここは酒場らしい。

「親父! 彼が……!」

若い女の声が聞こえると、荒々しく足音を響かせながら中年の男が走り込んできた。

「ハルドラス様!」

そう呼ばれて、エスティニアンは夢の中で自分が何者となっていたのかを認識した。
征竜将ハルドラス――父王トールダンと共に、七大天竜ラタトスクを討ったイシュガルド建国の英雄。そして、邪竜ニーズヘッグから双眸を奪い、これを自らの力として史上初めて「蒼の竜騎士」となった人物だ。
夢の中、彼はハルドラスとなっていた。
その状態を受け入れることで記憶がより鮮明になり、心配げに自分を覗き込む男の正体も理解できるようになってゆく。

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「……オルニカール卿か?」

オルニカール・ド・コーディユロ――トールダン王に仕えた十二騎士のひとりにして、邪竜ニーズヘッグを退けた戦いの後、騎士の身分を返上して野に下った人物だ。

「もう卿と呼ばれる身分じゃありませんぜ、我が主。
 今やしがない酒場の親父でさぁ」

あれから二十余年、ハルドラスは故郷たるイシュガルドには戻らず、ただ独り竜と戦い続けてきた。だが、それでも食料その他を求めて辺境の集落に立ち寄ることはあり、かつての戦友についての噂を聞くことはあった。
オルニカールが、酒場の親父に転身したと知ったときには眼を丸くしたものだが、なるほど、ここが彼の店であったか。

「だとすれば、私とてもはや君の主君ではない。
 しかし、なぜ私はここに……」

するとオルニカールは、近くにいた年若い黒髪の女を示して言った。

「ベルトリーヌ……俺の娘でしてね。
 鍛錬の最中に、竜の死骸の側で倒れているハルドラス様を見つけたと……。
 こいつ、親の反対も聞かず神殿騎士になりたいとかで、槍なんぞを振るってやがるんで」

父の言葉を継いで、ベルトリーヌが緊張気味に続ける。

「ハルドラス様のことは、幼い頃より父から聞かされてきました。
 竜狩りを目指す私にとって、貴方は憧れの存在なのです」

熱っぽく語る彼女を見て胸が疼いたのは、瞳に宿る輝きが若かりし頃の自分たちに似ていたからだろう。それはとうに彼が失ってしまった光だ。

「その貴方が、気を失っておられて……すぐにでも神殿騎士団病院にと考えたのですが、
 うなされながらも父の名を口にしたもので、ここに運んだのです」

「力尽きかけた私を見つけたのが邪竜の眷属でなかったばかりか、
 かつての戦友の娘であったとは、なんたる幸運……」

しかし、ベルトリーヌの返答は幸運では片付けられないものだった。

「貴方を見つけられたのは、声のおかげです」

「私がうめき声でも上げたというのか?」

「いえ……なんと言えばよいのか。
 頭の中に響く荒々しい風のような……」

嗚呼、なんという運命なのか――ハルドラスは天を仰ぎ、この出会いを導いた戦神ハルオーネに感謝した。この父娘にならば、すべてを託すことができるだろう。
ハルドラスは、己の胸に手を当てて言った。

「ベルトリーヌ、君が聞いたのは、この眼が発する邪竜の意思だ……」

そこには、銀色の甲冑に食い込む異様な代物があった。竜の眼だ。邪竜ニーズヘッグからくり抜かれたそれが、胸甲と融合しながらも禍々しい輝きを放っていた。

「眼は、力を求める者に語りかける。
 精神を蝕み、心を支配して、自由を得るためにな……」

「やはり、いまからでも神殿騎士団病院に……!」

身を乗り出したベルトリーヌを手で制すると、ハルドラスは続ける。

「無駄だ……。
 すでに竜の眼は身体に癒着し、鎧を脱ぐことさえままならん。
 強き心で精神を支配されぬよう抗ってきたが、邪竜め、肉体を奪うことにしたらしい……。
 ほどなく私は、ニーズヘッグの怨念に操られた傀儡と化すだろう」

「そんな……」

ハルドラスは絶句するオルニカールを見つめると、静かに言葉を紡いだ。

「だから、友よ。我が命を終わらせてくれ……」

「冗談じゃねぇ! 俺に、アンタを殺れっていうのか?」

平民出身のオルニカールは、感情が高ぶると元より怪しい礼儀作法が完全に崩れ去る。その懐かしい様を見て、ハルドラスは思わず微笑みながらも懇願した。

「非情な願いと承知しているが、どうか重ねて頼む……。
 私がこのまま傀儡となれば、必ずや眼を邪竜のもとへと運ぶだろう。
 その結末は……語らずともわかるはずだ」

邪竜ニーズヘッグは双眸を奪われてなお未だ健在であり、イシュガルドの脅威となっている。それでも、先王トールダンに代わる新たな指導者、教皇の下で神殿騎士団が結成され、貴族たちと共闘することで、どうにか竜の侵攻を押し止めることができていた。
だが、ニーズヘッグが眼を奪還して往時の力を取り戻せば、戦局は一気に悪化することだろう。

「理屈はわかる。わかるけどよぉ……。
 アンタは俺が忠誠を誓った、ただひとりの男なんだぞ?」

「人は脆弱で取るに足らぬ存在であり、
 母なる星の守護者たるに相応しきは幻龍の子たる七大天竜のみ。
 それがニーズヘッグの真意だと知ったとき、我らは決めたはずだ」

ハルドラスは、言い聞かせるように続ける。

「人の世を守るため、蜜月関係にある竜を裏切り、天竜を屠ると……。
 一度、その罪に手を染めた以上は、戦いから降りることなどできん。
 いかに剣を置いて酒場の親父となろうとも、現に娘は槍に手を伸ばしているではないか」

奥歯を噛み締めうつむく父から、その娘へと視線を移す。

「竜狩りになりたいと言ったな?
 邪竜の声を聞いたという君ならば、眼を託すに相応しい。
 この眼から力を引き出す竜騎士となり、皇都イシュガルドを守ってくれ」

ベルトリーヌは目を見開いて、呆然とつぶやいた。

「私が竜騎士に……?」

「そうだ。
 皇都イシュガルドに捧げる正義の心ある限り、蒼の竜騎士は己を失うことはない。
 しかし、精神を保てても肉体は徐々に蝕まれる。
 危ういと感じたなら、私のようになる前に次代の竜騎士へと眼を託せ。
 竜の寿命は長い、戦いは末代まで続くと覚悟せよ……」

そこまで言ったところで、ふたたびハルドラスを発作が襲った。

「やれ、オルニカール……!
 かつて私に誓った忠誠が真であるならば……頼む……!」

胸を反らせて激痛に耐えるハルドラスの姿を見て、父娘はもはや迷い悩んでいる時間すら残されていないのだと悟る。
オルニカールは震える手でハルドラスの愛槍を手にすると、その穂先を主の胸に押し当てる。
だが、どうしても力を込めることができない。ならず者同然だった自分を取り立て、友として、騎士として導いてくれた恩人ハルドラスを殺すことが、どうしてできようか。
逡巡する父を見て、娘は共に槍の柄を握った。

「親父の罪を、私にも背負わせて……」

ふたりは顔を見合わせ、そして覚悟を決める。
ハルドラスは顔を歪めながらも、どうにか笑顔を作ろうと試みた。

「さらばだ、友よ。ありがとう、次代の竜騎士よ。
 いつの日か、竜との戦に終わりを……」

幾多の竜を屠ってきた槍が、その持ち主の心臓を貫いたとき、唐突に夢は幕を下ろした。




目覚めたエスティニアンは額を濡らしていた汗を拭うと、部屋の片隅に立てかけられていた己の槍を見た。ニーズヘッグ、仇の名を与えた魔槍だ。

「なんてものを見せやがるんだ……」

かつて彼は、ニーズヘッグの双眸を手にしたことで精神と肉体を侵食され、邪竜の影となったことがある。そのうち片方の眼は、朽ちぬ死体と化していたハルドラスの亡骸に埋め込まれていたものだ。
先程の夢は、その眼を介して与えられた先達の想いだったのか。
そこまで考えて首を振る。もはや、その疑問に答えられる者はいないのだ。
エスティニアンは立ち上がり、夜風に当たろうと窓を開けた。

「終わったよ。
 あんたの願いは、千年越しで叶ったんだ」

窓の外には、竜と人とが暮らす多彩なる都、ラザハンの夜景が美しく輝いていた。
  • 蒼の竜騎士
    • ハルドラスが「さらばだ、騎士たち」と言い残して去った後、1人の騎士が「すっぱりと足を洗って、酒場の親父にでもなってみるさ。」と言って去ってしまう。この人物は後に酒場「忘れられた騎士亭」を開いた設定となっている。これが朔月秘話第1話に登場するオルニカール・ド・コーディユロということになる。
    • ただし、酒場「忘れられた騎士亭」の亭主は「代々、負傷兵がマスターの座を継ぐ」ことになっているため(世界設定本1巻)、現亭主であるジブリオンとは酒場亭主以外のつながりはない。

朔月秘話 第2話「影の記録」

冷え切った大地の上に、白く、ただ白く、雪が積もっている。中央山脈の北、すなわちガレマール帝国の根拠地は、終末の騒動が去った今も不安げに口を引き結ぶかの如く沈黙していた。崩壊した首都ガレマルドから西へ400マルム余り、帝国の都市としては中規模のその街でも、道行く人々の表情は一様に硬い。まばらに聞こえてくる街角の雑談でさえ暗く沈み、いかにも不景気な有様だった。
サンクレッドは帝国兵に支給される標準的なコートと耳当て付きの帽子を身に着け、大通りを歩いている。人々と同じように厳めしい顔をして、いかにも職務中であるかのように周囲に視線を配りながら歩けば、巡回中の一兵卒にしか見えないだろう。しかし――注意だけを素早く後方に遣って、サンクレッドは路地裏に身を滑り込ませた。ひとけのない細く陰気な道を、街の外に向けて進んでいく。間もなく石畳の舗装が終わり、白い雪原が開けた。構わず踏み込むこと二歩三歩……背後にただならぬ気配を感じたかと思えば、靴底が砂利を擦る音と革のはためく音がほとんど一瞬のうちに飛び掛かってきた。振り向きざまに抜いた剣で、襲い来る重たい斬撃を受け止め弾く。そのまま相手の懐へ潜り込むと、肘で鋭く顎を打った。襲撃者は呻きも上げられずに傾かしぎ、手放した戦鎌いくさがまとともに雪へと墜ちる。

「悪いが見逃してもらうぞ。今回はただ様子を見にきただけなんだ」

暁の血盟」が表向きの解散を迎えてなお、サンクレッドは世界を護り続けている。大切な妹分が命を賭して護り、愛したものを、未来へ繋がんとする悪あがきだ。ここのところは大事件と呼ぶほどの騒動こそ起きていなかったものの、先行き不透明なガレマール帝国の周りではきな臭い事案が頻発していた。それもあってこの街の偵察に来たのだが――サンクレッドは改めて雪上の襲撃者に目を向ける。全身を黒衣に包み、唯一露出している目元には老年らしき深い皺が刻まれていた。魔導革命以前のガレマール帝国において異民族を刈る役目を担ったという暗殺者「リーパー」、その生き残りがサンクレッドの存在に気づき、憂国の士として排除しにきたというところだろうか。
今後の対処について検討しつつも、思考はつい、過去へと流れてしまう。老兵と戦鎌……それが示す人物をほかにも知っていたからだ。彼が生きたのは、ちょうどこの雪原の天と地を返したかのような白光満ちる世界。そこで戦い、果てに死した。

将軍ランジート、その人である。

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かの将軍の素性については、「ミンフィリア」をユールモアの監獄棟から救い出すにあたって念入りに調べていた。
光の氾濫以前のこと、世界を股にかけて活動する暗殺者集団があったという。容易に依頼は請けないものの、取り掛かれば決して仕損じることはないとされた手練れたち。その詳細を知るには至らなかったが、苦労して見つけたわずかな記録には壮絶な内容が綴られていた。曰く、彼らは血、あるいはそれに匹敵する契約によって繋がった一団である。曰く、彼らは出自をぼやかすため、あえて異種族間で子を成し暗殺者として育てる。曰く、彼らは血を触媒とした妖術を使う……生きながら焼かれ四肢を割かれるような修行に耐えた者のみがそれを会得するのだ、と。彼らがいかなる思想を以て暗殺術の習熟に生涯を費やしたのか、今となっては知る由もない。ただ執念とでも呼ぶべき昏い熱が、短い記録から垣間見えていた。

第一世界におけるおよそ100年前、暗殺者集団の頭目であったザルバードはユールモア市長のもとを訪問していた。用向きについては推して知るべしだろう。肝心なのは、その訪問中に光の氾濫が発生したことだ。当地へ留まることを余儀なくされたザルバードと数名の配下たちに、市長は衣食住を保証した。その礼であったのか、はたまた世界滅亡の危機を前にしては致し方なかったのか、彼らは警備と護衛程度しか任務経験のなかった兵士たちに実践的な戦闘技術を教えた。かくして無の大地から罪喰いが大挙して押し寄せてきた際にも、ザルバード率いるユールモアの軍勢は対抗し得たのである。

氾濫から12年、ザルバードのもとに子が生まれる。母親についての記録が残っていなかった点を鑑みれば、己の技術を継がせたいというザルバード側の意志によるところだったのかもしれない。事実、誕生した子は言葉も覚束ないころから厳しい訓練を施されたという。ここにきてようやく目的の名が歴史に登場するのだ。ザルバードの子、ランジートと。
その時分、残存する人類は果ての見えない罪喰いとの戦いによって疲弊していた。間もなく大陸側ではフッブート王国が斃たおれるが、滅亡の淵にあって予期せぬ転機が訪れる。罪喰い化に耐性を持つ少女が発見されたのだ。紆余曲折を経て2年後にユールモアにて保護された彼女は、その特徴から光の氾濫を止めたという伝説的な存在「ミンフィリア」の名を与えられた。
罪喰い化への耐性を活かすには前線に出るよりない。保護された当時まだ12歳だった彼女を、ザルバードは兵士たちと同等に仕上げんとした。一方でランジートは5歳かそこらだろうか。人類の新たな希望たれと見出された者と、暗殺術の継承者たれと生み出された者。求められる結果は違えども、同じ師につく子ども同士と呼べた時代があったのだ。そこでいかなる言葉が交わされ、互いに何を思ったのか。刻一刻と過ぎゆく幼い日々をどんな顔をして駆け抜けたのか。記録にはなく、余人にはもはや窺い知る術もない。ただ、当時のミンフィリアについて報告書にはこう記されている。『明朗な人柄にして、楽しげに周囲と交流する様などは生来ユールモアに暮らしていたかのようだ。己の特異な力に驕らず、人々を救うことこそが使命であるとして、日々訓練に励んでいる』その通りであったならば、過酷な修行に打ち込む年下の兄弟子を、おそらく彼女は見過ごさなかっただろう。

はたして大人たちの思惑は結実し、数年の時を経てミンフィリアの存在は世界へと大々的に公表された。同時に、彼女を旗印とした対罪喰い特殊部隊「浄罪兵団」の結成も宣言されている。部隊を実質的に指揮するのは、誰あろうザルバードだった。彼らはまさしく決死の覚悟で人類の反転攻勢を演じた。討伐に出れば都度少なくない犠牲者を出したものの、これまでいつ終わるとも知れない防戦を続けていた人々は、彼らの勝利に熱狂していく。あるときなど、帰還してくる浄罪兵団を迎えんとユールモアのテラスに集まった民衆が、押し合いへし合い海に落下する騒動まで起きたという。ミンフィリアはどんなときも彼らに笑顔で手を振り応えた。その傍らにはザルバードと、彼の息子が影のように控えていたとされる。

それから数度の勝利があり、数えきれない喪失があった。前進を続ける浄罪兵団は、罪喰いにまつわるいくつもの事実を人類にもたらした。そしてついに待望のときがくる。ドヴェルガル山脈の奥地にて、コルシア島一帯を統べる大罪喰いを追い詰めたのである。激闘の末、とどめを刺したのはザルバードだった。続いて歓喜の声が上がる……そのはずが、待ち受けていたのは底なしの絶望だった。大罪喰いの有していた強い光の力が放出され、ザルバードを呑み込んだのだ。彼は終ぞ聞いたことのないような雄叫びを上げ、見る間に異形へと変じていく。大罪喰いを倒した者が次なる大罪喰いになるという事実を、人類が初めて目の当たりにした瞬間だった。
撤退を余儀なくされた浄罪兵団は、ザルバードを戦死とし、大罪喰い討伐の報のみを伝えた。少なくとも新たにそれと成ったザルバードが攻め込んでこないかぎりは誤魔化せる……彼らにも時間が必要だったのだ。人々は偉大なる戦士の死を嘆きながらも、歴史的勝利を大いに喜び祝った。その裏でミンフィリアから各地を治める組織の長に対し、秘密裏に大罪喰いについての真実が共有されている。皆一様に驚嘆し、困難な未来を予期したに違いない。何か道はないものかと思案して――少なくともミンフィリア自身は気づいたのだ。罪喰い化に耐性がある自分が大罪喰いを倒せば、悲劇の連鎖が絶たれるかもしれないということに。

浄罪兵団は罪喰い討伐を続けた。ザルバードの役目を継いだのは、まだ10代のランジートだった。かの暗殺術がどれだけ彼に継承されたのかは定かでないが、少なくとも罪喰いとの戦績という面においては、前代のころと遜色ない成果を挙げている。師であり父である人物を失った直後であったことを思えば、むしろ優秀すぎるほどであろう。一方で、この当時の軍事記録からは、彼ではなくミンフィリアがほとんどの作戦を推進していたことが窺える。私が大罪喰いを倒すのだと、そのための力を得たいのだと、書面に載らぬ叫びが聞こえてくるかのようだった。
作戦が開始されミンフィリアが敵を屠る。ランジートも屠る。また新たな作戦が始まってミンフィリアが屠る。ランジートが屠る。その積み重ねこそが、彼らの対話のようだった。

そうして兵団の結成から10年余り。世界を救うために走り続けてきたミンフィリアが、その膝を地についた。罪喰い化に耐性があったとしても、切り裂かれれば血を流し、血を流せば死に至るのだ。彼女は仲間を呼び集めると、「ミンフィリア」の再来を予言した。彼女の中にいる「本当の光の巫女」がそう告げているのだと、痛みに荒く乱れる呼吸の合間に微笑んだという。かくして役目を果たした当代のミンフィリアは、最後にランジートとふたりにしてほしいと願った。
だからいかなる記録も語り継いではいないのだ。同じ師のもとで、一方は光、一方は影となったふたりが、死の間際に何を語り合ったかなど。そのミンフィリアが悔しさに泣いて終わったのか、あるいは安堵の微笑みを浮かべて終わったのかも。遺されたランジートの思いさえ、何ひとつとして……。
彼女の死にまつわる情報として残っているのは、盛大な葬儀が開かれ国を問わず多くの人々が嘆き悲しんだということ、そして遺体はランジートの手によってユールモアの地下墓地へと埋葬されたということだった。

ミンフィリアの生まれ変わりは、世界を挙げた捜索によって3年と経たずに発見された。ユールモアへと連れてこられた少女は、確かに同じ金の髪と、エーテルの輝きを宿した瞳を持っていた。検証の結果、罪喰い化への耐性も確認された。しかし、それだけだ。彼女は前代とはまったくの別人であり、まだ挨拶ができたことを誇るような年頃の娘だった。それでも再び見出されたからには希望の象徴となってもらわなければならない。ランジートはかつて自分たちがザルバードにされたように、幼子に戦う術を仕込んでいった。
そのミンフィリアは12歳まで生きた。戦場へ出た数は10回にも達していない。並行して罪喰いの研究が重ねられ、非力な少女でもとどめを刺す方法が模索されていたようだ。結果としてわかったのは、罪喰いはどれほどそれらしき形をとっていても生物ではないということ。切り開いても意味のある形に臓物が入っていない。さながら粘土でできた人形のように、どこを断てば息の根を止められるということもなく、強靭な力を以て破壊するしかないと結論づけられるばかりだった。
ランジートミンフィリアたちを訓練し続けた。筋のいい者もいれば、一向に埒が明かず「私を殺して次の子を育てて」と泣きながら懇願する者もいた。そうであっても続けなければならない。少女たちの人生すべてを費やしていく。ただ、世界を救うために。

そこに終止符を打ったのは誰だったか。光の氾濫から実に80年ほどが経ち、ユールモアに新たな元首ヴァウスリーが君臨することとなった。彼の有する能力によって罪喰いは倒すものから従えるものへと変わり、浄罪兵団は解散となった。そればかりか、ミンフィリアに殺される夢を見たという彼は、当代の彼女を殴り殺したのだ。そしてランジートに下った命令は、次なる生まれ変わりを探し出し、見つけ次第幽閉して、反逆者と成り得る力を与えるなとの内容だった。
ここにおいても、やはりランジートの心境を記録から知ることはできない。しかし、後年になってミンフィリアを伴った「闇の戦士」一行が彼から受けた言葉を、新たに書き足すことはできる。

『戦場は地獄、闘争は不毛。安寧のうちに得る平和こそが、唯一の幸福である』

『人は、人であるかぎり……そして、正しく在ろうとするほどに、戦から逃れられぬ。
 なればこそ。正しくなく、ただの人でもない……そんな男の掲げる平和に賭けたのだ』

ランジート、享年88。遺体はミンフィリアたちの墓の前で見つかっている。

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朔月秘話 第3話「赫の邂逅」

「ラハくん、あなた宛ての手紙が来てるわよ」

終末の騒動も落ち着いて久しい、風の穏やかな昼下がりのこと。少し遅めの昼食を終えてバルデシオン分館に戻ったグ・ラハ・ティアに、クルルがそう言いながら一通の封書を差し出してきた。委員会ではなくラハ個人に宛てたものとなると珍しいが、なるほど表には整ったエオルゼア文字でその名前が記されている。差出人の署名はない。受付のオジカからペーパーナイフを借りて封を開け、中身に目を通せば思いもよらず「えっ」と驚きの声を上げる羽目になった。クルルとオジカがそろって視線を向けてくる。ラハは確かめるようにもう一度文面をさらったあと、困惑交じりに答えた。

「聞きたいことがあるから、よければこっちに来てくれって……ドマのヒエン殿が」

「ヒエンさんって、あのヒエンさんよね。どうしてラハくんを?」

「オレが聞きたいよ。あの人を連れてこいって話ならともかく……」

便箋を裏返したり透かしてみたりするものの、暗号が仕込まれている風でもない。となれば、流暢に書き綴られている内容に他意はないのだろう。さてどうしたものかと思案する脳裏に、かの冒険者がドマについて語る姿が浮かんでは消えていった。

「……相手が相手だし、断るわけにもいかないよな」

それこそが動機であると念押しするように口に出せば、今度は何故かふたりから半笑いを向けられる。ラハはわずかな緊張と多大な期待を胸に、予定の調整に取り掛かったのだった。

クガネを経由してイサリ村に渡り、手配されていた船で無二江を遡上する。たどり着いたドマ町人地では、ハクロウと名乗る人狼族の武人に深々とした東方式の一礼で迎えられた。彼の尾を追うようにして大通りを進む。両側に連なる石造りの塀は特徴的な円形の門と扇状の小窓を備えており、その向こうに職人たちの工房らしき場所が垣間見えた。都度に気を引かれつつも、ラハは努めて前を向く。
案内されたのは、通りの突き当たりにあるひときわ立派な建物だった。もとは町奉行所だったが、現在はヒエンの屋敷となり「帰燕館」と呼ばれているらしい。中に通され、しばし廊下を行く。古い建物だからか、あるいは香でも焚き染めているのか、草木を思わせる深い異国の香りがした。やにわに緊張が高まってくる。東方式の礼儀作法を胸中で復習しながら、とにもかくにも背筋を伸ばした。およそ気品や風格といったものと縁遠かったラハが、ある街の長として立たねばならなかった時代に「これだけは」と心掛けていたことだった。

ほどなくして引かれた戸の先に、目的の人物が待ち受けていた。

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「よく来てくれた。遠くから呼びつけてすまんな」

リジンのヒエンはそう言って口元に笑みを浮かべた。
以前、各国の盟主とともにテロフォロイへの対策を講じた際に、彼とは会ったことがある。厳密に言えば第八霊災が起きた先の未来においても、彼がいかに生き、かの英雄についてどのように語り継いでくれたかを知っているのだが……この歴史においては無用なことと、ラハはそっと口を閉ざしたまま「暁」の新入りとして挨拶を交わした。
そのときも他の盟主に負けず劣らずの迫力だと感じたものだが、こうして自国の紋を背負い、水墨で描かれた冷厳なる山河の前に座す姿は、実に堂々たるものだ。ドマが帝国属州となった翌年に生まれたというから、ラハとは同い年になる。そうとは感じさせない貫禄にこそ、ままならぬ境遇に身を置いてきた彼の苦労が偲ばれた。

「お招きいただき感謝する。でも、本当にオレでよかったのか?」

「無論よ。そなたに折り入って尋ねたいことがあったのだ」

促されるまま対面に座り、軽く旅の感想を交わしてからヒエンの用件を聞く。なんでも、ガレマール帝国との関係に変化の兆しがあるらしい。かの国といち早く通商を再開したラザハンが主催となり、帝国側の要人と、関係諸国の代表とで会談の場が設けられることとなったのだ。そこへ参加する予定のヒエンとしては、会談をこじれさせないためにも、帝国側の状況を極力把握しておきたい。参加者の中にはロクス・アモエヌス――コルヴォとも呼ばれる地の総督がいるので、その一帯にまつわる情報は殊更に必要だった。
そこでヒエンらは、終末の際にかの地で対応にあたったというサンクレッドに連絡をとった。あの混乱の中で正確に事態を把握できていた者がいるとすれば「暁」の面々をおいて他にいまい。すると彼から、当時同じ任務にあたっていて、コルヴォを生まれ故郷とするラハの方が適任だろうとの返答があったそうだ。

「間違いじゃないが……子どもの頃にシャーレアンに引き取られてから、ずっと遠ざかってたんだ。
 期待に沿えるだけの話ができるかどうか」

「それで構わんさ。
 帝国属州に生まれた者の中には、同じように故郷と疎遠になっている者も少なくない。
 そなたの言葉で、コルヴォについて聞かせてくれ」

そう願われれば、断る道理もない。ラハはまずあの土地が現状に至る経緯をかいつまんで説明することにした。
初めにそこが誰のものであったかと問えば、コルヴォ人もガレアン人も「我々のものだった」と答えることだろう。アラグ史を学ぶ者として意見するのであれば、五千年の昔にアラグ帝国の地方都市が築かれた場所であり、労働力として送り込まれた大勢のミコッテ族が暮らしていた場所に違いないのだが、数度の霊災と抗争の果てに対峙したのはその二者だったというわけだ。結果としてコルヴォ人が勝利を収めたのが、今からおよそ800年前のこと。以来ガレアン人は凍てつく北の地で雌伏の時を過ごすことになる。
その状況が近代になってついに覆った。60年ほど前、軍団長ソル・ガルヴァスが魔導技術を軍事に取り入れ、先祖の雪辱を果たすかのように南進したのだ。彼らは飛躍的に上昇した戦力でコルヴォ人を制圧。地図上からその名を消し去り、ロクス・アモエヌスと改めた。属州とするにあたって名を残さなかった唯一の事例であることからも、この勝利がガレアン人にとって特別なものであったことが窺える。

「名さえ消されて50年以上か……」

静かに話を聞いていたヒエンが、ぽつりと呟いた。彼としては、己の国が同じ道を辿っていたらと想像せざるを得ないのだろう。

「一応、文化や町並みにはまだコルヴォの名残がある。
 とはいえ、政治や労働の中核を担っているのはもう帝国統治下で生まれた世代だ」

それが意味するところは、終末が到来した際の対応にもありありと表れていた。類を見ない災厄だったという点を加味するとしても、同時期に終末に見舞われたラザハンと比べて行政の動きが鈍かったのだ。問いただせば、首都ガレマルドの壊滅によって「本国」――ガレアン人でもない青年が、確かにそう言った――と連携が取れず、一部の機能が麻痺しているとのことだった。
ありのままを報告すれば、ヒエンは瞼を閉じ、長く静かに息を吐いた。

「……先の解放戦争に決着がついたとき、ドマは帝国属州となって25年、アラミゴは20年だった。
 これがもし、さらに数十年先のことであったなら、戦いくさの結末は違っていたかもしれん」

「どうしたって、帝国に組み込まれた状態の方が日常になってくるからな……。
 それで上手く回ってるなら、独立のために戦おうって意志を維持するのは難しい」

「ああ、誰もコルヴォの有様を責められるものか。
 まこと時の力とは恐ろしいものよ。かく言うわしも帝国式の教育を受けて育った身……
 父母やゴウセツの存在があればこそ志が萎えることはなかったが、
 もはや帝国の介入がなかった時分の『純粋なドマ人』ではないのだ」

その言葉に、ヒエンの――帝国統治下で生まれた子らの苦悩が滲んでいた。
ガレマール帝国の厳格な階級制度において、彼らの多くは市民権を持たない。「ドマ人だから」「アラミゴ人だから」と差別され、仮に功績を挙げて市民権を得たとしても侮蔑が付きまとってくる。彼らはいつだって悲しみと怒りの中で自分が何人であるかを知るのだ。
だというのに、親や祖父母が描く祖国の情景には加わることができない。郷愁を込めて語られる暮らしは一度たりとも体験したことがないもので、そこに在ったという風習も誇りも、時代の壁に阻まれて己と重なりはしないのだ。
深い異国の香りの内に、やるせない沈黙が漂う。それを無遠慮にかき消してしまいたくはなかった。ゆえにラハは精一杯言葉を探し、静かに、真摯に思うところを告げる。

「オレのような歴史学者や考古学者は、時代の節目に線を引く。
 ここまでがあの文明、ここからがこの文明ってな。
 だが現実には線引き通りにすべての人が入れ替わってるわけじゃないだろう?
 王が変わり、国の名前が変わっても、そこに生き続けている大勢の人がいる。
 彼らが新たな風を受けて次の時代を作っていくんだ」

そうして歴史は繋がっていく。帝国式の教育を受けていたっていなくたって、同じひとつの流れの中だ。それは変化であって隔絶ではないのだと、寄る辺なく生きてきた彼らに少しでも伝わればいいと思った。

ヒエンは微かな驚きを浮かべてラハを見返していたが、やがて何がおかしいのか体を折ってくつくつと堪えた笑い声を上げはじめた。

「いや、すまん、それほど卑屈になっているつもりはなかったんだが……
 思いがけず良い言葉をもらってしまったな」

「えっ!? あ、ええと、その、出すぎた真似だったら忘れてくれ……」

「忘れられるものか!
 上から下まで赫あかい、なんとも絢爛な男だと思っておったが、やはり『暁』に招かれた傑物よな。
 一瞬どこぞの老師から助言を賜ったかのような気になったわ……!」

よほどツボにはまったらしく、ヒエンの笑いはなかなか収まらなかった。慌てふためいたラハが耳と肩を落とす段になって、ようやく「すまんすまん」と下げていた顔を上げる。
晴れやかな、どこまでも遥々と広がる青天に似た笑みが、そこにはあった。

「そなたの言うとおりだ。
 父祖の代から変わったこと、やがて変わることを恐れずいよう。
 そのすべてをひっくるめて、ここがドマという国よ!」

彼の目は赫かがやき、ラハの向こうに遠い未来を見ているかのようだった。そういう眼差しをする人に、過去にも出会ったことがある。皆、果てなく険しい道を征かんとする挑戦者であり、その先で星を掴み取った者たちだった。
ラハの口元は自然と緩んでしまう。ヒエンとドマの民が描いていくこれからの時代が楽しみでならなかった。

「……と豪語したからには、次の会談も良い変化への足掛かりにせんとな!
 どれ、次はコルヴォの名物でも聞かせてもらえるか?
 飯の話はとくに、万国共通で盛り上がるものだ」

言いながらヒエンは立ち上がる。その意図を図りかねていると、彼が今度はニイと笑った。

「なぁに、そういう話ならここに籠っておらずともよい。
 遠くから足を運んでくれた客人に、もてなしもせず飯の話をさせるなど鬼畜の所業。
 あれやこれやと聞かせてもらう礼に、ドマの飯を堪能していってくれ!」

二つ返事で立ち上がり、ともに屋敷の外へ繰り出す。かつて国政の中心地であったドマ城は川向こうでまだ半壊した姿を晒しているが、町人地は復興の熱気と賑わいに満ちていた。それもまた変化のひとつなのかもしれない。
血の嵐を越えて、人々は今日もこの地に生きている。
力強く生き続けている。

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朔月秘話 第4話「朔月の約束」

その日、ルヴェユール邸では模様替えが行われていた。
近東のサベネア島からやってくる留学生を受け入れるため、ホストマザーに名乗りを上げたアメリアンス・ルヴェユールの号令の下、客室のひとつを作り替えようというのだ。優雅な応接家具の一式が運び出されたかと思えば、上品な寝台が運び込まれるといった具合で、ここ数年は来客との懇談などに利用されていた部屋が、みるみるうちに学生の暮らしの場へと変貌を遂げていった。
すべての作業が終わると、アメリアンスは満足げに室内を見渡し――ふと気づく。
壁際に置かれた古めかしい物書き机ライティングテーブルの引き出しが、少しだけ開きかけていたのだ。新しい家族を迎えるのだから、仕上げは完璧に。そう考えたアメリアンスは引き出しの取手を握って押してみたのだが、なにかが引っかかっているのか、どうしても奥まで入り切らない。

「さすがに年代物だから、修理を頼まないといけないかしら」

思わずこぼれた独り言のとおり、その物書き机はアンティークの部類に属す品だった。先代当主のルイゾワが子どもの時分に購入されたもので、その息子のフルシュノへ、そのまた息子のアルフィノへと三代に亘ってルヴェユール家の男子たちに受け継がれてきたのだ。ガタがきていたとしても、当然というもの。
念のためにと引き出しを机から抜き取ってみて、アメリアンスはようやく不具合の原因を知る。天板の裏側に絡繰り仕掛けの隠し収納が備えられており、外れかかった蓋が引き出しと干渉していたのだ。さすがは悪戯者として知られていたルイゾワ老に由来する品といったところか。
とはいえ、アメリアンスもまた負けず劣らずの悪戯心を備えている。隠し収納を見つけたとなれば、その中を覗かずにはいられない。かくして彼女は、一冊の革張りの手帳を発見することになる。
いったい何が記されているというのか。何気なしに開いた頁の一行目に書かれていたのは、見覚えのある几帳面な文字で記された日付――それは、彼女の息子アルフィノが幼少期に綴っていた古い日記だった。



後に人々が「第六星暦の最後の年」として認識することになる1572年。北洋に遅い春が訪れた星3月1日のことだ。
端的に言うとアルフィノ・ルヴェユールは、暇を持て余していた。
進学を希望していたシャーレアン魔法大学から合格通知をもらったものの、実際に入学するには学期の始まりを待たねばならず、かといって私塾での学びも終えてしまった彼は、少しばかり宙ぶらりんな立場にあったのだ。しかも悪いことに、その日は朝から祖父ルイゾワが不在だった。妹のアリゼーが、祖父を連れて買い物に繰り出してしまったのである。敬愛する祖父がエオルゼアへと渡るつもりだと知ってからは、なるべく共に時間を過ごしたいと思っていたものの、妹に先を越された格好だ。
手持ち無沙汰になった彼は、庭先に出て読書でも……と考え玄関へと向かったところで、今まさに外出しようとする父フルシュノに出くわした。

「お父様、お出かけですか?」

「ああ、視察にな」

あまりにも端的な返答は、11歳の息子に対するものとは思えなかったが、アルフィノが返した言葉もまた子どもらしくはない。

「休日に公務とは、お疲れ様です」

「いや、今日の視察は哲学者議会の用件ではなく、私的なものだ」

これが神童と呼ばれた少年と、その父の日常的な会話の在りようであった。
とはいえ子どもらしさが皆無であったかと言えば、決してそうではない。公務でないと聞いたアルフィノは、遊びに連れていってほしいと言わんばかりに同行の許可を求めていたのだ。フルシュノが少し思案した後に許可を出したことで、彼は行き先も知らぬまま父とふたり出かけることになる。
途中、アルフィノはアゴラの外れで不貞腐れた様子でしゃがみ込み、愛犬アンジェロの頭を撫でるアリゼーを見かけた。すぐそばには、友人たちに囲まれたルイゾワの姿。魔法大学のモンティシェーニュ学長を筆頭に、考古学部のルルシャ教授に魔法学部のネネリモ・トトリモ教授とくれば、長話の沼にはまり込むのは確定だ。妹の不運に憐れみを覚えながらも、アルフィノは先をゆく父の背中を追った。


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数分の後、父子は知の都において、もっとも標高の高い丘の上にある「哲学者の広場」の前に立っていた。いや、元広場と言うべきか。かつては本当に円形の広場があり、全市民が集って政策を論じあったと伝えられているが、今では市民の代表者たる99名の議員たちが集うための立派な議事堂が建っているのだから。哲学者議会の一員であるフルシュノにとっては、職場も同然の場所だ。とても公務以外で訪れる場所ではないとアルフィノは疑問に思った。

「こちらだ。付いてきなさい」

あいも変わらず、父フルシュノは言葉少なく先導する。左手の入口から議事堂内に入ると、階段を下りて地下室へと向かう。そこには厳重に警備された扉があったが、この議事堂内にフルシュノの顔を知らぬ者などいない。すんなりと訪問手続きが終わると扉が開かれ、ふたりは室内へと進む。直後、入ってきたばかりの扉が閉ざされ、室内全体がぐらりと揺れたところでアルフィノは今いるのが昇降機の中なのだと気がついた。

「お父様、まさかここは……」

「そうだ。お前も街の下に造られているラヴィリンソスのことは聞いているだろう」

確かに聞いたことがあった。シャーレアン本島は火山島であり、街の地下深くには、かつての溶岩溜まりの痕跡だという巨大な空洞が存在する。そこを世界各地から集めた資料や生体サンプルの保管庫として利用しているのだという。
しかし、いくら事前に概要を知っていたとしても、昇降機から降りたアルフィノは驚きの光景に目を丸くすることになる。聞きしに勝るとは、まさにこのこと。見上げれば偽りの空があり、人工の太陽が輝きを放っている。呆然と立ち尽くす息子の姿を見て、フルシュノは僅かに口角を上げた。

「見事なものだろう。
 先日、遅れていた最後の送風塔が完成し、起動試験が行われていてな。
 様子を確認しておきたかったのだ」

髪を撫でる柔らかな風を感じ、アルフィノはその行き先を追うように駆け出した。
胸壁から身を乗り出すようにして眼下を見やると、とても地下とは思えない緑地が広がっている。

「すごい……まるで北洋じゃないみたいだ!」

目を輝かせる息子の横に父が並ぶ。

「温暖で過ごしやすいイルサバード大陸南部、コルヴォ地方の気候を再現している。
 帝国人は彼の地を理想卿ロクス・アモエヌスと呼ぶそうだが、その気持ちもわからんではない。
 戦好きの野蛮人たちと見解が一致することなど、稀ではあるがね」

フルシュノがこうも饒舌になるのは珍しい。思わず自慢げに語らずにはいられないほど、この環境を造り出す過程は困難に満ちていたのだろう。
その後、アルフィノは父に連れられてロジスティコン・アルファを訪れた。ラヴィリンソスの気象を管理する施設である。知的好奇心に満ち溢れる少年にとって、最新技術の詰め込まれた場所を見て回る体験は、実に心躍るものだった。もっと見たい、もっと知りたい。彼は心底、そう願った。

「お父様、この先にも行ってみましょう!」

すべての視察行程を終えて施設を出るや、アルフィノが北に延びる林道を指さして言った。ところが、フルシュノは首を振って答える。

「視察はここまでだ。家へ戻ろう」

刹那、アルフィノは玩具を取り上げられた幼子のような顔を見せたが、そこは聞き分けの良い彼のこと。すぐさま失望を悟らせまいと表情を整えた。彼は、偉大な父にふさわしい息子であろうと心がけていたのだ。
しかし、意外なところから援軍がやってくる。

「いいじゃありませんか。
 せっかくのピクニック日和ですもの!」

声の主は、アメリアンスだった。左右の手にひとつずつ大きなバスケットを提げている。

「休日だっていうのに、みんな私を置いてお出かけしてしまうんだもの。
 抜け駆けした罰に、言うことを聞いてもらいますからね?」

アメリアンスが笑顔と共に放った言葉は、交渉のそれではなく、一方的な通告だった。
こうなっては、シャーレアンの政治を動かす有力議員と言えども口答えはできない。ほどなく、アメリアンスに声をかけられていたらしいルイゾワアリゼーも愛犬アンジェロ共々合流し、一家そろってミディアルサーキットにて、ピクニックと相成ったのである。
完成したばかりのプネウマ送風塔から送り出される風の下、草地に敷布が広げられ、バスケットが開封された。水筒の栓が抜かれると芳しい紅茶の香りが漂い始め、ラストスタンドで買いだしてきた軽食に華を添える。
シャーレアンきっての名門一家が、そろって集まっているとなれば否が応でも目を引く。道行く人々――主に研究者の類だった――が挨拶でもと立ち止まるようになり、やがては自らもピクニックに参加しようという者すら現れ始める。
先陣をきったのはバルデシオン委員会の代表を務めるガラフ老。義娘だというララフェル族の少女を連れてくると、アルフィノアリゼーに引き合わせてくれた。彼女がシャーレアン魔法大学に在学中だと知ったアメリアンスは、後輩として入学することになる子どもたちを、どうぞよろしくと頭を下げ、紅茶を注ぐ。彼女、クルル・バルデシオンはティーカップを受け取ると、ほがらかに微笑んで快諾し、双子の大学生活を支えると約束した。
続いてやってきたのは、ルイゾワの弟子たち――快活なムーンブリダ・ウィルフスンウィンと、寡黙なウリエンジェ・オギュレの二人組だ。家族の団らんを邪魔するわけにはと遠慮がちなウリエンジェを、宴は人数が多いほど盛り上がるものだとムーンブリダがねじ伏せての参加となった。結局のところ、消極的だったウリエンジェの方が熱っぽくルイゾワとの予言詩談義に興じていたところを見ると、本当に参加したかったのは彼の方だったのだろう。
ほかにも多くの人々が訪れた。フルシュノの周囲には、いつの間にやら哲学者議会に名を連ねる名士たちが集まっていた。ルイゾワウリエンジェに古代アラグ文明に関する自説をぶつけにきたのは、救世詩盟にも参加しているラムブルース氏だ。アメリアンスから追加注文を受けて、わざわざラヴィリンソスまで料理を運んできたラストスタンドのディコン店長も、いつの間にか座り込んで美味しい焼き菓子の作り方で激論を交わしている。


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彼らのピクニックは、人工太陽が夜の訪れを告げるために輝きを落とすまで続いた。その淡く光る水晶塊は、太陽と月が重なった朔月を思わせた。


そっと手帳を閉じて、アメリアンスは目を瞑る。脳裏に浮かんだのは、あのピクニックの帰り際にルイゾワフルシュノ、そしてアルフィノが語った言葉だ。

「これで心置きなく、星のために歩み出せるというものじゃ」

その言葉から、第七霊災の脅威に立ち向かうためエオルゼアへと渡るのだというルイゾワの決意が感じられた。死すら覚悟しての旅立ちを前に、愛する家族や友人たちとの時間を過ごせたことを心の底から喜んでもいたはずだ。

「私は私の道を往きます。
 子どもたちが歩むべき道を造るために」

今にして思えば、フルシュノは「星からの大撤収」という隠された使命こそが、子どもたちが生き残るための術であると信じて、異なる道を歩むのだと父に宣言したのだろう。ルイゾワは黙したまま、ただ静かに頷いていた。まるで、すべてを理解しているように。

「私も歩み続けます。いつかお祖父様やお父様の助けとなれるように」

魔法大学への入学を控えたアルフィノの言葉は、含みのない純粋な想いだったのだろうが、アメリアンスは知っている。アルフィノは妹アリゼーと共に祖父ルイゾワの背中を追い、父フルシュノが造った道を辿って、仲間と共に星を救ってみせた。
そう、彼らは、いずれも約束を果たしたのだ。

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